☆ 秋葉物語 ☆


──6:00 こなたからかがみへのメール──

☆アキバ行きの電車の予定
区急 幸手 8:59>動物公園 9:06
私とゆーちゃんは、動物公園でかがみの電車が来るのを、いつもの辺りで待ってるよん。
区急 鷲宮 9:02>動物公園 9:14>西新井 9:46
かがみんちから久喜で乗り換えなくていい最終電車。かがみはつかさが二度寝しないようにしっかり起こすこと。
普通→日比谷線 西新井 9:46>上野 10:03
西新井で同じホームの向かい側に来る電車。つかさやゆーちゃんでも乗り換えが楽だよ。
銀座線 上野 10:07>末広町 10:10
銀座線は3分間隔だから慌てないよーに。


──6:10 Re:こなたからかがみへのメール──

 オッケー。ゆたかちゃんに無理させないようにね。


──10:15 末広町駅交差点──

 東京都千代田区外神田界隈、中央通りに面した東京地下鉄銀座線末広町駅。秋葉原電気街の最寄り駅としては幾分マイナーな場所に、毎度おなじみオタクエリート女子高生の泉こなた、こなたの従妹の小早川ゆたか、こなたの友達の柊かがみとつかさの姉妹の四人が降り立っていた。四人ともそれなりの過不足ないおしゃれをして、かがみとこなたは──、
「アンタ、制服以外でスカートはいた事ないでしょ? それにリュックなんか背負って、まるっきり典型的なオタクじゃない」
「スカートで蹴りを入れるとパンチラしちゃうじゃん。それにかがみこそ、男前なコーディネートで、それだと百合しか狙えないよ?」
 ──などと互いに失礼な事を言っていたが、それはさておき本題に戻ろう。
 今日乗ってきた銀座線は東京で初めての地下鉄だったため、非常に浅い所を走っている。こなた達がホームの横の改札を出て、階段を少し上がって外に出ると、そこはもう電気街の北の外れで、通りの先には総武線の鉄橋まで見えた。
「うわ〜、末広町駅ってこんなに電気街に近いんだ?」
「意外だったかなゆーちゃんには。いつもは日比谷線経由で来てるけど、今日は上野で銀座線に乗り換えたからね」
 と、自力で『萌えマップ』なるスクラップ帳を作るほど秋葉原に詳しいこなたが、オタク系でない知識をゆたかに披露する。かがみも珍しく普通に感心して頷き、自分とほぼ同じ大きさなのに小さく感じるつかさの手を優しく握りながら、姉妹で視線を交差させた。
「私達は久喜から東北本線使ってもいいんだけど、JRって遠くから使うと高いからねぇ」
「えへへ〜」
「もしかしてつかさ、切符はお姉ちゃんに買ってもらうタイプ?」
 ごまかすようなつかさの笑いを見たこなたは、すかさず「萌えポイント」とばかりに追求する。つかさは素直にそれを認めて、恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「うん。昔は上のお姉ちゃん達に連れてもらってたけど、今は大抵お姉──えっと、かがみお姉ちゃんと一緒だから」
(この調子だと将来は、結婚しても旦那様と一緒で、子供が大きくなれば子供と一緒で、孫が大きくなれば孫と一緒なんだろーな……)
 こなたにとって、日常の行動範囲(つかさの場合、自分の家、学校、繁華街がある大宮の町、それにこなたの家を結ぶ四角形の範囲)の外で単独行動できないというのは想像を絶する事だった。とはいえこなただって、趣味関係以外ではまず遠出しないが、親とは別々にイベントへ行くようになってから、行き方や時間を自分で調べられるようになっている。
(コミケ行くには日比谷線で八丁堀まで行って、京葉線で新木場、もしくは千代田線で日比谷行って有楽町まで歩いて有楽町線で新木場、そこからりんかい線で国際展示場──もしくは豊洲からゆりかもめで有明に出ちゃうか、または栗橋から東北本線に乗換えで久喜でかがみとつかさを拾って大宮に出て、埼京線・りんかい線直通で国際展示場。浅草橋へはアキバか浅草乗換え、浜松町へは面倒だけど安いし北千住と上野乗換え、京急蒲田へは人形町乗換え、池袋へは北千住と日暮里乗換え、じゃなければ栗橋に出てそこから湘南新宿ライン、幕張メッセへは新越谷から南越谷へ歩いて武蔵野線で海浜幕張……)
 ……ただし行き先は趣味関係に限るが。
 そんな頼りない妹の頭をくしゃくしゃ撫でながら、かがみはいつもの溜め息を洩らす。
「この子とは一緒に生まれたのに、まるっきり保護者気分よ。……ゆたかちゃんは、体調以外でこなたを頼りきりにしちゃダメよ?」
「えーと……どう答えたらいいんだろ?」
「むう、かがみもゆーちゃんも失敬な」
 かがみの無遠慮な言葉に本気で考え込むゆたかに、ちょっぴり傷付いたようなそぶりを見せ、こなたが頬を膨らませる。もっともこなたの場合、本気で傷付くとかえってリアクションが乏しくなるため、これくらいなら周りもさほど気にしない。
「電車で寝過ごして浅草や日光に行っちゃうアンタに、抗弁する資格は最初からないわよ」
「東京から名古屋へ行こうとして寝過ごして博多へ行っちゃった人の話があるけど、それに比べたら可愛いもんじゃない?」
「……下には下がいる、ってやつね」
「ところでこなちゃん、今日はどんなお店を回るの?」
 いつも通りの掛け合いを演じる姉と友人に、これからの楽しい時間への期待に心を高鳴らせているつかさ。コミックマーケットに付き合わされた時はへとへとになっていたのに、大物なのか耐性が付いたのかはたまた何も考えていないのか。とりあえず3番に一票。
 そしてつかさの言葉に、こなたは指を立て指を立て指を立て指を立てそして指を立て、マニア御用達の店の名前を連呼する。
「まずは喫茶店で休んで時間調整してから、アニメイト行って、その次はとらのあな。本当はメッセサンオーやラオックスやソフマップやイエローサブマリンやR&RショップやメロンブックスやゲーマーズやK‐BOOKSやヨドバシカメラや書泉ブックタワーにも行きたいけど、つかさやゆーちゃんが参っちゃうからそれくらいで」
「私はいーのか」
 近頃、いや、ずっと前から自分をオタクに引き込もうとするこなたの言動に、呆れるやら気疲れするやらのかがみであった。


──11:10 「アニメイト」秋葉原店1階──

 コンプティークの山。
 コンプエースの山。
 コンプヒロインズの山。
 ニュータイプの山。
 そして、コミケカタログの山……にはまだちょっと早い。
 これらの山岳地帯を一望し、陵桜学園探検隊の泉隊長は、魂の奥底までを奮わせる感動のあまり悶えるような一声を発した。
「おお、我が故郷!」
「あーのーねー?」
 しょっぱなから奇声を上げるこなたに頭を抱え、かがみは頭痛を催した。周りを見るとつかさとゆたかはすっかり引いているし、買い物客も平静を装いながらも動揺を隠せない。
「いきなり何よ。アニメイトなら大宮にもあるじゃない」
「量が違うよ量が」
 ちっちっと人差し指を振り、格好を付けるこなた。「そこで格好を付けて何の意味があるんだ」とかがみは思ったが、「そうだよね」とばかりに頷くつかさとゆたかに水を差すのは嫌なのでスルーしておく。
「……まあ真面目な話をすると、大宮店の店長さんはいっつも気合が入り過ぎて暑苦しいんだよね。まるで画風がまるっきり違う二人の漫画家がコラボした時に、特定のキャラの周りだけが別次元に見えちゃうみたいにさ」
「随分具体的な例よね……」
 アニメイト大宮店の無闇に暑苦しい店長や店員を思い出しながらかがみが毎度の反応を見せるが、こなたは構わず、平積みになったコンプやコンプエースやコンプヒロインズやニュータイプを品定めして、ぼそりと呟くには。
「私達の世界に『らき☆すた』のコミックスやアニメはないはずだから、2007年の初夏には何が平積みされてるんだろ?」
「いや、そんな話をされても……。きっとにゃもー先生が、他のキャラクターを使って漫画描いてるんじゃないか?」
 そう、例えば双子キャラクターを使わずに、全く別のボケ役と突っ込み役が出てきて、主人公がクールな戦闘系の話とか。
「あ、コンプで『きら☆すた』の特集してるよお姉ちゃん。このこなちゃんみたいな子が主人公で、そなたちゃんっていうんだけど、クールで素敵なんだよね〜」
「やっぱりあるんかい。にしても安易なネーミングだな」
 なお詳しくは、『真 らき☆すた萌えドリル〜旅立ち〜』のこなたシナリオを参照。
「合言葉は『おはきらきらー!』。連載しているコンプティークで、小神あきらさんが読者コーナーも担当しているんですよ」
「染まってるねぇゆーちゃん。愛い奴愛い奴」
 そんな裏話はさておき、つかさとゆたかもそれぞれ雑誌に手を伸ばそうとするが──そこにこなたの制止が飛んだ。
「あ、二人ともそれは後。まずはエレベーターで売り場最上階へ行って、そこから全階層コンプリートだね」
「こなちゃん/お姉ちゃん、何で?」
「階を巡る毎に荷物が重くなるし、階段は上るより下りる方が、引力をそのまま使えるから全体的な負担は少ないんだよ」
 つかさとゆたかのもっともな疑問に対して、こなたは学校の先生のように人差し指を立てて解説。
「うわぁ。こなちゃん/お姉ちゃん詳しいんだね」
「アンタ、楽するためなら頭の回転速いな。ちなみに下りる方が瞬間の負担が大きくなるから、後で脚が痛くなりやすいんだぞ?」
 素直に感激するつかさにゆたかと、そこで細かい注意を入れるかがみ。そんな三人を見たこなたは、口元を猫っぽくしてにんまりと笑う。
「みんなそーいう所が萌えるよね〜。そしてかがみだけは、私と一緒に18禁の本漁りをするべく地下へ──」
「行かないわよ! というか学生が成人指定買うな!」
 無茶な意見を述べるこなたに耐えきれず、かがみは思わず絶叫を上げた。周りを見るとつかさとゆたかはすっかり引いているし、買い物客も平静を装いながらも動揺を隠せない。
 そんな周囲の状況に、かがみの頬にほんのり血の気が差して──、
「うるさいよかがみ──むぐっ!」
「うるさくさせたのは誰だと思ってんのよ、まったく」
 ──血の気は、こなたのうるさいお口にハンカチを突っ込んだおかげで引いて行ったようだ。
 

 そして四人は、次のエレベーターを待つ列に並ぶ。目的地は7階のDVD・ゲームソフト売り場。
「ちなみにエレベーターの使用を一回だけにするのは、一基しかないエレベーターを待つ時間を最小限にしようという考えもあるのだよ。移転前のラオックスのアソビットシティはエスカレーターがあったし、エレベーターも二基あって使いやすかったのになー」
「いや、だからどこなのよそこ……」


──11:50 「とらのあな」1号店5階──

 そこは雑踏の巷だった。形容するなら混沌の渦、もしくは魔女の大鍋、さもなくば闇鍋。
 同人誌売り場には、大勢の買い物客がいて、みんな品定めに余念がない。先に入った本店では女性が多かったが、こちらでは男性が明らかに多く、つかさは姉の、ゆたかは従姉の後ろに隠れるようにおずおずと足を踏み入れていた。ゆたかはともかく、かがみとほぼ同じ身長でこなたより二十センチ近く大きいつかさは、はっきり言ってあまり隠れていないが。
 フロアを埋め尽くす人混みを見ながらかがみは、顎に手を当てて感心したように唸る。
「昼食時なのに、よくもまあ大勢いるものよねぇ」
「重度のマニアは、食事を削って趣味につぎ込むからね。コンプ祭りに備えて断食するとか、夏コミを控えて断食するとか」
 こなたのそんな発言に、かがみは即座に「そりゃアンタでしょうが」と言いそうになったが、毎度毎度突っ込むのもそろそろ面倒になっていた。
「そこまでディープでない人でも、食事場所の混雑時間を避けるって考えはあるし」
「こんなにあちこち回ってると、今日はお腹がすいちゃうね」
 大物なのか、単に慣れなのか、こなたの発言をスムーズに受け流すつかさ。こんな表現は前にも使っているが、つかさのダメっ子ぶりからは、いくら無理しても大物感は感じ取れないのではないだろうか。
 そんなマイペースな面々に混じり、ゆたかが手にしてこなたに示すのは、綺麗なキャラクターの絵が表紙の本。
「ねえお姉ちゃん、これってどんなお話──」
「あー、それはダメ。ラベルの縁が赤いのは成人指定の同人誌だから、ゆーちゃんにはちょっと早いと思うよ? もし気になるなら相談の上で私が買ってウチで見せてあげるから」
「こなちゃん、それってまずいんじゃ……」
 こなたとゆたかのやり取りに苦笑するつかさだったが、そこにこなたから思わぬ攻撃が飛ぶ。
「んで、つかさが興味持った分はかがみが買うよーに」
「ふ、ふぇぇっ!? わ、私達は同じ年だしっ」
「買わないわよ。……まあ、過激なのじゃなければ考えてもいいけど」
 双子とは思えない落ち着きぶりの差は、立ち位置のせいなのか元からの性格か。
 まあ多分両方。
 

 そして売り場の奥まで入る一同だったが、周りの同人誌の半分から三分の二くらいはラベルの縁が赤い本。棚によっては八割くらいがそういう本だった。ゆたかとつかさの顔はますます赤くなり、ゆたかは驚きのあまり目を見開き、つかさは恥ずかしそうにあちこちへ目を逸らす。
「ひゃあっ……。ゆいお姉ちゃんは連れて来られないかも……」
 警官である実の姉を思い出しながら、それでもあぶない描写の表紙から目を離せないゆたかを見て、こなたはけだるい声で不満をぶちぶちと洩らしている。
「中高生に親しんでもらうためにも、この傾向はどーかと思うんだよね。無責任なマスメディアに同人誌がこーいうのばかりだと思われると困るよホント。私的には絵と話の質が良ければどちらでもいいんだけど、せめて池袋店や名古屋店や難波店みたいにきっちり棚を分離してほしいよね」
「イベント関連で行ったのかアンタ? というかつかさも、ラベルの縁が緑じゃない見本は見ちゃダメよ」
「見たくなくても飛び込んでくるの〜! こっちにもそなたちゃんとかがりちゃんがあんな事やそんな事してる表紙が〜!」
 単独で区画を占領している『きら☆すた』の同人誌では、長髪でクールなちびっ子のそなたと、ツインテールでしっかり者なのに微妙な所が抜けているかがりが目立っていた。全年齢向きの本も、十八歳未満お断りの本も。成人指定の本だけでなく一般向きの本でもそなた×かがり、もしくはかがり×そなたが多いのかと思うと、自分とこなたがそんな関係のような気がして、かがみは微妙に嫌な気分になっていた。
「こんな表紙見てると、こなちゃんとお姉ちゃんでヘンな想像しちゃうよぉ〜!」
「友人と姉で変な想像するなよ……」
 視線の暴力に泣き続ける妹に、かがみは口では呆れながらも、自分用の同人誌探しをあきらめてつかさと一緒にフロアを出てしまおうと考えていたが……、
「あ、ひよりん」
 こなたが指差した先に、長いさらさらの髪の女の子がいた。その女の子は、向こうでもこちらに気付いて歩み寄ってくる。
「泉先輩? 小早川さんや柊先輩達も?」
 ゆたかの同級生であり、アニメーション研究会の若きホープでもあり、自分で同人誌も作っている田村ひよりが、見本誌を片手に、購入予定の本をもう片手に抱えていた。当然ながら私服で、おしゃれの度合いはこなたより少し上程度。丸い感じの目を生き生きと輝かせ、いかにも青春を謳歌しているといった雰囲気が漂う。
「いや、これは奇遇ですね。『きら☆すた』の同人誌を目当てに来たんですけど、これがもう質の良いのが多くって」
 ここで何を思い返したのか、満面の笑みは一転して暗い表情へと早変わりして――、
「あまりの上手さに創作意欲がへこんじゃいましたけど」
 そして再び、照れくさそうな、だけど心からの満面の笑み。
「だからといってくじけるわけにもいかず、自分は自分なりにできる事をやるまでだと決意も湧きましたっ」
「うーん、ひよりん声優みたいだね。例えるなら新谷良子さんか清水香里さんって感じ?」
 つかさと同じくらいの薄い胸(一応、こなたやゆたかよりはしっかりとした膨らみがある)を張るひよりに、こなたはエレガントに──ただし付け焼刃っぽく──感心してみせた。その演技には微妙に、広橋涼とだらけた平野綾を混じらせて。
「ねえねえ、ひよりちゃんとしてはどれがお勧め〜?」
「初めてで不安だったけど、田村さんがいて良かったなぁ」
 などと思い掛けない出会いに喜ぶつかさやゆたかの横で、冷静なかがみがぼそりと注意するには。
「……田村さん、アンタ何歳?」
「いやー、ここではその話は無しとゆー事で……」
 と言いながらひよりは、ラベルの縁が赤い見本誌をこっそり棚へ戻した。
(…………さすが柊かがみ先輩、ツッコミが厳しいっス。キャラ的には風紀委員がぴったりなのに、お友達の峰岸さんがなってるっていうのは残念っスねぇ)
 そーいう勝手な妄想をされているとはつゆ知らず、かがみは不安で一杯だったつかさが落ち着いた事にひとまず安心して、ひよりにはそれ以上厳しい事を言わずにいた。そしてついでに、ふと気に掛かっていた事を指摘してみる。
「ところで今、奥の方で桜庭先生と黒井先生を見掛けたんだけど」
 桜庭ひかる。かがみの担任で、小さな身体にオヤジっぽい中身という点でこなたに似ていなくもない生物教師。アニメーション研究会の兼任顧問なので、ひよりとも面識がある。
 黒井ななこ。こなたとつかさの担任で、長身で胸も大きい、こなたとはネットゲームやその他のゲームで仲の良い世界史教師。
「え? アニ研顧問の桜庭先生は分かりますけど、なんで黒井先生が?」
 黒井先生の行動パターンに詳しくないひよりが、眼鏡の中のぱっちりした目を丸くする。
「ななこさんはネトゲやってるから、同人誌にも嵌まったんじゃないかな? いや、最近アニメ化した野球漫画があるからそちらが目当てだとか……ってゆーちゃん、大丈夫?」
「う……う、大丈夫じゃないです……」
 ひよりに出会ったところで緊張の糸が切れ、激しい人いきれにも当てられていたらしく、ゆたかがすっかり顔を青くしている。
 くらりと身長が百四十センチもない小柄な身体が倒れるのを見て、つかさが慌てて(いるつもりだが、普段からあわあわした行動を取っているためいつも通りにしか見えない)背後から支えた。
「ゆ、ゆたかちゃん!?」
「ちょっと待ってなさい──はい田村さん」
 かがみはすかさずひよりにゆたかを渡して、ついでに持ってきたスポーツタオルも渡して指示を出す。
「ゆたかちゃんを連れて、落ち着けそうな場所で休ませてあげて」
「了解しましたっス、かがみ先輩。2階の商業誌売り場で待ってますから、代わりに本の会計お願いします」
 かがみに同人誌と財布を渡し、ゆたかを連れてエレベーターで降りていくひより。それを見送ったところで、こなたはかがみの背中に密着して、秘め事のように囁き掛ける。その内容は別に甘くもなく、どちらかというと酸いも甘いも噛み分けた熟年夫婦のような──かは知らないが、まあそんな感じで。
「ねぇかがみん、何で自分やつかさや私じゃなくて、同人誌買おうとしてたひよちゃんにゆーちゃんを委ねたわけ?」
「そ、それは、同じクラスの田村さんならゆたかちゃんの具合を見るのに慣れてると思っただけよっ」
「『とか言いつつひよちゃんを先生達から庇おうとしたかがみ萌え』……って事?」
「変な真似するなつかさっ!」
 満足げに頷くこなたと、珍しく姉に対して強気なつかさに、かがみは耳の先まで赤くなった。
 なお、ここまでの展開は、他の買い物客や店員の邪魔にならない所で行われているのであしからず。
 

 ちなみにこの後、もう一つ下の階(やはり同人誌売り場)で会った黒井先生に「18禁は買うとらんやろな?」と問い詰められ、「そーいうのはお父さんに買ってもらってますっ」と正直に白状したおかげで、こなたは黒井先生と桜庭先生から油を絞られる事になる。


──12:30 秋葉原中央通り──

「いやー、今日は収穫少なかったよ」
 と、こなたが言葉に反した満足げな顔で呟くと、
「という事は、普段はもっと多いんだ、こなちゃんの買い物」
 と、つかさはちょっぴり引き気味に驚いた。
 アニメイトととらのあなで散財した五人は、手元に荷物を増やし、中央通りの歩行者天国を歩いている。こなたは漫画やらアニメグッズやら音楽CDやらゲームソフトやら同人誌やらを買い込んで、ひよりは漫画と同人誌とライトノベルでそれなりの量を買っている。かがみもライトノベルやそういった作品関係の同人誌を買って、つかさとゆたかもほんの少しだが漫画や同人誌を買っていた。
「確かに同人誌の新刊は少なかったですけど、あちこちのサークルが、夏コミを控えて新作を作ってる最中ですからね」
「そー言うひよりんは、新刊の発売間に合うのかなー?」
「一冊目の原稿を、昨日印刷屋さんに渡しました。あとひよりんは恥ずかしいっス」
 そんな会話の二人の後ろで、感慨深げにしながら歩くかがみ。
(話の内容が分かっちゃう自分が怖いけど……田村さんと話してると、なんだかこなたが普通に見えるのよね)
 オタクとはいえそれほどディープではない(かといって浅いわけではないが)ひよりがいるだけで、場の毒気が中和されるのか、ひよりは地味ながらもこなたとかがみ達の間で場を取り持っていた。一応物理的にも、こなたとかがみの中間辺りの大きさだったりするし。
 日差しの強い歩行者天国を歩きながら(当然、ゆたかは日傘を差している)、かがみはこなたの手元を見て、どこか感心するように微笑む。
「でもこなたって、意外と普通のを買ってるのね」
「確かに私は18禁も読むけど、全年齢推奨じゃないと布教用には使い辛いんだよ? 黒井先生がいなければ、18禁も買い漁れたのになぁ」
「あーさいですか」
 露骨に「こいつアレだな」という目で見るかがみにこなたは少し寂しげになるが、とりあえず布教の機会は逃さず、ゆたか相手にアプローチを仕掛けてみる。
「ゆーちゃんにも、18歳になったらソフトなのを見繕ってあげるからね」
「え、遠慮しますっ」
 『暴走列車』と親戚内で異名を取る実の姉のゆいと方向性が違っても、こなたには別方向で付いていけない所を感じるゆたかであった。
 と、そこでつかさがいきなり、通りを歩いている二人組に手を振った。二人とも女子高生だが、平均よりかなり身長が高い。着ているものはセンスこそ良いが普段着で、たぶん都区内の住民だと思われる……というか、こなた達はその二人組の事を知っているが。
「お〜い、ゆきちゃ〜んっ。ほらほらゆたかちゃん、みなみちゃんもいるよ?」
「確かにみゆきさんだ。相変わらず萌える服装で」
 こなたが見たのは、同じクラスの高良みゆきと、ゆたかやひよりと同じクラスの岩崎みなみ。二人の家は東京都内の高級住宅地……というよりはお屋敷町という語感が似合う敷居の高そうな所にあるが、住人は敷居が高くはなく、こなた曰く「どことなく遺伝的余裕が滲み出てるよね」という、良い意味での都会人らしさがみなぎっている。
「ホントだ。高良先輩、みな……岩崎さんと一緒だね」
「…………」
 ゆたかが顔をうつむけて、どうしてもみなみを「みなみちゃん」と呼べず、「岩崎さん」としか呼べずにいる。それを怪訝そうに見るみなみだが、どうすればよいのかよく分からずに戸惑っていた。
「こんな所で奇遇ですね、つかささんに皆さん」
「う、うんっ。ゆきちゃんとみなみちゃんとこうして会えるなんて思ってなかったよ〜」
 みゆきがお嬢さんらしくゆったりと頭を下げ、つかさもぎごちない挨拶を交わす。その横ではみなみとゆたかが二人の世界を作って……ではなく、口数の少ない中に心を通い合わせようと苦心している様を感じさせてくれた(特にひよりに対して。……一応妄想ではない、はず)。
「うーす、みゆきにみなみちゃん。暑いのに大変ね」
「ええ。……ゆた……小早川さん達もお買い物?」
 かがみに便乗して勇気を出そうとするが、やはり、「ゆたか」とは呼べずに「小早川さん」としか呼べずにいるみなみ。やはり一度定着した呼び名は変えにくいが、それでも障害を乗り越えようと二人は苦闘を続けている様子は幾分か甘酸っぱい青春の味。
「そうだよみな……岩崎さん。こなたお姉ちゃんにお付き合いしてるの」
「私は一人で来たんだけど、ちょうどそこで小早川さん達にばったり会っちゃって」
「……ん」
 ゆたかの後ろで肩に手を添え、ひよりがVサインを両手で作る。それを確認したみなみは、ひよりにそっと会釈を返した。
 こなたはみゆきを見て、みなみを見て、そして周囲の店を見回す。
 ゲームソフトの店、ホビーショップ、免税店、ゲームセンター、それらの狭間にある居酒屋、ラーメン屋、昆布屋、工事現場、そしてオフィスビル、どれを見てもみゆきとみなみの用がある店には見えない。
「二人とも秋葉原というよりは神保町向きの人材だけど、まさか宗旨替えでもしてくれるの?」
「こなちゃん……。普通は秋葉原に来る人は、電化製品を買うんじゃないの?」
 こなたの後ろで困ったようにしているつかさに対して、みゆきの後ろにいるみなみが微妙に(それこそ、ゆたかしか分からないほど)笑みを見せてくれた。
「実は、つかさ先輩の言われる通りです」
「母が『地デジ対応なんてめんどくさーい』というもので、みなみさんと一緒に地上波デジタル放送に対応しているテレビについて調べたいと思いまして」
 みゆきのそんな声色付きの言葉に、一同は「ああ、あのお母さんなら」という表情で一斉に頷いた。みゆきの母──高良ゆかりは、育ちの良いお嬢様がそのまま大人になったような、能天気な天然系お母さんである。……天然系である以外はほぼ完璧なみゆきとは逆に、天然系である以外に取り得があまりないような人だが。
「チューナーで済ませるか買い換えるかも判断が必要よね。ま、ここで奮発した方が無駄じゃなくていいんだろうけど」
「そんなのどーせ延期になるからだいじょーぶ。埼玉県の辺境はまだまだ放送範囲外だし♪」
「電車走ってる所を辺境呼ばわりなんて、ホントに僻地に住んでる人に抗議されるぞ?」
 こなたの地元に失礼な発言に、かがみはつい苦言を呈する。ちなみに埼玉県の場合、秩父地方やその隣接地帯が一般に想像される「僻地」だろう。とはいえ地上波のチャンネル数は8つもあり、しかも1つは深夜アニメが多い独立UHF局なので、DVDの発売を待つしかない地域に比べれば楽園だけど。
「ところで、地デジって何が良くなるんだろ?」
「ええ、それは──」
 つかさのもっともな質問に、みゆきはちょっぴり首をかしげて──、
「──すみません、さすがにそこまでは。逼迫していた電波の割当数が増えるというのは、どちらかといえば送信側にとっての利点ですし……増えた電波をいかに活用するかが今後の見所でしょうね」
「区域外再送信が規制されるし、工事費用は全部ユーザー負担だし、視聴者の不満を無視するし、変な所でCM入れて姑息な視聴率稼ぎをするし、ゴールデンタイムのアニメは激減してるし、うちにはケーブルテレビを引けないし!」
「こなちゃん、私情混じってる……」
 変な所でスイッチが入ってしまい、歩行者天国の真ん中で暴走するこなたに、つかさはちょっと引き気味。というかここまでやられて引かないのは、恐らくみゆきくらいだろう。
「と、ところで岩崎さんも高良先輩も、昼食しました? 私達は『肉の万世』で食事してから帰る予定ですけど。……さすがにお財布の余裕はないのでハンバーグ辺りで」
「…………」
「ああ、その事ですけど」
 ひよりの質問というか誘いというか、こなたが突っ走るのを修正して話を元に戻そうとする意図に、みなみは無言でみゆきの方を向いた。みゆきはそれを通訳するように、これからの予定をみんなに説明する。
「情報収集はできましたし、食事は早めに済ませましたので、このまま神保町まで歩いて、三省堂や書泉ブックマートや書泉グランデや東京堂を回って行こうと思いまして」
 秋葉原から神保町の東端である駿河台下までは2キロメートルほど。電車で行けない事もないが、目的地へ直接行けなかったり、地下鉄で駅の階段が多かったりする事も考えると、天気がよければのんびり歩いていくのも考慮に値する。こーいう事もあって都会の人は、自家用車に乗ってばかりで歩かない田舎の人より運動しているのだが、それはさておき。
「すごっ。私はブックマートしか行かないのに」
「私は、漫画の資料が欲しい時にグランデも回りますね」
「……まあ、こなたが大宮でアニメイトとゲーマーズの両方を回るみたいなもんよね。観賞用・保存用・布教用とかじゃなくて、品揃えの違う分をフォローしたいんだろうけど」
 そういう読書家の行動パターンは、こなたにとっては理解の範疇外のようだが、ひよりやかがみはそれなりに理解できるらしい。
 みんなの感想にみゆきは謙遜して手をぱたぱた振り、弁解するように補足する。そんな仕草があまり謙遜でもないのに、嫌味には決して映らないのは、人徳のためか、それとも母譲りのちょっぴりドジな部分のせいかは微妙な所。
「いえいえ、私達は古書店までは足を伸ばしませんので。あ、近頃は新宿のジュンク堂にも足を伸ばすんですよ」
「神保町の近くってカレー屋さんが多いのよね。あそことかあそことか今度行こうかな?」
「外国の食品や食材は池袋のサンシャインシティのインポートマートの舶来横丁が豊富でしたけど、近頃閉店の模様で残念です。でも近頃は秋葉原にも輸入品の飲み物や調味料を売っているお店がありますし、種類によってはアメ横でも扱っていますよね」
「おせちの材料もあそこで買うのが定番よね。ところで上野っていえば、国立西洋美術館のロダンの『地獄門』が結構素敵じゃない?」
「『地獄門』や『考える人』は世界中に何ヶ所かありますよね。そういえば、あそこの建物が世界遺産候補になるらしいというのはご存知ですか?」
「ル・コルビュジエのね? やっぱりフランスの近代建築の走りとしてはエッフェル塔があるんだけど、あの存在感は中心部から離れている東京タワーより名古屋や札幌のテレビ塔に近いものがあるんじゃないかなーって」
「名古屋には行った事がありますけど、中心部の升目型の町割りは京都や大阪、札幌に似ていますよね。実際、名古屋や大阪や札幌の中心部は、京都の町割をモデルにして造られているそうです」
「京都かぁ。一度は家族みんなで行ってみたいんだけど、ウチは神社だから氏子さん達をほっとけないのよねぇ」
「元来、氏神と産土神というのは違うものなのですけど、同じ出身地の人達が擬制的な同族関係を結ぶ現象は平安時代の後期から見られたようですし、混用しても仕方がないかもしれませんね」
「神社っていえば、拝殿と本殿の両方があるタイプと、拝殿だけしかないタイプがあるのって知ってる?」
「ええ。三輪大社や那智大社のように自然の何かがご神体というケースですよね。本殿も伊勢や出雲のように大型のタイプと、春日のように小型のタイプがありますし、お神輿もいわば持ち運び可能の本殿ですよね」
「だからお神輿は、一つの神社のお祭りだと普通は神様の数しか出ないのよ。東京みたいに電線に引っかかるからって山車がなくなって神輿ばかりなのは邪道よ邪道。……で、出雲って蕎麦も有名なのよね。西日本で蕎麦なんて珍しいけど、やっぱり気候が良くないせいなのかしら?」
「日照時間が少なく、水や養分、高温にも恵まれない土地が多いからではないのでしょうか。蕎麦は条件の悪い土地で主に育てられますから、『蕎麦の自慢はお国が知れる』という言い回しもありますね。これとは少し話が違いますが、埼玉県の熊谷辺りでうどんが名物なのは、作っていたお米が高級品なので食べるのはもったいなく、お米はできるだけ売り払い、代わりに小麦を主食にしていたからだそうです」
「ところで、普通の小麦とデュラム小麦ってどう違うの?」
「デュラム小麦は乾燥した土地に適応した品種で、イタリアでは南部で作られ乾燥パスタの材料となっています。北部ではデュラム小麦は作れないため、普通の小麦で生パスタを作ったり、お米でリゾットを作ったりしていますね。乾燥パスタの黄色い色が、デュラム小麦の実の色ですよ」
「そういった外国の食材って、近頃だとスーパーでも売ってるけど、どこへ行けばたくさんあるかしら?」
「それはやはり輸入品の食材を扱うお店で──」
「いやだから、みゆきさんもかがみも私をほったらかしにして話をしないで……」
 話題について行けないこなたが声を忍ばせ嗚咽するが、みゆきもかがみも話に没頭しているのか放置する。頭の良い、分野を問わず本が好きな人にありがちだが、話の主題を意識せずに好きな事を勝手に話し、余人には理解し難い複雑な連想で話の内容を次々に飛ばしていく癖があるらしい。人当たりも良い二人が、人見知りの激しいつかさやディープ過ぎるこなたと同レベルに友達が少ない理由には、多分この癖もあるのだろう。
 ちなみにその間、つかさはひよりに新しいネタを話して(端からはじゃれ付いているようにも見える)、あまりの使えなさと申し訳なさでひよりを悶え苦しませていた。ゆたかとみなみも向かい合い、無口ながらも想いを交える(特にひよりに(後略))。
 それでもいずれは話も尽きて──女の子としては長話をしない二人が「そろそろこの辺で」と話を終えたところで、自然と即席井戸端会議は散会と相成った。
「それじゃまたね、い、岩崎さん」
「小早川さんも泉先輩もお元気で」
 結局二人は、今日もお互いの呼び方はそのままだったが、やがていつかは──その先は未来のお楽しみ。
 みゆきとみなみは明神下方面へ行き、こなた、かがみ、つかさ、ゆたか、ひよりは総武線のガードをくぐって万世橋方面へと分かれていく。燦然と輝き黒い路面に照り返す初夏の太陽は、生命の鼓動さながらに、世界を鮮やかに彩っていた。
 二人の姿が交差点の向こうに消えて、かすかな蝉の鳴き声を耳にしながら、こなたが名残惜しそうにぽつりと呟くには。
「……何だか、せっかくの休みなのに登下校しているみたいな感じだった」
「すっごい失礼な感想だな」
 かがみのうんざりしきった反応に、残り三人はこっそり頷いた。


──14:10 東武伊勢崎線急行車内──

 東急田園都市線の車輛、二十メートル四扉の十輛編成、塗装はステンレス地に赤い帯。そんな事はこなた達には関心ないが、東武伊勢崎線の準急が急行に名を変えるまでは縁遠かった赤茶の席の電車も、今ではすっかり慣れたもの。
 複々線区間を快調に走る車内には、鉄輪が軌条の継ぎ目に当たる二連のスタッカートが次々と響き渡る。冷房の効き具合も良好で、つかさはついあくびを上げていた。
『本日は、東武電車にご乗車頂き有難うございます。この電車は、急行、南栗橋行きです。この電車は草加、新越谷、越谷、せんげん台、春日部、東武動物公園から先の各駅に止まります。次は、草加、草加です。松原団地、新田、蒲生へおいでの方は、草加でお乗り換え下さい。この電車は終点の南栗橋で、普通新栃木行きに連絡いたします──』
「昔は浅草発の準急がデフォだったのに、世の中随分変わったよねー。夕方に私を日光に連れてってくれた準急東武日光・東武宇都宮行きもなくなっちゃったし」
「その代わり、朝に逆方向で中央林間まで乗り過ごさないでしょうねアンタ?」
「あはは……ゆきちゃんが帰りに乗り過ごしちゃうかも……」
「私がこっちの電車に乗るのは今年からだけど、伯父さんが『昔は幸手始発の電車で座って行けたのに、南栗橋始発になって座れなくなった』って話してたっけ」
「それって確か、私や小早川さんが生まれる前だよね……」
 そして帰りは地下鉄日比谷線の秋葉原駅から東武伊勢崎線に直通している電車に乗って西新井まで行き、地下鉄半蔵門線から来て日光線の南栗橋へ行く急行に乗り換えた(北千住で乗り換えると階段の上り下りが面倒だが、西新井では同じホームで乗り換えできる)。柊姉妹の最寄り駅に行くには次に来る久喜行きの急行に乗って終点で乗り換えるのだが、ゆたかがちょっと心配な二人は、伊勢崎線から日光線が分岐する東武動物公園まで付き合う事にしていた。帰る方向が近いひよりも、一緒に乗っている。
 五人が乗ったのは一番端の車輛。東京へ出た人が帰宅する時分にはまだ早いのか、車内にはあまり人がいなかった。とはいえ五人で七人掛けのロングシートを独占しても、ゆたかを横にすると、こなたが買い込んだ山のような荷物を脇に置けるような余地はない。それくらいなら複数の席に分かれればよさそうなものだが、そこまで考えないのが女の子。たとえ少しの時間でも、できるだけ近くに寄り添っていたいのだった。
 もっとも、荷物が多過ぎる当事者にとってはそんな事嬉しくも何ともない。
(……調子に乗って買い過ぎたかも。コンプ祭りや夏コミに備えてバイトを増やさないと……)
 ……もとい、こなたにとっては当座の問題より今後の問題の方が大き過ぎるようだ。
 ともあれ、まるで地獄で石を負う刑を受けた囚人の如く、こなたは自らの煩悩とその他諸々の業を膝上に積み上げていた。
「荷物、持ってあげようか?」
「え?」
 背が低いこなたの視界を塞ぐような大荷物を見かねたかがみがそう言い出すが、こなたにはそんな気を利かされたくない事情があったため、表情は固まり一気に青ざめて、背中一面に冷や汗が滲み出す。
「なーにあんたらしくない遠慮してんのよ。いつもだったらダラけた声上げながら押し付けてくるじゃない。あ、まさかおじさんに頼まれた大事な物だとか?」
「いや、今日は自分用だけど……」
 弁解と共に荷物をかがみと反対方向に向けるこなたは、内心焦りを感じ始めていた。
(……まずい、今かがみに荷物を見られては……)
 こなたが今持っている荷物の一番上は、地下の18禁ソフト売り場で購入した巫女凌辱系ゲーム。こんなピンポイントな代物を見られては、絶交されなくてもしばらくは冷たい視線を浴び続けて、宿題も写させてもらえなくなる事間違いなし。
(ううっ、こんな事になるならシスター凌辱系にするんだった〜!)
 とゆーかいくら18歳でも、高校生がそんな物買うな。
「私が途中まで持ちますよ。こーいうのは(即売会の同人誌搬送で)そこそこ手慣れてますし」
(ナイスひよりん!)
 思わぬ助け船に、こなたは心の中で親指を立てて「グッジョブ」と喜んだ。
 ひよりはこなたから荷物を受け取り──その瞬間、袋の中をちらりと見てしまった。顔と手元は引きつり、声を小さく震わせて、名状し難い感情を込めてこなたの名前を呼ぶ。
「…………泉先輩……」
 どうやら助け船は泥船だったらしい。こなたは心の中の親指を下向きにしながら、背中の冷や汗が全身に拡大する。
(しまった、一番上には眼鏡っ子凌辱系もあったか! しかもヒロインがひよりんに似てるし!)
 返す返す(以下略)。
「どうしたの、田村さん?」
「わわわわわわー! 小早川さんは見ちゃダメー!」
「えー。こなちゃんがどんなの買ったのか私も見てみたいしきゃっ!?」
 ゆたかとつかさの二人に同時に詰め寄られ、ひよりはバランスを崩して床にずり落ちてしまう。利き手の左手を庇った反動で、ひよりはこなたの荷物を落としてしまい、上の方に詰めていた二、三本のソフトをぶちまけてしまった。
「あづづづづづ……」
「あー!? ごめんなさい田村さん!」
「ほら、まず立って田村さん──て!?」
 つかさとかがみがひよりを助け起こし、ゆたかも荷物を拾おうとしたら、ひよりが何とか隠した巫女(略)と眼鏡っ子(略)の脇に、もう一つあったのは。
「妹凌辱系? 何買ってるのよアンタは?」
(しまったああああ!! アレは凌辱シーンまでパッケージに表示してあったっけ!!)
 かがみのうんざりしたような怒る声がこなたを現実に引き戻し、とっさにこなたは事態を収拾するために言い訳を始めるが、毎度の如くその意図は外れていく。やはりディープ過ぎて、世間ずれならぬ「世間ズレ」が激しいせいだろうか。
「いやそれはその、ってゆーか、パッケージ見ただけでそこまで理解できるとは随分業が深くなったもので」
「あのいかがわしいパッケージを見れば、嫌でも分かるわよ。そう、あんたと友達だって事がとことん嫌になるくらいね」
「あーやだな、そうやってオタク糾弾に走るのは──」
 腹が立ってエキサイトしかけたこなただったが……そこでかがみ達の冷たい視線を浴びて背筋が凍り付く。
「他の代物はまあ我慢できるけど、そーいうのは人倫に反してない?」
「……こなちゃん、そんなの本当にやるの?」
「お姉ちゃん……っ」
「泉先輩……お兄ちゃん達もそーいう手のモノは絶対描かないのに……」
 呆れ果て。
 怯えるように。
 悲痛な。
 落胆の。
「あー……えーと…………」
 そんな四人の気持ちが、責め立てるようにこなたの全身に突き刺さる。
 ちなみに、ここにいる五人は、こなたを除く全員が兄や姉を持つ、要するに誰かの妹。
「…………………………………………」
『まもなく草加、草加です。草加の次は新越谷に止まります。松原団地、新田、蒲生へおいでの方は、向かい側のホームの普通北越谷行きにお乗り換え下さい──』
 けだるい響きの車内放送をイベント失敗かバッドエンドのBGMに、摂氏マイナス273.15度の視線を浴びながら、こなたの意識は微妙に薄れていった。


──15:20 北葛飾郡鷲宮町某所、柊家自宅──

 そしてかがみとつかさは、東武動物公園でいったん降りて、次に来た急行の終点の久喜で同じホームの館林行きに乗り換え、鷲宮で降りて神社の隣の自宅に戻ってきた。普段の通学時間には六輛編成の電車が太田まで直通しているが、日中は十輛編成の電車が久喜までしか行けないため(というか、この電車は都心の反対側から約百キロを走ってくる電車なうえに、乗り入れ先から来る電車は十輛編成を分割して短くできないため)、最寄り駅の一つ手前で乗換えを余儀なくされる。ダイヤ改正した頃は、つかさはそれが理解できずに、夕方まで家に戻って来られなかった事もあった。
 荷物を下ろして一息ついて、シャワーも手軽に浴びて、かがみの部屋で買ってきた本を広げて談笑しながら、姉妹は楽しい一時を過ごす。
「ちょっぴり高かったけど、この同人誌って面白いね〜」
「思いがけずみゆき達にも会えたし、今日はいい日だったな」
 そこで何を思い出したのか、真っ赤になるつかさ。おずおずと口を開け、必要もないのに汗を垂らして今日の体験を振り返る。
「……ところで黒井先生も桜庭先生も、じゅうはちきんとかいうのを買ったのかな?」
「……成人してるから気にしなくていーの。そんなのばっかり買い漁ったりしなければ、そう目くじらを立てる事ないんだし」
 とはいえ、純真なつかさにはそういう本を買ってほしくないというかがみの考えは、きっと多分、双子の姉としてのわがままなのだろうと自制するだけの判断力はある。
(まさしく『鏡』よね、私のこういう思考は。まつり姉さんも、ノリはそのまんま『祭』だし)
 そういう気持ちがまさか通じ合ったわけではないだろうが、開けっ放しだった扉から二人の姉、次女のまつりが姿を見せる。
「んー、どうしたのかな妹達?」
「あ……ただいま、まつり姉さん」
 かがみとつかさより少し年上のまつりは、生き生きとした目を瞬かせて、汗を流してさっぱりした妹達を眺めながら「今日はどこ行ってたの?」と言わんばかりにしている。かがみはからかわれるのが嫌なのであえてスルーしていたが、つかさはそんな姉達の雰囲気に気付かず、素直に今日の報告をしてしまう。
「まつりお姉ちゃん、今日はこなちゃん達と秋葉原に行ってきたんだ」
「あー、かがみの男か。……って冗談なんだからそんな怖い目で見ないでほしいなー?」
 こなたは携帯電話へのメールを、「また二人で遊びにいこうね」などと紛らわしい件名で送り、まつりに変な想像を催させた事がある。「かがみの学園生活に彩りをだね」などとこなたはぬかしているようだが、そんな彩りは不要だというのがかがみの感想。
 こうした前歴のあるまつりは、上の妹に怖い目で見られながら、特段遠慮する事もなく平然とにじり寄り、肩越しに手元を覗き込もうとした。
「まさかかがみ、18禁の同人誌を買ったわけ?」
「──っ!」
 慌ててかがみは手元の『きら☆すた』の同人誌を隠し、部屋の隅まで飛びのいた。しかしまつりは懸命に食い下がり、妹の大人の階段を確認しようとしつこく迫ってくる。顔の造りはつかさに似ているまつりだが、持てる気力は正反対で、どーでも良さそうな事にまで食い付いてくる癖があった。
「さあさあ、私にも見せなさいよー♪」
「なな、何で姉さんに見せる必要あんのよ? 姉さんは昔、私やつかさが部屋に入るのも嫌がるくらいだったじゃない!」
 抵抗するかがみだが、微妙に気の利かない点はまつりと似ているつかさは、「お姉ちゃん達仲いいな〜」とばかりに、にこにこしながら傍観中。美人姉妹の絡みという、そうじろうが見たらうっかり萌死にして、ひよりに見られたら何のアイデアが出るか考えたくない状況に、かがみは今月最大のピンチに陥っていた……一応、七月も半分過ぎていないはずだが。
 などともつれ合う姉妹の騒ぎを聞き付けたのか、今度はまつりの後ろから、長女のいのりが頭を出す。
(あ、こんな感じの民芸品があったよね? マト……何だっけ?)
 などと関係ない方向へ思考が飛ぶ四女をさておき、長女は次女を羽交い絞めにして、解放された三女は乱れた裾を手早く直す。ぜーはーと息を荒くして顔も耳まで真っ赤な真ん中の妹と、あたふたしている下の妹を目にして、いのりはまつりを、かがみにそっくりな鋭い目で睨み付けた。
「まつり、そうやって妹をからかうんじゃないの!」
「えー、姉さんも昔私が買った時はさんざんお説教して」
「その後お母さんに揃ってお説教されたのは忘れてないでしょ? かがみもつかさも18歳なんだから、あんたよりは分別付いてるはずよ」
「……つまり、まつり姉さんも買った事があるのね」
 三女の呟きをよそに、長女と次女はそのままずりずりと遠くへ行ってしまった。柊家はかなり広いため、遠くへ行ってしまえばちょっとした叫び声でも聞こえる事はない。
「まったく! 昔からお母さんがいないとかがみに意地悪ばかりして!」
「だってかがみ、いっつもつかさの相手ばっかしてるしー!」
 ちょっとではない叫び声は、妹達の赤面が収まらない程度には聞こえるようだ。
 

 三女と四女は、とりあえず姉達を見送り、まったりした二人の会話に戻る。四女は三女に寄り添い、どころか完全に密着して。
「あんな所を見ると、やっぱりかがみお姉ちゃんも妹なんだな、ってつい思っちゃうよ〜」
「……つかさももうちょっと、姉さん達に構ってもらいな?」
 双子の姉べったりの妹を心配しながら、それでも自分と妹の距離を離そうとはせずに、かがみは本を整理してベッドの上に置いた。
(柔らかくていい匂い……って何考えてるのよ私)
 この距離に安心する自分にちょっとヤバさを感じながらも、愛おしさにはかなわず、まるで自分がつかさの母親であるかのように、自分が母親から受けた抱擁を思い出しながら、かがみはきゅっとつかさの身体を抱き締めた。
「いのりお姉ちゃんとまつりお姉ちゃんの件はさておいて、こなちゃん達はあの後どうなったんだろ?」
「そうね。あんなに落ち込んでいたあいつは初めて見たわ」
 東武動物公園駅で別れた時、蒼白になったままうなだれているこなたと、微妙に距離を置いているゆたかが、痛々しいほど目に焼き付いて離れない。
 二人が沈黙しているといつの間にか、父のただおが母のみきと一緒に、心配げに覗き込んでいた。
「友達の事で、何があったんだい?」
「かがみがそこまで心配するのは、泉さんの所のこなたちゃんの事?」
 ずばり母親に言い当てられて、不意を打たれたかがみは、まるでいつものつかさのようにうろたえて、声もちょっぴり上ずってしまう。
「なっなっ、何で分かるのお母さん!?」
「他のお友達の事はかがみもそこまで不安にしないし、つかさの事ならこの子まで深刻になったりしないでしょ?」
「……降伏。あーもう、お母さんっていつも鋭いなぁ」
 肩をがくりと落としたかがみ。みきは「包み隠さず話してくれるんでしょ?」という目で、自分と一番似ている娘を見詰める。
「で?」
 みきに促されたかがみはどこから話そうかと迷いながら──とりあえずは要点だけを伝える事にした。
「なにって、こなたが18禁のゲームを買い漁ってたのを従妹のゆたかちゃんに見られて、すっごく気まずくなってただけよ」
「18禁っていうのは、えっちなシーンや怖いシーンがあるから、18歳未満の人は買っちゃダメなゲームなの。こなちゃんはお父さんに買ってもらって昔から遊んでたらしいけど、私がこなちゃんちで初めて見ちゃった時、気が遠くなっちゃってお姉ちゃんに介抱してもらったくらいなんだから〜」
(……お母さんに何言ってるのよアンタって子はー!)
 嘘を言えないし隠し事もできないつかさにそこまで言われてしまい、かがみは赤面だけで死んでしまいそうな気分になる。別にそっち方面の興味が全くないわけではないかがみだが、そういうシーンの描写が露骨過ぎるのは願い下げだし、ストーリー性も重視したい。だからといってこなたの趣味はともかく、そんなこなた自体をかがみは嫌悪しているのかというとそういうわけではなく──ああややこしい。
 ともあれ、そんなかがみの心配をよそに、さすがにそんな事を言われても、みきは目を見開くだけだが、ただおは少し考え込んで──18禁のゲームについてはとりあえず流して──、自分の考えをかがみに伝える。
「下手に掻き回したりせずに、また明日それとなく聞いてみてもいいんじゃないかな。こなたちゃんの性格からして、そう我慢したりはしないはずだから、その時はかがみでもつかさでも、じっくり相談に乗ってあげな。……でも長電話は、夏祭りも近くて氏子さん達からの電話もあるから勘弁な」
「そーいう時は携帯電話使わせるから安心してお父さん。あとあいつ、私達には爆弾発言したがるくせに、ゆたかちゃんにだけは結構気を使ったりするし」
 聞こえが悪く言うと単なる放置だが、こういうデリケートな問題は、緊急性さえなければ慎重に掛かる必要がある(事が多い。具体的には当事者の性格による)。対人関係で待ちが苦手なかがみとつかさをよく意識したアプローチと言えるだろう。
 父と姉を脇から見ていたつかさは、話を必死に噛み締めようと真剣な顔を続け、理解したのかしないのか、陽気な可愛い(というか年相応より幼い)笑みを母に見せる。
「お父さん、やっぱり神主さんだよね。私、そこまで思い付かなかったもん」
「お父さんのお仕事は関係ないと思うわ、つかさ?」
 みきは末娘のボケた発言に頭を悩ませ、こめかみに一筋の汗が流れ落ちた。


──18:30 幸手市某所、泉家自宅──

 そしてこなたは気まずい空気のまま、当然ゆたかに荷物を持ってもらえるわけもなく、幸手で降りて父の待つ家に帰ってきた。黙々と夕食を作り、そして黙々とした食事。
 さして大食でないそうじろうも、娘や姪よりは食事が早いのか、既に雑誌(何かの料理雑誌で、カレーの特集をしているらしい)に目を通し始めている。こなたはまだ三分の二程度しか食べておらず、ゆたかは半分も食べていない。
 そうじろう以外には非常に痛い雰囲気の食卓で、自分で作った料理を食べながら、こなたは考え事に没頭していた。
(一気に信頼度を回復できないだろーし……月曜は一緒に買い物して差し障りのない会話で過ごして、火曜はアルバイトの帰りにゆーちゃんの好きなお土産買って……)
 まるで恋愛シミュレーションゲームのヒロイン相手に信頼度の回復を試みるプレイヤーのような発想をこなたが続けていたところ、デリカシーが無い(と、こなたが勝手に思っている)そうじろうが、遠慮の欠片もなしにゆたかに話し掛けた。
「どうした、ゆーちゃん?」
「どうもしないです。お姉ちゃんがあんなの買ってたからちょっぴり見損なっちゃっただけですから」
 露骨にこなたから視線を逸らし、つんと頬を膨らませるゆたか。小柄で見た目も可愛いため、全然威嚇になっていない上に、むしろ愛らしさまで感じてしまう。
 だが、こなたはそんなゆたかの萌え要素を愛でるような状況ではなく、こめかみに青筋を立てて、自分の無表情を呪いながら、苛立ちを何とか抑え込んでいた。
(お父さんはゆーちゃんの機嫌を直す最後の砦なんだから、迂闊な発言しないでほしいよね)
 ゆたかの両親、つまりこなたの叔母と義叔父は県内でもかなり遠い所に住んでいるし(埼玉県は東京への交通の便が良いのに、県内を東西に行き来する交通はかなり不便だったりする)、暴走列車の姉は頼りにするには博打に近い(と勝手に思っている)。義兄は単身赴任だし、他の親戚に至っては石川県は遠過ぎる。ちなみに故郷の親戚は、こなたは顔を見た事もあったかすら覚えていない。
(それにゆき叔母さん、お父さんのオタクな趣味を嫌がってるし……)
 関係がこじれてゆたかが小早川家に帰ってしまう、もしくはゆいの所へ行ってしまうのは、こなたとしては断じて避けたかった。ゆたかが歩く萌え要素2号であるからではなく、自分を慕ってくれるゆたかが何よりもいとおしかったから。リアルで同性趣味はないこなただが、かがみやそうじろうに「中身がおじさん」と言われるほど趣味がほとんど男性向きなためか、ついそんな感情を抱いてしまう。
「……ところで、あんなのって」
「ちょっ! それは──」
 こなたが制止しようとする間もなく、そうじろうは男らしく(?)壮絶な自爆を遂げた。
「後で父さんにもやらせておくれ」
「馬鹿ああああっ!! てゆーかド阿呆っ!! ゆーちゃんの気持ちを逆撫でしてどーするっ!!」
 感情の起伏がかなり乏しいこなたが珍しく、マジ泣きして父の襟首を掴む。自分の趣味も、それを教え込んだ父も、何もかもが果てしなく嫌で、「体格は私に、性格はそう君に似ませんように」と願ったという母に、生まれて初めて申し訳ないと切実に感じた。
 するとゆたかが二人に向き直り、クールな表情で涙目をした従姉と、格闘技経験者に頸動脈を掴まれて青ざめている伯父に口を開いた。
「あの〜、お姉ちゃん?」
「止めるなゆーちゃん! 私をこんなにしたお父さんのせいで、私は、私は……ゆーちゃんをっ!」
「お姉ちゃん、伯父さんが泡吹いてるってば!」
 ゆたかに強く揺さぶられ、こなたが我に返ると、力の入った両手の先には、泡を吹いて首が垂れている、無精髭のだらしない感じのおぢさん。
 そして数秒だか十数秒だかが経過して。
「あ」
 そこでホールドを解かないのがこの親子の所以。一応頸動脈は緩めはするが、捕獲の腕に手加減は一切加えない。
「えーと、生きてるお父さん? 死んだ振りしたら本当にしちゃうかもしれないよ〜」
 さりげなく脅迫しながらこなたがそうじろうの身体をゆすると、うっすらと両目を開けて最初の一声は──、
「ああ……かなたが私を呼んでいる……」
「……私がお母さんに見えるなんて、相当溜まってないお父さん?」
 お互いは仲睦まじいつもりはこれっぽっちもないのに実は仲睦まじい。そんな光景に、すごく苦笑するしかないゆたか。
「お姉ちゃんと義伯母さんは伯父さんが言うほどは似てないって、お母さんが言ってたよ?」
「中身が?」
 母のかなたはそうじろうの幼馴染なので、当然ながら父方の家族とも古い知り合いだった。ゆきもかなたと幼馴染である以上、人柄をよく知っていて何の不思議もない。しかし外見はほとんど区別が付かないほど似ている以上(一応、頭上で跳ねている髪はこなただけだし、かなたの方が色白という違いはあるが)、中身を比較されていると感じて、こなたは結論を想像して少し嫌な気分になった。
 しかしゆたかはそれを直接肯定しはせず、ちょっぴり話の方向をずらす。
「ちっちゃな頃のお姉ちゃんは、ゆいお姉ちゃんと似てたんだって。見てると今だって、お姉ちゃんはゆいお姉ちゃんとそっくりだし。さすがにゆいお姉ちゃんはお父さんの頸動脈を掴んだりはしない……ハズだけど」
「うお。ちょっとショック。きー兄さんに会えないゆい姉さんくらい傷付いちゃったぞ」
 こなたの言葉に「それってどんだけ?」などと悩むゆたか。思い当たる限りでも、何かと突っ走る言動、最低限の配慮を保留しながら傍若無人な態度、愛するモノ第一主義、笑うと猫っぽい口元、要は全般的に似ているのだが、それを説明するのは両班の定義と同じく、「一言では難しいですね」って辺りだろうか。
「はっはっは。ゆいちゃんは昔からこなたとよく遊んでくれたから似るのも当然かもなー」
「ですねー伯父さん。お姉ちゃんと一緒だとホッとするのって、もしかして雰囲気がゆいお姉ちゃんに似ているからかも」
「昔の話をされるとむず痒いんですけどお父さん。ゆーちゃんも……えー、いやその」
 他愛ない会話のうちに、さっきまでの葛藤がいつの間にかほぐれていた。
 雰囲気を見計らって、ゆたかは拳を口元に当て、ちょっと真面目な顔をして話を続ける。
「お母さん、伯父さんがオタクだからって、お父さんやお姉ちゃんの前だと伯父さんに預けるのをちょっぴり嫌がってましたけど──」
「ゆき〜、そんな殺生な〜」
(『ちょっぴり』で済むところがまだマシなんじゃ?)
 まだ腹立ちが残ったまま、辛辣な気分でそうじろうを見ながら、こなたは叔母の事を思い出す。
 父子家庭の自分達を気にして、それとなく自分達の家でこなたを引き取ろうかと考えていたらしいゆき叔母さん。
 寂しさを紛らわせるつもりか、ゆい姉さんとゆーちゃんをちょくちょく連れてきて、一緒に遊ばせてくれたゆき叔母さん。
 女の子らしい趣味ができるように、料理を教えたりぬいぐるみを作ってくれたりしたゆき叔母さん──そういえば、あのウサギさんはどこに置いてあるんだろ。
「私には、『兄さんはああ見えて、凄く頭がいいんだよ──』」
「ホント?」
「ホントだって。いつだか宿題が分からない分からないとゆいちゃんと一緒に呻いていたけど、お父さんを頼ってくれなくて悲しかったぞこなた?」
「あの〜、続きいいですか?」
 遠慮がちなゆたかの言葉に、親子は揃って無言で頷き、視線をゆたかに集中する。
「『マニアな所は絶対見習っちゃダメだけど、他は立派な人だからね』って言ってくれました。──だから、お姉ちゃんも伯父さんも、趣味を気にし過ぎないで下さいね?」
「ゆーちゃん……」
 そう、そうじろう達の趣味には頭を抱えるような事を言っても、それを蔑んで否定するような事まではしない、かなたお母さんが生きていたらそんな風だったかも、というような、娘達のように優しい叔母だった。……さすがに妹凌辱系ゲームは許容できないと思うが。
 こなたはゆたかとゆきの心からの気持ちに感動し、本気で涙を流しながらも、しかしその反面で、醒めた所があるこなたは父の言動を未だに警戒し続けていた。
(……まさか、ゆーちゃんの健気さに萌えたとかしょーもない事を言うんじゃないだろうね)
 この期に至ってひどい見解しか持てないこなただったが──実際に出たそうじろうの言葉は更にしょーもない代物だった。
「くぅっ……何て有難い妹なんだ! 今度会った時、ぜひともゆきには『お兄ちゃん』と呼んでもらわねば!」
「その時はたぶん義叔父さんもいるのに、成人した娘もいる人妻に恥をかかせようとするお父さんは、人としてどうかと思うなー。叔母さんとも幼馴染だったお母さんが、草葉の陰で泣いてるよ?」
「だよねー、お姉ちゃん。……いっその事、ゆいお姉ちゃんに検挙してもらうとか?」
「…………あのー、こなたにゆーちゃん?」
 娘と姪に言いたい放題されるそうじろうは、感涙がそのままただの涙になり、視界が霞むほど目元を濡らしているが、それなのに何も言い返せない。娘にべたべたし過ぎて「お父さんウザい」と言われても、「お父さんなんて大っ嫌いと言え」としか返せない、だだ甘な父親なだけはある。
「だよねー、ゆーちゃん。女の子関係の事件がある度に、友達にマジで『お前犯人だろ』って言われるんだし」
「ヒドいなぁ、お姉ちゃん。ところで今日買った本なんだけど……」
 ゆーちゃんが泣くような成人指定同人誌や18禁ゲームだけは買うまいと、そんな気持ちを新たにしながら、こなたはゆたかとの楽しい会話に耽っていた。


──21:30 こなたとかがみの電話──

「まあ、それでも買ったゲームは、ゆーちゃんに見られないようにこっそりプレイするんだけどね。同人誌もお父さんとの共有物に回すし」
「あらゆる意味で最低だなアンタは」
(終)


・話の中の諸々の事象は、2007年7月頃をモデルにしています。地名や駅名は実在のものを使っています。
・ひよりの家がどの辺かは分かりませんが、勝手に春日部から通学しやすい伊勢崎線か野田線沿線のどこかだと仮定しています。
・原作中にまだ出ていない小早川ゆき(ゆいとゆたかのお母さん)の性格は想像上のものです。
・作中の鉄道ダイヤは、『東京時刻表』(交通新聞社)を参照したものです。浅草橋や浜松町、蒲田への小旅行(笑)に活用している……という設定で。
・筆者も妹凌辱系は許容できません(汗)。


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