「……ん?」
十夜は、ふと異様な感覚を感じてベッドの中から這い出した。慣れ親しんだ感触のような、この世のものではないような、どこか漠然とした曖昧な感覚に思えて、その実明晰に身体に染み付いたような、そんな得体の知れない感覚。
「気になるな……一体何なんだ?」
そう言いながら、十夜はそれが解決する事は期待もしないで、台所に水でも飲みに行こうかと起き上がる。食べ物と飲み物は既に誠志郎に貪り食われ、冷蔵庫は寂しく氷だけを抱えている。壬生に睨まれるのは嫌なので、誠志郎も最近は外地会でたかるのだけはやめているらしい。
窓の外に見えるのは、品川の夜景。ちらほらと人家の明かりが見えて、大きな道には街灯の列。その先には工場や埠頭の暗闇が続き、運河と埋立地が入り乱れて地平線だか水平線だか分からない線の上は、田舎の出身者には馴染みの薄い、夜も紫に染まった星の見えない東京の空。東京育ちの十夜には、これ以外の夜空は想像できても実感が沸かない。
高村智恵子より、十夜は慣れ親しんだ空を見ていた高村光太郎の気持ちの方がよく分かる。
「……一応、これでも持っとくか」
あの非日常の中で、頼みの綱だったオーギュメント――セイクリッド・デスを手に取った。結局イデアが同一化しているせいで処分もできず、外地会から返却されている物。
あくまでも非日常との断絶を望んで受け取るのを拒む十夜に、外地会の会長はこう言った。
『君達が本来の所持者ですし……それに君達なら、力を適切に使う能力が備わっていると僕は思いますからね』
「買い被り過ぎだよ、真端さん」
思わず呟きながら扉を開けようとすると、オーギュメントから莫大な情報が流れてきた。
オーギュメントの中心であるコア・ブレインは、レーダー機能を瞬時に処理して情報を所持者に流し込む。
――木製ノ障壁ノ背後、約1m前方ニおーぎゅめんと使イガ存在。れべる30、CSXXX、CEXXX。現状デハ攻撃行動ヘノしふとハ存在セズ――
(リンク開始も無しにここまで起動しているなんて……寝ている間に誰かがSC空間を張ったのか?)
一瞬戸惑いながらも、十夜は本能的にコア・ブレインと精神をリンクさせて超高速思考に突入する。
「木製云々は扉として……オーギュメント使いって一体誰だ?」
十夜の知っているオーギュメント使いは合計12人。死んだウツロと消えたJ.B.を引くと、十夜以外の該当者はちょうど9人。
――機能走査完了、異常無シ。思考制御デ入力ヲドウゾ――
「……そこまでする必要はねーと思うぞ」
あくまでも兵器であるオーギュメントの動作に呆れながら、扉に手を掛け開く十夜。
静電気の痛みを感じないように片手を手の平ごと取っ手に触れさせ(テレビ番組で得たものを、誠志郎が披露した知識だ)、一気にひねって扉を手前に引く。
本当は一瞬に過ぎなくても、今の十夜にとっては結構な時間を感じつつ……扉が開く。初めは小さく、そして次第に視界を占めて。
そこには。
「やっほー」
にぱ、と笑みを見せた瞳がそこにいた。彼女も十夜同様、色気のない男物の寝巻の上から彼女のジーザス・シュラウドを装備している。
彼女がここにいる事には何も問題はないが、彼女がここにいる事には納得の行く理由が思い浮かばなかった。つまり、誠志郎やカスミや空木と一緒に泊まっているのだが、わざわざ深夜に十夜の部屋に来る理由が理解不能。
と考えているのは、実は十夜ただ一人だったりする。
「…………」
「どしたの、雲野? おなかでも痛いの?」
「さてと、明日も早いし寝るか」
「待ちなさいよ雲野」
目を鋭く見開いて、じわりと詰め寄る瞳。ついでに身体を不必要に接近させて、胸の感触を十夜の背中に感じさせる。
「せっかくオーギュメント起動して二人だけのSC空間に入ってるんだからさ、夜を徹してあばんちゅーるしようってば」
更にぷにぷにした感触が、瞳の柔らかそうな太腿からも優しく伝わる。
「寝言は寝て言え」
瞳の魂胆に心の中で動揺しながら、女の子に朴念仁な十夜は更にぶっきらぼうな態度を取った。
「なっ!?」
「……なあ、期末が終わったばっかりで、俺達は毎晩徹夜で『永遠の青』をプレイしたり、ベストエンドを迎えられなかったから気晴らしに『永遠の旋律』を全キャラクター攻略したりしてるんだぞ」
「それが女の子への失礼な態度の言い訳になるなんて考えこそ、永久に寝てから言った方がいいんじゃない?」
「今頃『武器屋の冒険2・ワンダーの迷宮』にはまってる奴に言われるのも何だと思うけどな……」
「目一杯合成した鳥マークの剣と鳥マークの盾を分裂させて持ち帰って売ったら、それだけで九百万以上も所持金が増えたのよ!」
「だから何なんだ! 俺は寝るぞ!」
佳境をやり過ごしたはずなのに更に混迷の度合いを深める会話に頭痛を感じながらも、強引に瞳を締め出して寝ようと……した瞬間。
瞳はジーザス・シュラウドにカレイドフェノムを使わせるために、瞬時にトリガーの構えを取っていた。
「メテオフォール!」
瞳がオーギュメントの羽衣状の部分をさっとなびかせると緑の光が明滅し、赤く燃える隕石が部屋に所狭しと炸裂する……ちょっと狭過ぎるが、カレイドフェノムには関係ない。
爆炎が消えたその場所には――やはり十夜。相変わらず瞳から逃げようとするが、足が張り付いたように動かない。メテオフォールの追加効果が、見事に作動したらしい。
「くっ! このっ!」
「ふふふふふふふふ……」
迫り来る瞳の壊れたような声に、十夜は死すら覚悟して身構えるが――
「……は?」
「雲野……そんなにあたしが嫌?」
目を潤ませて、ぺたりと床に座り込む瞳と視線が合ってしまい、十夜は硬直してうろたえた。
「え〜と、というか、いやその……」
そんな十夜に構わずに瞳は胸元のジーザス・シュラウドのコアに両手を当て、祈りを捧げる修道女のようなポーズを取る。
「……そうよね。洗脳された時にあたしはJ.B.にあーんな事やこーんな事をされたんだし」
「…………」
どこまで何をされたのか十夜は好奇心を抱かない事も無かったが、あえて質問はしないでおいた。
「カスミを助けた時に裸まで見ちゃって、雲野のどすけべ……」
「…………」
ビショップに今すぐ救いを求めたいような気分に、今の十夜は置かされている。しかし今頃ビショップは、教会で畳の上に蒲団を敷いて寝ているはず。
「空木さんは柊と仲いいし、園宗寺さんは霧生くんと一つ屋根の下だし、佐伯さんはジョーカーと仲が良さげだし……」
「……〜〜〜〜っ!!」
段々陰鬱な響きを増してくるねちねちした瞳の呟きに十夜は神経を切らし、肩を震わせて大声を上げた。品川(しかもマンション)でこんな事をするのは確実に近所迷惑だが、SC空間ではその心配はない。
「いい加減にしろ! こんな夜中に上がり込んでカレイドフェノムぶちかました上に、何勝手な事を言ってるんだ?」
「何よ!? そんなに雲野はカスミを抱きたいのに、あたしを抱きたくないっていうの!?」
「……そういう事を言うのなら、この場で本気でお前を抱くぞ」
ゆらりと幽鬼のように、十夜は足を動かした。そのまま能面のような無表情で、機械仕掛けの人形のようにぎぎ、と瞳にじりじり詰め寄る。
「え? 何で動けるの、雲野?」
「……メテオフォールの追加効果が切れたんだよ。それより……」
十夜はセイクリッド・デスを構え、死神が魂を狩るように空間を薙ぎ払う。
「スティルバース」
「……あうっ!」
瞳の全身を刃が駆け巡り、ジーザス・シュラウドを残して着ていた服がずたずたに引き裂かれる。布地が飛び散り、薄桃色に染まった白い素肌と黒い下着が露わになった。
「く、雲野……あぁんっ!」
抗議しようとした瞳の、小さいが形の良い胸の膨らみを強引に十夜が掴む。反対側の手は下腹部に下りて、その更に下に指先を届かせた。
「あ……や……やあっ……」
「名城……」
十夜はそっと目を閉じ、いたわるように瞳の全身を愛撫する。
「……こんな大人っぽい下着を着て、こんな事も期待してたのか?」
「あ、うぅんっ!」
耳を甘噛みされた瞳は腰を震えさせ、ぎこちない手付きと苦笑するような声で行為を続ける十夜の感触に耐える。ブラとパンティも半ば剥ぎ取られたその姿は、普段の雰囲気とは違う成熟しかけた女のイメージを発散させていた。
「瞳……抱いてもいいか?」
「い……いくら十夜でも、無理矢理するのは……!」
身体で拒む瞳に構わず、綺麗な線をした腰を抱き寄せる十夜。いつも勝気な瞳も、身をよじらせて最後の抵抗を試みる。
「カスミには……こんな事絶対にしないのに……」
「もうJ.B.にこんな事されてるのなら、俺とするくらい構わないだろ?」
「でも愛してるからそのうちちゃんと……っ!」
十夜は強引に瞳の唇を奪い、自分の舌を瞳の舌に絡めた。
「んっ……」
「ううん……っ、メタモルフォシスっ!」
瞳の発動させたカレイドフェノムにより現れた緑の結晶が破片と化して、十夜を包み込む。セイクリッド・デスに当たると共に十夜の全身の精気が抜け落ちるような感触を与え、十夜は思わず膝立ちになって倒れ込んだ。
「な……名城、今のは……?」
「あたし専用のカレイドフェノムで、相手のオーギュメントのコアの防御を吸い取るの。何だか吸血鬼みたいでしょ?」
全裸の上に薄く透けるジーザス・シュラウドをまとっただけの妖艶な姿を見せ、瞳は十夜に楽しそうに声を掛ける。にやりと微笑む瞳の口元に、十夜は鋭く尖った牙を幻視した。
そして続けて、白い光が網目のように、不気味な振動と共に十夜を取り囲んだ。
「……っ!?」
「フリークアウトでコア・エナジーを吸ってあげたわ。それじゃ雲野……」
自分のヌードを見せ付けるように、瞳が静かに十夜の方に身体を向ける。カレイドフェノムの発動を今の攻撃で阻害され、反撃の手段を断たれた十夜は、それでも自分の存在を空間内で支えるために、セイクリッド・デスを杖のように使って必死で立ち上がろうと――
――した瞬間、体力が限界に達して転んだ。
「とうとう年貢の納め時みたいね。今までのあーんな事やこーんな事を思い知ってみる?」
「う……ああ……」
「あたしが満足するまで、たっぷり精気を吸われてね!」
更に連続して放たれるメタモルフォシスの感触に腰が砕けそうになりながら、十夜はセイクリッド・デスのリンクが断たれるのを感じ……。
そして数十分後の現実空間。身動きが取れない十夜を見ながら、腰に手を当てた瞳が満足そうに微笑んだ。
「〜〜っっ…………」
「それじゃお休み、雲野♪」
瞳が元気な声を十夜に掛けて、そしてそのまま部屋から立ち去る。スティルバースで切り刻まれた寝巻の代わりに、十夜の箪笥から別の寝巻を持ち出して着替えたついでに、疲労が残って身動きの取れない十夜の唇に甘い感触のキスを残して。
しばし、取り残された形の十夜は呆然としていたが……。
「…………寝よう」
SC空間でカレイドフェノムを乱発したせいで散らかっていたのが更に散らかり、空木が見たら卒倒間違い無しの惨状を呈している部屋を見捨ててばたりとベッドに転がり、そして寝息を立て始めた。
「う〜ん……」
眠りが浅いせいか、十夜は愛する女性二人の名前を小さな声で口にする。
「やめてくれ……カスミ、名城……」
……一応、今の行為でちょっぴりトラウマが残りそうな気もするが……。
追記。
一部始終を隣の部屋にいたカスミや誠志郎や空木に知られ、約二名は翌日非常に気まずい思いをしたらしい。
〈後書き〉
え〜、(後の加筆抜きで)正味3時間程度でこーゆー代物を書き上げてしまいました(^^;)
ご覧の通りの十夜×瞳ですが、発想の元は、「カレイドフェノムで間違った事をしたらどうなるか」という、非常にどーしよーもないネタに他なりません。
何となくファンを敵に回すよーな気もしないではないですが、行き付く所まで行ったりはしていないので冗談として聞き流して下さい。以上。
次回は「ブラックグランスVSオリジナルシン」(嘘)。
〈余談〉
あの3種類のカレイドフェノムを瞳がどうやってジーザス・シュラウドに配列したのかは一見謎ですが、メテオフォールで十夜をストールさせた後、
そんな十夜に構わずに瞳は胸元のジーザス・シュラウドのコアに両手を当て、祈りを捧げる修道女のようなポーズを取る。
という所で、実はこっそり配列替えをしてました。ご安心を(笑)。