おいしいりょうり

 


 エンフィールドの何でも屋、ジョートショップの事務所。
 普段はペンや書類が山積みになっている事務机の上に、お皿の山が乗っている。
 上に盛られていた食物は、既に一人の人物に食べられていた。
 そして既に日も落ち、事務所を照らすのは白いガス灯の明かり、ただ一つ。
「ごちそうさま」
 ジョートショップの居候の青年は夕食を終えると共に、美味しい料理を食べさせてくれた少女に感謝する。その少女は、普段の通りの白い上着と黒いスパッツの上にエプロンを羽織って、感謝の言葉に微笑みを返す。
 パティ・ソール。スポーツ万能の溌剌とした可愛い少女である。両親にとっても自慢の一人娘だ。もちろん、親しい間柄である青年にとっても。あの一年間で、二人の絆はより深いものとなっている。
「ほんと、あんたって食べっぷりがいいから作りがいがあるわ」
(……ったく、パティの奴)
 生き生きとした目を輝かせる同じ年頃の少女を見て、苦笑混じりの笑いが青年の心の中に湧く。パティが毎朝毎晩料理を作ってくれるのはいいのだが、量が多いせいでついつい食べ過ぎになってしまう。
 元気で優しい女の子に慕ってもらえるのは嬉しいのだが、健康には気を付けないと。
 そういう想いを見透かしたかのように、パティがとどめの一言を放つ。
「最近ジョギング始めたみたいだから、明日から多めに作ってあげるわね」
(はあ……)
 愛情の証しを無下に出来ずに困り果てる青年。母親のように全てを包み込んでくれる店長のアリサにはある程度わがままも言えるが、パティはアリサではない。
「……それにしても毎日すまないな、パティ」
「いいのよ」
 ぱたぱたと、気楽な様子で手を振る。
「前もアリサおばさんに言ったけど、あたしは好きでこういう事してんだから」
「店の仕事、忙しいだろ?」
 店というのはこのジョートショップの事ではない。パティの家である大衆食堂兼宿屋、さくら亭の事だ。
「忙しくないわよ……あんたに比べれば忙しいけどね」
 少し余計な言葉を口から漏らす。いつもはこんな事はないのだが、青年相手にはつい、パティはこのような、相手をことさらに刺激するような行動に出てしまう。
 これも照れ隠し、なのだろうか。
「あたしがあんまり手伝えなかった一年間、代わりに何人か雇ってたんだけど、腕も上がってきたからそのまんま雇い続けるって、お父さんもお母さんも言ってたわ」
「ふうん……」
 妙に感情の籠らない溜め息を聞きつけ、パティが身を乗り出す。
「どうしたのよ?」
「パティにはお父さんもお母さんもいるんだな、って」
「それが何か……あっ」
 不思議そうに呟いた後、パティは気付く。青年は元々身寄りの無い放浪者。父親の話も母親の話もパティは耳にした事がない。いや、エンフィールドにたどり着く前の事すら、何度聞いた事があるだろうか。
 無言で青年を見上げるパティの茶色の瞳が、ガス灯の光を弾いて赤く染まる。
 うつむき加減の青年の瞳は、前髪に隠されパティの目には映らない。
「……エルもピートもローラも天涯孤独だし、マリアとトリーシャはお母さんがいないし、シーラのお父さんは病気が治ったらまた演奏旅行に出掛けてるし」
「ごめん……。気、悪くしたよね」
 がっくりうなだれて、元気の無い声でパティは謝る。
 青年に対する罪悪感が、胸にずしりとのしかかる。
(シーラ……)
 仲の良いシェフィールド家のシーラの顔が、ふと浮かぶ。
 自分と同じく、青年に心を寄せていた少女。しかし青年が選んだのはパティ。その事を知っても、シーラはかえって喜んでくれた。大切な友人同士が結ばれた、その事を。
 顔を合わせる度に屈託なく笑いかけるシーラの素朴な優しさが、パティの不安定な心を今もさいなみ続ける。
(パティちゃん……)
(…………)
(私はパティちゃんもあの人も、みんな大好きだから……。だから、気にしないで)
(シーラが許してくれても、あたしが自分を許せない)
 うなだれたまま拳を堅く握り締めるうちに、いつしか思考の袋小路へと迷い込んでいる事に、パティは全く気付かない。
「そんな気にしなくていいよ、パティ」
「でも……」
「…………」
「……そうだ。今日はあんたのためにデザート持ってきたんだけど、食べる?」
 落ち込んだ雰囲気を断ち切ろうと、パティが無理して話題を切り替える。
「ん? ああ」
「でね、用意したいからあんたの部屋、貸してくれる?」
「いいけど……」
 パティのいきなりの行動に訝しさは感じるものの、青年はとりあえず素直にうなずく。それを見たパティは、ほっとしたように椅子から立ち上がった。
「じゃあ、もう少ししたらあんたの部屋まで上がってきて」
 そう言ってパティは、急いで部屋を出て行った。
 ぱたりと閉まる扉を眺め、残された青年は呆然と見送る。
「…………?」
 

 窓の外はもう暗い。ガス灯が道端のあちこちに点り、青白い独特の明かりを投げ掛けている。教会の十二の鐘が鳴ったこの時限に街を歩く者はいない。いるとすれば、見回りの自警団員か敢えて夜中に徘徊する変人か、どちらかであろう。
 青年の友人達は、後者に入る人物ばかりであるが。
 類は友を呼ぶ。
「……くしゅん」
 そんな下らない事を考えている内に体を冷やしたのか、小さなくしゃみが出る。
「ったく、メロディ辺りが噂でもしてるのかな」
 鼻をこすりながら、最後のハーブエールを飲み干す。
「風邪を引かないように、パティに言っておかないと」
 独り言と共に椅子から立ち上がり、居間を出る。
 ほの暗い魔法の懐中灯だけを頼りにして古びた階段を上がり、見慣れた――青年がここに住み着いて以来、自分のものとしてアリサにあてがわれた部屋の扉の取っ手を掴んだ。
 開ける前に思い直し、こんこんと軽く扉を叩く。
「パティ、いるか?」
「……うん」
 いつもより幼い声で、返事が返る。
 それを確認してから扉を開けて――青年は目を見開いた。
 見慣れた自分の部屋。雑誌と実用書だけが雑然と積まれた、シェリルの本棚より格段に貧相な本棚。ありったけの物を詰め込んだ、木製のクローゼット。くすんだ白塗りの壁。白いカーテン……。
 そして、部屋の真ん中にはベッド。
 その上にパティが、白いシーツで体を覆って横たわっていた。
 見慣れた白い魔法の上着も、黒いスパッツも、ベッドの下に脱ぎ捨ててある。もちろんエプロンも。
 シーツで隠しているのは、胸の頂点から脚の付け根まで。見えそうで見えない辺りが、却って青年の心を掻き立てる。パティの体付きが意外と女らしい事は知っていたはずなのに、改めて見ると、この一年でますます色っぽさが際立ってきていた。
(うっ……)
 鼻筋が熱くなるのを感じ、恋人の体から慌てて視線を逸らす。
「さっきはごめんね、あんな事言っちゃって」
 立ち尽くす青年を前にして、パティが口を開く。
 普段のパティからは想像できない、弱々しい声。はかなげな、今にも消え去りそうな瞳で見つめられ、青年は息を飲む。
(パティ……)
 しばし、只の冗談だとか夢魔に憑かれたとか色々考えたが、パティはこういう冗談をする性格ではない。瞳の光は消え去りそうでも、その中には強い意志が込められている。夢魔に憑かれている状態では、あのような瞳はしていないはずだ。
 しかし気に掛かるのは――瞳に見入って、どことなく断末魔のような叫びを感じた事。いつものパティが強く見えても、その心の奥底は十八歳の少女。自信とかやる気とかいった心の動きを察してやる事には青年は長けていても、恋心だけは範疇外。
(……商売人の性、かな)
 皮肉でも何でもなしに痛感する。二人とも、一応は自分の技術を売る商売人。しかし、技術がいかに長けていようとも、そんな事は恋愛には関係ない。
 愛情表現が不器用な二人。だけどいつかは、こういう時が来るのを分かっていたはず。だけど――
「どうしてこんな……」
 何とか紡ぎ出した震える声に、意外と落ち着いた声が応える。
「天涯孤独なままじゃ、寂しいでしょ?」
「俺にはアリサさんが――」
「アリサおばさんは、お母さんみたいなもんじゃない」
 パティが体を起こす。彼女が自分で剥ぎ取ったシーツは、音も立てずに冷たい床の上に落ちた。
「それよりも何? あたしじゃなくてアリサおばさんに、やましい気持ちでも持ってるとでもいうの?」
「そういう訳じゃ……」
「お願い。あたしを食べて」
 真摯な瞳で、パティは愛する人に訴える。
 視線が交差した。
(!!!!)
 一瞬、青年が体をぴくりと動かす。表情は、凍り付いたように変わらない。
「一つになりたいの……あんたと」
 熱っぽい視線で求めるように見つめられ、ごくっと息を飲む。中性的な可愛らしい顔立ち。適度な大きさで形も整った胸の膨らみ。意外とほっそりしたウエスト。微妙なラインを描く腰の辺り。すらりと長い、引き締まった手足。
 しかし、青年はそんな意味でパティを求めているのではない。パティを護り、パティに慕われ、かけがえのない関係を育む事が理想だった。人生経験豊富なリサ辺りには子供の恋愛とからかわれそうな考えだが、それでいい。
「だからパティ、その……」
「……心だけじゃなくて、体も愛してほしいのに」
 拒絶の言葉を口にしようとする青年の態度に、寂しさに瞳を潤ませるパティ。
 その姿を見て、青年は気付いた。

「今日はあんたのためにデザート持ってきたんだけど、食べる?」

 あの一言の意味。たった一言に込められた重い意味。
「デザートって……」
「うん。あたしの事」
 寄り掛かるパティの体から、そっと優しい感触が伝わる。
 柔らかい体の感触。それに暖かい心の感触。
「あんたって煩悩魔人の割に朴念仁だから、あたしの気持ちなんか分かってくれるのか、ずっと心配だったんだけど」
「分かってるさ」
 温もりを後ろから抱き直して、優しく頬に口付けした。
 それからひんやりとした手で、肌の火照りを鎮めるようにパティの体を撫で始める。
「……愛してるよ、パティ。みんな大好きだけど、その中でも特別に」
「あ……」
 青年はパティの首筋に触れ、胸へ、腹部へと、ゆっくり指先を滑らせていく。
 更に指先は、少女の華奢な体の中に触れ……。
「あん……」
 優しさに耐えきれずに、パティの口から弱々しい喘ぎ声が漏れる。
 しかしそこまでで、青年は未来の妻を解放した。
「……変な声出すなよ。その気になるじゃないか」
「あんたが悪いんじゃない……」
 白い肌をほんのり桜色に染めたパティが、汗でしっとり濡れた肢体をそのままに、上目遣いで恥ずかしげに未来の夫を睨む。
「いや……。パティも女の子なんだな、って」
「意地悪……」
 怒ったような言葉。しかしそれとは裏腹な至福の表情が少女の顔にある。
 時間が止まったような時を、しばし過ごす。パティは青年にそっと寄り添って、互いの温もりを確かめ合った。
 全てを包み込む、父性の優しさ。
 満たされる想い。
 やがて、どちらからともなく体を離す。
「なあ、パティ」
「どうしたの?」
 床から拾い上げた白いシーツを肩から羽織ったパティ。そんな彼女を抱き寄せる青年に、パティは抵抗せずにその身を任せる。
「デザートは?」
「……今からでも、いいけど」
 パティは静かに顔を上げ、答えを待つ。
「いいや、デザートはよしとくよ」
「え……?」
「デザート代わりだなんてそんな可哀想な事、パティに出来るかよ」
 パティの頬を撫でながら、青年は優しく微笑み掛けた。
「……メインディッシュじゃ、駄目か?」
「ありがと……」
 二人は目を閉じて堅く抱き合い、自然に唇と唇を合わせる。
 初めてのパティの唇は、ほんのり甘い感触がした。
 

「起きなさぁぁぁいっっ!!」
 

(パティ……?)
 

 ばちっ、と軽い音を立て、青年の頬に平手が飛ぶ。
(痛っ!)
 とっさに目が冴え、切れ長の美しい目を瞬かせた。茶色の髪の見慣れた少女が、そんな自分を見下ろすように大きな可愛らしい目で睨んでいる姿が鮮やかに映っている。
「どう? 起きた?」
「何すんだよ、パティ」
 ぽりぽりと長い茶色の髪をかきむしって、上体を起こす青年。
「あんたがぐーたらぐーたら、いつまで待ってても起きないのが悪いんでしょ!」
 牙を剥き出して噛み付くような、やっぱり見慣れた怒り顔。それすらも可愛いと感じてしまうのは、夜中に起きた出来事のせいか。
(夜中……?)
 頭を振ってぼんやりした思考を吹き飛ばし、改めてパティをまじまじと見つめる。
 いつも通りの、白い魔法の上着と黒いスパッツ、それとエプロン。その上からも、均整の取れた綺麗なプロポーションをパティは十分に感じさせてくれる。
「昨夜……何かあったっけ?」
「変な夢でも見たんでしょ。それはともかく」
 都合の悪い事をごまかすように、パティは話題を変える。
「アリサおばさんがね、食べ過ぎにならないようにもう少し食事の量を控えてほしいんだって。……ごめんね、調子に乗って作り過ぎちゃって」
 しょげてうつむく少女の頬に、青年はそっと優しく手を伸ばす。パティの頭を、自分の息が届きそうな至近距離まで引き寄せ、小声で耳に囁いた。
「パティが作ってくれるんだから、俺は構わないよ」
「女の子には調子いいのね、相変わらず」
 のろける夫に呆れる若妻のように、パティは溜め息をつく。
「パティの事は、ぜ〜んぶ分かってるからな」
 何気ない青年の言葉。
 それを耳にした途端、パティはぴく、と体を硬くする。
 全てを知り、全てを知られた昨夜の記憶。
 刻まれた証しが、自分の本心を露にする。
 他の誰にも知られたくない、激しい想いを。
「……パティ?」
「エッチ……」
 パティは恥ずかしそうにそう囁き――
 過剰に反応したまま、顔を真っ赤にして階段を駆け下りてしまう。
「……?」
「ほら! 早く食べに来てってば!」
 階段の下から届く、いつも通りの彼女の声。
「早く来ないと、あたしがあんたの分も食べちゃうわよ」
「今行くよ、パティ」
 青年はふわりと笑い、パティの好意を受け止めた。
 そして、少女の後を追って部屋を飛び出し、一日の初めの食事に向かう。
 雲一つない青く澄み切った空。輝く太陽。
 窓から吹き込む風は、いつも通りのさわやかな風だった。


〈後書き〉
 御覧の通りの、完璧極まる煩悩ストーリーです(爆)。
 イベント及び一枚絵に無意識の誘惑が多い「主人公(1)の生け贄」ことパティちゃんですが、告白エンディングの「通い妻」はまさにその頂点を極めたと言っても過言ではないでしょう(そうか?)。さすが、シーラちゃんと並ぶファンの多さ、そして悠久大辞典でのイメージ変化度を誇るだけあります(その最大の責任者が私なんですが……)。
 この話の元となったのは、悠久大辞典での投稿でした。

「おいしいりょうり」の項目で、
 私…「あたしが料理♪」などとやられた日には、主人公(1)の失血死は確実である(斬首)。
 電撃亭雷光さん…「あたしが料理♪」「いただきます♪」とイッちゃいそ〜でヤダ(^^;)

「通い妻」の項目で、
 私…さて、パティちゃんの目的は?(中略)そしておもむろに首筋に噛み付き、おいしい血をすする。
 星川詠治さん…血だけならまだしも(以下危険につき削除)。

 ああ、人間ってこうやって罪を重ねていくんですね……(遠い目)(笑)。
 で、次回はシーラちゃんの煩悩ストーリー、「ホーリー・ヒール」。鞭を持った女王様シーラが(自主規制)するお話です(大嘘)。

〈追信〉
 少々加筆して、パティちゃんの色っぽさをぱわーあっぷしました(爆)。
 FCの会長さんに成敗されなきゃいいんですけど(汗)。


悠久書店・危険文書所蔵庫に戻る