あの時は何の話題だったのやら。
 ああ、そうそう。発端は、私と仲良しの、みゆきのお弁当の酢豚に入ってたパイナップルだっけ。パイナップルの酵素が肉の繊維を分解して柔らかくしてると聞いた事はあるけど、やっぱり料理に入ってる果物は好きじゃないって、私――かがみと、妹のつかさと、友達のこなたが三人で同意したの。
 いや、これは本題じゃなくて、大事なのはその後の素麺の話。普通、素麺っていうと、束の中に入っている赤や緑の麺が取り合いになるって聞くわね。だけど――、
『そもそも色付きの麺は、製麺所で、冷麦の束を、素麺の束と簡単に区別できるように入れたのが元なんですよ。なお冷麦と素麺は製法から異なり、冷麦は小麦粉を練った生地を裁断して作りますけど、素麺は生地に油を塗って付着を防いでから引き伸ばして細くしているんです』
 ――なんて、みゆきと二人の時に話をされた覚えがあるわ。
 で、あの時話題になったのは、素麺に一緒に入ってる果物の事。
「でも、ソーメンに入ってるみかんは好きー」
 と、こなたがいつもの暢気な顔と口調で言うと。
「あ、私もー」
 と、つかさも同意する。
「あれは取り合いになるわよねー。ウチだと特に」
 と、私も言ってたっけ。
 その時はそのまま、別の他愛のない話に話題は移って行ったけど……。

 
「ウチだと特に」、一体何なのか。
 それはさすがに、いくら友達でも柊家にとっては部外者であるこなたに対しては言えなかった。


☆ ウチだと特に ☆


「いただきます」
「いただきまーす」
 大人しめの声はお父さんとお母さんといのり姉さんと私。元気な声はまつり姉さんとつかさ。手を合わせて感謝の祈りをする長さは、まつり姉さんが時々巫女になるくせにフライング気味で、いのり姉さんが名前に反してそこそこ、お父さんは神職だけど普通くらいで、私とお母さんは少し長めできっちり一緒、つかさはお祈りに没頭してから周りに気付いて慌てて食べ始める事が多い。
 つかさやこなたと素麺の話をした次の日曜日、昼食は素麺だった。
 素麺を作ってくれたのは、いつもの通りお母さんとつかさ。私がやると鍋を噴きこぼすし、いのり姉さんは鍋の底に素麺を焦げ付かせるし、まつり姉さんだと生煮えで食べられたもんじゃないから(「アルデンテでしょ」なんて開き直るなよ)。……はぁ、お父さんに女として大ダメージな事を言われても、姉さん達共々、言い返せなかったのは悲しいなぁ。でも、そもそもお父さんにとって女性の標準はお母さんだから、娘相手にもちょっと評価が厳し過ぎるのよ。それにお父さんだって料理は神饌以外ちっとも――、
「……今日のかがみ、食べるの速いけどどーしたの」
「そうね。食が進むのは健康な証拠で、お母さんとしては嬉しいけど」
「あ。い、いや、いのり姉さん、お母さん。素麺も天麩羅も美味しいなーって」
 言っておくけど、断じてお世辞じゃない。素麺の茹で具合も、天麩羅の具と衣の歯触りも、これはお母さんとつかさにしか出せないんじゃないかと思うくらい素晴らしい。峰岸もこなたもゆたかちゃんも、あと、そうじろうおじさんも黒井先生も料理は上手だけど、ここまではさすがに行かないわね。ああ、みゆきもそこそこなんだけど、みゆきのお母さんのゆかりさんは苦手な事ばかりの人だから、みゆきに「ウチのお母さんに料理を習ったら?」と言ってみたら、何を勘違いしたのか「柊家の味を覚えてもらいたい、という事でしょうか?」なんて言って真っ赤になってくれたわね。
 ともかく、こんな美味しい食事を前に、具合も悪くないのに箸が進まないなんて事は考えられない。いのり姉さんも食べるのは速いから、私の事はあれこれ言えないと思うし。
「素麺は加工に油を使ってるから食べ過ぎると太るよー? 素麺のカロリーをつかさの本で確認してみなー?」
「うるさいわねまつり姉さん」
 やっぱり食べるのが速い、この下の姉は、自堕落で、無責任で、いつも私の神経を逆撫でしてくる――こなたと日下部みたいにね。まあ、いのり姉さんに懐いてるから、結構可愛い所もあるんだけど。今も「ああん姉さん、かがみが冷たいー」なんて泣き付いてるもの。
 さて、いつも食べるのが遅い我が妹はどーしてるかな。
「〜〜〜〜♪」
(――って、全然食べてねえっ!?)
 つかさは鼻歌を歌いながら、素麺をつゆの中でゆっくりと回している。つゆに浮かべた氷がガラスの器に当たって、からからと軽い音を立てるのが楽しいのか、器を通った光がきらめくのが面白いのか、それとも別に理由もないのか。これが蕎麦だったら江戸っ子が声を忍ばせ嗚咽しそうだけど、あいにくここはうどんの名産地の加須も近い鷲宮。かといって、この調子だと、いつかのすき焼きの時みたいに、姉さん達に食べ尽くされてしまわないとも限らないわよ。
「つ・か・さ?」
「ひゃうっ?」
 耳元に軽く息を掛けながら優しく囁くと、変な声を上げて現状に気付いたつかさは慌てて素麺を呑み込んで、幸いにもむせたりせずに、玉葱の天麩羅をお皿から取ってつゆに入れる。
 で、相変わらず上の空で天麩羅をほぐしてるんだけど、その視線の先には、相変わらずいのり姉さんに甘え続けて、迷惑そうにされてるのも意に介さないまつり姉さん。私としては止めたくもあるんだけど、この間につかさに素麺を食べさせたいから、あえて放置しておく事にする。
「いいなぁ、まつりお姉ちゃん。でもかがみお姉ちゃんも、いのりお姉ちゃんとおんなじくらい胸とか太腿とか柔らかいよね」
「……そういう事は二人きりの時に言いなさい。お父さんが見てるわよ?」
 まさか、とは思いながらもお父さんの方を向くと。そして私の胸を注視しているつかさにも向かせると。
 お父さんは、娘達の中でも外見が自分によく似ている、(今の所は)一番下の娘と、視線をぴったりと合わせてしまった。
「…………」
「は、はぅううっ!?」
 私の指摘に気付いて、一気にリボンの先まで真っ赤になりそうなつかさと、今更ながら無言で視線を泳がせて、つかさみたいに素麺をかき回すお父さん。純粋なのもこんな場合は善し悪しよね。
 にしても、ごめんねお父さん……。こんなスキンシップ過剰な娘ばかりで……。
「い、いい加減にしなさいまつりっ。今は食事中よ?」
「いいじゃない、いのり姉さーん。お父さんとお母さんだって、二人きりだともっと色々してるんだからー。例えば耳掻きとか、『みき……』『た、ただおさん、もっと奥、お願いっ』なんて」
 黙れまつり姉さん。

 
 それから二十分ばかり後。今日はつかさも満足に食べられて、かえってまつり姉さんがいのり姉さんにせびってお母さんに分けてもらって――、
「…………」
 無言で食卓の中央を注視する、私達の視線がぶつかり合う所には……。
 素麺の上の、蜜柑。缶詰入りのシロップ漬け。あのシロップも果物の味が出て小さな頃は――いや、そうだけど、今は缶詰談義の時間じゃない。
『缶詰とはそもそも二百年ほど昔、フランス革命に引き続く戦争の時代にナポレオンが保存食として作らせた瓶詰から改良されて――』
 お願いだから今は静かにして、私の記憶の中のみゆき。
 素麺の中に入っている赤や緑の麺(いや、本来は冷麦に入ってるんだけどさ)より、ウチでは取り合いになる存在。いっその事、綺麗に山分けにできるように六の倍数だけ入れればよさそうだけど、缶詰の蜜柑を残すと後の保存が面倒だし、房毎に大きさが微妙に違って喧嘩になりそうだから、やっぱり適当に入れてもいいのかしらね。
(というかそもそも、銘々に素麺を盛り付ければいいだけの話じゃない?)
 まあ、いつも合理的にしてればいいって話じゃないけど。きっとお母さんとしては、「みんな仲良くね」って事なんだろうから。
(さて、蜜柑だけど)
 私は、つかさに食べさせたい。つかさは私にとって大事な妹だし、つかさは果物が好きだし、つかさはいつも料理の試食をまず私にさせてくれるし、つかさはたくさん食べてもそうそう太らないし(しくしく)。
 いのり姉さんは、まつり姉さんに食べさせたいんだと思う。何だかんだ言っても、いのり姉さんはまつり姉さんを大好きで、私にとってのつかさ――というよりこなたみたいな存在なんだから。
 お母さんは……誰に食べさせたいとか、そういうのはあるのかな? 自分で食べたければ、あらかじめ一つや二つはつまんでるだろうし。気分が若いお母さんとしては、やっぱりお父さんになんだろうな。
 でも、今、一番身を乗り出しているのは、ちょっと腰が引け気味になりながら、それでも果敢に箸を突き出しているつかさと、当然のように身を乗り出しているまつり姉さん。
「あの……まつりお姉ちゃん。私が取って……い、いいよね?」
 つかさは少し涙目になって、妹として姉の保護欲に訴え掛ける。
 もちろんまつり姉さんは、そんな殊勝な心掛けの持ち主ではない。まつり姉さんは、私やつかさの姉というより、むしろいのり姉さんの妹だから(……でもまつり姉さん、いのり姉さんより私達に年が近いはずよね?)。
「何でよ」
 正直なのは神道で重視されてる美徳でも、少しは言いようがあるでしょ。趣味で私を振り回すこなた以下だわ。つかさに「明日起こして」と言われて、すっかり忘れたり、「やだ」と拒否したりしてただけあるわよね。
 それでもつかさは、精一杯、涙目になりながらもまつり姉さんに食い下がる。
「た、たまには、かがみお姉ちゃんにも食べてもらいたいもんっ」
「かがみより姉さんが優先されるべきよ。外でお仕事してるのにウチでも働いてくれて、それに将来は跡取りになるんだし、お母さん似の大人びた美人だし、いつも私に抱き付かせてくれるし、それにええと」
 まつり姉さん……何を暴露してるんだか。いのり姉さんが、いや、それだけじゃなくてつかさも、あんなに赤くなってるのに。ああもう、私まで身体が火照るじゃない。
(……しかし、姉さん達がああだって事は、私とつかさもあんな風に見えてるのか?)
 などと話題が脱線している、その瞬間。
 この前こなたに話した言葉の真実が、分かる。

 
 あれは取り合いになるわよねー。

 
 ウチだと特に。

 
「では頂くよ」
 お父さんが。

 
 睨み合うまつり姉さんとつかさの間に、自然な様子で箸を割り込ませて、瞬く間に蜜柑を口に放り込んだ。
「わ――ッ!? 何するのよお父さん、私の蜜柑に!!」
 図々しいわねまつり姉さん。いのり姉さんはどーしたのよ。
「ヒドいよお父さんっ。かがみお姉ちゃんに食べさせたかったのにっ。いつも私がしてもらってるみたいに『あーん』って」
 なんて、つかさの可愛い抗議を聞いていると――お母さんは身体を震わせながら、虚ろな表情で、それでも私を凝視している。
「……かがみ?」
「だ、だからさお母さん――そ、それって、私がコーンのアイスを買った時に、つかさが『味見させてー』って言ってきた時の話だから。もしくは牡蠣フライをつかさがお弁当に入れて、私が困ってた時に、『あ、あの……おかず、交換しよっか?』って可愛い上目遣いで言ってくれてお互いに――」
「何をお母さんに暴露してるのよかがみ……」
「うああああっ!?」
 いのり姉さんに突っ込まれて、全然弁解していなかった自分に気付いて血の気が引く。ああ、お母さんも呆れて、「はぁ……遺伝かしらね」とか言ってるし……って、お母さんも叔母さん達とそーいう経験あるのか?
 で、そんなお母さんと結婚して、娘を四人も作ったお父さんはというと。
「いやあ、まつりもつかさも遠慮し合ってるから、つい、ね」
「『つい』で済ませないでよ!」
「……いや、姉として、そこは全面的にまつりが言い返す資格はないけど」
 図々しい……いや、つかさは図々しくないから、正直な人三号。いや、えーと、出生順からすると一号?
 ともあれ、お父さんまで参戦してしまってはお母さんも放っておけず、収拾を付けようと声を掛ける。
「ね、ねえ、お父さん」
「すまないね、お母さん。お母さんの分も取っておくからな」
(だからさ、お母さんが言いたいのは、そーいう事じゃないってお父さん?)
 まったくもう。自分の気持ちに正直過ぎなのは、つかさと一緒なんだから。
 お父さんはつかさのような朗らかな笑顔を浮かべながら、また箸を割り込ませて、蜜柑を――、
「…………あれ?」
「…………おとーさん?」
「…………抜け駆けはダメだよ?」
 お父さんの箸は蜜柑の三センチ手前で、まつり姉さんの箸と、つかさの箸に絡め取られていた。……厳密には、つかさの箸は、お父さんやまつり姉さんの箸とは明後日の方向に突っ込まれてたけど。
「お父さーん、かがみお姉ちゃんにあげてよぉ」
「いーや、その蜜柑はいのり姉さんのっ。いっそ口移しで私と半分ずつ」
「や、やっぱりここは、普段の疲れをねぎらうために、お母さんに食べてもらうのがいいと思うんだよな」
 つかさが。
 まつり姉さんが。
 お父さんが。
 素麺に乗っている最後の蜜柑に箸の照準を合わせて、それぞれ家族想いなのに勝手な事を言い合っている。揃って手元を力ませて、箸が折れたりしなければいいけど。
 そんな大人気ない父親と次女と四女を見ながら、長女と三女は揃って肩をがっくり落とす。
「……いのり姉さん」
「……なぁに、かがみ」
 昼間からぐったりしたいのり姉さんが私に何とか反応すると、私にまで底無しの疲労が感染する気分。
「……つかさはともかく、まつり姉さんまで、一体何をやってるんだか」
「……お父さんだってそうよ。蜜柑の缶詰くらい自分で買えばいいのに、娘達を相手に一体何をしてるのよ」
 気持ち分かるわ。いのり姉さんも意外と子供っぽい所はあるけど、普段は全くそんな素振りはない、落ち着いた大人のお父さんなのに……。
 そこで、私といのり姉さんに似ていて、特に私と生き写しの姿をしたお母さんが、柔らかい微笑と共に一言を。
「父親似――かしらね?」
「…………」
 母親似の私と上の姉は、ちょっぴり嬉しそうなお母さんには構わず、最後の天麩羅を半分ずつに分けて箸を付けた。
(終)


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『らき☆すた』:(C)美水かがみ/角川書店/らっきー☆ぱらだいす