○ 故郷の味万歳。 ○


「さて、と」
 入居したての初々しさが感じられる、1Kでもそこそこ広いアパートの一室、というか一つしか部屋はないのだが、そこに小柄な女の子が座っていた。
 女の子の名前はゆの。名字は……原作でも出る予定は無いとDVDのコメンタリーで言っていたので割愛。ゆのはやまぶき高校の美術科に入るため、高校の正面にあるひだまり荘にやって来たのだった。しかし一日目は挨拶やその他諸々で綺麗さっぱり消え、ここで暮らす準備は大してできないまま眠りに就いた。
 そして今日、新生活の二日目こそ、ここを生活感のある空間にしようと、内心張り切っているゆの。
「昨日はあまり手を付けられなかったけど、今日こそは荷物を出さないと」
 昨日、ゆのと一緒にひだまり荘に着いたばかりのゆのの引越し荷物は、部屋の片隅にまだうず高く積まれている。とりあえず服と寝具(特にお気に入りの枕)とお風呂用具は出しているのだが、その他諸々の荷物はまだ段ボール箱の中に眠っていた。箱の大半は両親が持たせた食べ物のはずだが、何が入っているのかゆのは知らない。
 そして、ゆのは段ボール箱に手を掛けて……、
「とりあえず……これっ!」
 勢いよく開け──というわけにもいかず、ガムテープで封をしている蓋を鋏でじょきじょきと開けた。
 その中身を目にして、ゆのは一瞬目を丸くして固まってしまう。
「え?」
 段ボール箱にびっしり詰まっていたのは、ほうとう。簡単に言うとうどんの簡略版っぽい物で、日本中のあちこちで作っているのだが、山梨県の名物としても有名である。
「え、え、ええええええ……じゃなくて、えっと」
 呆然としていたゆのが我に返り、次々と段ボール箱を開いていくと。
「こっちは信玄餅〜?」
 一つのパックに四つずつ、武田家の家紋に見立てた形で入っている餅菓子。ゆのはきなこをたっぷり掛けて食べるのが好き。
「月の雫……」
 簡単に言うと、葡萄の砂糖掛け。ゆのは生も干し葡萄も好きで、ワイン──はダメです未成年ですから。
「煮貝〜? こんなにいっぱいあっても食べられないのに……」
 ちなみに煮貝とは、鮑を煮て保存が利くようにした物。海から離れた山梨で名物になっているのは、飛騨鰤や三次の鮫の刺身とおんなじ理由である。
「こっちは――富士山の石ぃぃぃぃぃぃ!?!?」
 富士山に多い、黒灰色で穴がぷつぷつ空いた火山岩を象った砂糖菓子。豪快な見掛けに反して、お土産としては結構な古株である。
「あああ……こんなにあっても処分に困るってばお母さん……」
 あまりにもべたべたな、山梨県民丸出しの──愛知県民ならきしめん、味噌煮込みうどん、味噌ダレ、ひつまぶし、守口漬、海老煎餅、外郎に相当するような──食べ物の山に、ゆのはただただ途方に暮れるだけだった。
 もはや呆然とするばかりのゆのにとって、初めての一人暮らしは二日目で挫折を迎えようとしていた──、
 

 と、そこに外から声が掛けられる。
「ゆのさーん?」
「あ、いらっしゃいヒロさん」
 ゆのは玄関に向かい、扉を開ける。そこには真下の部屋に住んでいる先輩のヒロがいた。ちなみにもう一人の先輩である沙英は、まだ手しか見ていない。しかも今日が締切りのはずなので、当分はちゃんと挨拶する事もできなさそうだった。
(どんな人なんだろ。やっぱり厳しそうな人かなぁ)
 そんな事を考えながら、ヒロを部屋に上げる。ヒロの仕草や眼差しがふとお母さんのように見えて、ゆのはちょっぴり家が懐かしくなった。
「どうしたの、そんな困った顔をして?」
「実はお母さんが食べ物を持たせてくれたんですけど、品揃えが随分と偏っていまして……」
 ゆのの言葉を耳にして、ヒロは段ボール箱や冷蔵庫の中をちょっと確認してみる。
「……確かにお野菜が足りなさそうね。それにお米もないみたいよ」
 ゆのの家には畑があるのだが、さすがに春先では、雪が少なくても内陸で底冷えする地域なので、どうしても野菜は少なくなってしまった。一応、春になって収穫できるようになれば、随時送ってくれるとお父さんとお母さんは言っていたが。
 ヒロはそう言う傍ら、手にしていたタッパーをゆのに渡す。中にはおいしそうな手作りのお惣菜が入っていた。
「昨日、お買い物をする時間がなかったでしょ? 沙英の分もご飯を作ってたから、お魚とお野菜をゆのさんにもお裾分けね」
「あ、有難うございますっ」
 ヒロの金平は、中の人参が輪切りではなく千切りになっている点が変わっているのを除いては、お母さんと同じ(実はゆののお母さんの方が変わっているのだが)。いい匂いから想像できる味は──ちょっぴり悔しい事に、お母さんのよりおいしそう。
(有難うヒロさん……)
 寂しかった心が慰められるのを感じていると、ヒロの後ろから、ヒロより背の高い人影が飛び出る。
「なけなしの食べ物を分けたげるから、そちらのもちょーだい」
「きゃっ! み、宮ちゃん驚かさないで〜」
 ヒロの後ろからひょこりと現れた宮子は、驚いたヒロの全身にぺったりとすがり付いて、ゆのの手元を羨ましそうに眺めていた。
「いいないいないいな〜。ゆのっちばっかずるいぞぉヒロさん〜」
 そんなじゃれつく大型犬のような、出会って二日目の宮子の姿に、ゆのは苦笑しながらも挨拶を。
「み、宮ちゃんおはよ」
「おはようって時間でもないけどね。とゆー事でゆのもヒロさんもこんにちは」
「こ、こんにちは。慌てなくても宮ちゃんの分もあるわ」
 ヒロは包みを一つ宮子に手渡す──が、宮子は包みを見て、ゆのの手元のタッパーを見て、大きさの違いが不満なのか、頬を膨らませて時代劇の悪い商人のような声を出す。
「むぅ。少ないですぞ甲州屋」
「こ、甲州屋って私?」
 ゆのは驚いて、思わず宮沢賢治だか石川啄木だかでもないのにじっと手を見てしまう。
(……私、自分が山梨出身だとは言っていなかったよね?)
 実は、段ボール箱の中身に「甲州名産」うんたらかんたらと書いてあるのを宮子が見ていたというだけだった。しかも宮子は甲州=山梨県だという事を知らず、山梨がどこにあるのかも知らなかったりする。
 そんな混沌とした展開に、またお母さんのように宮子へ言い聞かせるヒロ。「こんな感想は不本意かな?」とゆのは思ったが──多分、本人としてはお姉さん辺りを希望──、これが素直な感想なのだから仕方が無い。
「ゆのさんは昨日来たばかりで、食事の用意が大変だからいっぱいあげたのよ。宮ちゃんは一ヶ月前に来たんだし、そんなに言うならあげなくてもいいけど?」
「あんがとヒロさん。もう一生付いて行っちゃいますー♪」
 あっさり態度を翻し、ヒロにぺとぺと懐く宮子。こちらもなんだか親子っぽくて、心が自然に和むゆのだった。
「はは、何だか餌付けみたい〜」
「くーんごろごろ♪」
 ゆのに喉を優しく撫でられて、子犬のようにじゃれ付く宮子。何となくウチにいたニャン太の事を思い出し(猫だけど)、幸せ気分にゆのは浸る。
(同じ学年って事は、ライバルにもなるかもしれないけど……)
 ふと宮子を見ると、身体の角度のせいで、服の襟元から胸の深い谷間が覗いている。ぴったりした服越しに感じる胸の膨らみのボリュームはなかなかのもので、意識して見ると腰も結構引き締まり、──これ以上危険な妄想に入る前に危うくゆのは思いとどまるが、かなりのナイスバディの持ち主なのは確実だった。
(……体形では明白に……うう、大人顔負けだよぉ)
 別方向でも負けたような思いがよぎるが、努力で何とかできそうにはないので、とりあえずその事は考えないでおく。
(ま、いいか。宮ちゃんって性格可愛いし)
 宮子の量の多い髪を手でくしけずりながら、ゆのはどっぷりと幸せ気分に浸っていた。
 

 こうしてヒロからはお惣菜と普通の食材を、宮子からはラーメンと明太子を貰ったおかげで、あとはお米とかを買い込むだけで食事ができるようになった。山梨名産の山もお礼に渡したため、ゆのでも何とかなりそうな量にまで減っている。
「駅前商店街の場所も教わったし、せっかくだから早めにお買い物行こっ」
 ほうとうと煮貝を片手一杯に持ちながら、もう片手にヒロからの差し入れを抱き締めて、鼻歌を歌いながら帰っていった宮子を、信玄餅と月の雫を中心にあれこれを持ち帰ったヒロを思い出し、ゆのはあの二人となら、ずっと仲良くやって行けそうな思いを新たにしていた。
「それじゃ、行って来まーす!」
 ゆのは買い物に行くために、部屋から出て扉に鍵をした。
(終)


戻る


『ひだまりスケッチ』:(C)蒼樹うめ/芳文社/ひだまり荘管理組合