◆お茶でも飲みましょ〜◆

 「休息」の静さんのお言葉から取った、『義経』を隅から隅まで現実の歴史に対応してほじくるコーナーです。

 
 入門編
  ├其之一:ミステリー・動いた五条大橋
  ├其之二:湯煙時間旅行殺人未遂事件
  ├其之三:ここは誰、私はどこ
  └其之四:俺の名前を呼ぶな!

 本編
  ├其之一:きゃんゆーすぴーくじゃぱにーず?
  ├其之二:日本中世庭園美術論考
  ├其之三:“あのお方”の本名は?
  ├其之四:太陽が呼んでいるから♪
  ├其之五:平安京のオーパーツ
  ├其之六:さあ、出陣だ!
  ├其之七:水でも飲みましょ〜?
  ├其之八:オプションツアー・800年前の平安京案内(ただし現地解散)
  ├其之九:平源の合戦の未来像
  ├其之十:恐怖の術兵器・黒い体臭
  └其之十一:扶桑を継ぐ者達

 余録
  └其之一:12世紀末期の世界情勢
 

平安末期にお茶は飲めませんが。稀少なツッコミ役。
コーナー主任:静御前女史(18)
コーナー副主任:那須与一女史(16)


◇入門編◇

 序章のツッコミ所です。


〜其之一:ミステリー・動いた五条大橋〜

九羅香「……って、いきなり序章から間違いがあるわけ?」
静「ええ。冒頭で弁慶さんが、東国から師匠の方に連れられて修行に来ていますけど、その場面でいきなり間違いがあるわけです」
九羅香「あの場面って……確か五条大橋で、弁慶がわたしの幻影を見てたんだよね。誰のEDで終わろうとも必ずわたしで♪」
静「感動の名場面に水を差すようで申し訳ないんですけど、あれはワタシ達の知っている五条大橋ではないんですよね〜」
九羅香「でも欄干には、『五条大橋』って書いてあったけど?」
静「順序立てて説明しますけど、あれは五条大橋であるともそうでないとも言える、まさしく源頼政様が退治なさった鵺的な存在だったりします」
九羅香「い、いきなり気合入っているね静……」
静「まず、ワタシ達の時代の五条大橋の近くは、

==五条大路===五条大橋=
             (鴨川)
=六条坊門小路=×

 のようになっていたわけです」
九羅香「ふんふん。ちゃんと五条大路の先に五条大橋があるね」
静「しかし後の天正18年(1590)に五条大橋を架け直す際に、元の場所から南にずれてしまい、

==五条大路==×
             (鴨川)
=六条坊門小路==五条大橋=

 という具合になってしまいました。このせいで橋が引っ越したのに引きずられて通りの名前まで移って、弁慶さんの時代には、

==松原通====松原橋=
             (鴨川)
==五条通===五条大橋=

 という状態になっています。ですから本当の義経・弁慶遭遇地点は、五条大橋ではなく松原橋の辺りになるんですよ。でも『義経』世界だと、弁慶さんが九羅香さんの裸を目撃したワタシ達の詰所が真の遭遇地点になるんですけどね♪」
九羅香「わーっわーっわーっ!!(汗)」


〜其之二:湯煙時間旅行殺人未遂事件〜

与一「そして弁慶は私達の時代に飛ばされるわけだが、出現した場所は事もあろうに九羅香殿が入浴中の風呂場ときている。いくら直前にいたのが未来の風呂場だったとはいえ、返す返すも煩悩まみれな奴だ」
静「ですね〜。しかしワタシ達の時代のお風呂は、実は蒸し風呂が主流だったんですよ」
与一「蒸し風呂というのは文字通り、小さな空間の中に熱気を満たしてそこに入り、汗を後で洗い流すという物だ。未来で『ふぃんらんど』とかいう国から伝わった『さうな』に近いな」
静「ワタシ達の時代のお寺では、奉仕活動として病人のために湯に浸る入浴を供給する事もありますが、これはあくまでも例外と思って下さい〜。お寺の数もこの時代には、全ての村にお寺ができた江戸時代には遠く及びませんし〜」
九羅香「湯屋を造るのにも手間が掛かるし、単なる蒸し風呂でも水も薪も結構使うものね。だから一種の贅沢なんだけど、父上も甥も入浴中に殺されているから、せっかく入っても心が休まらなくて……」
紅葉「……という理由で温泉風の露天風呂ばかりゲーム内で出ているのかは、わたくしには少々判じかねますけど(汗)。ちなみに蒸し風呂が主流となる時代は400年ほど後の桃山時代頃まで続き、江戸時代でも古い頃は湯船の上に囲いを作っていたという事です」


〜其之三:ここは誰、私はどこ〜

静「さて〜、弁慶さんがワタシ達の時代に出現したのは、一体いつ頃だったんでしょうか知盛さん?」
知盛「まず言えるのは、京が六波羅平氏の支配下にあるという事だな」
弁慶「あれ? 平家じゃなくて?」
知盛「いいか弁慶。『氏』と『家』というのはお前のいた未来では混用しているようだが、本来は全く違う意味だったのだ。簡単な表にすると下のようになる」

 
 
構成原理 父系の血族集団 社会上の役割と資産を持つ経営母体
(必ずしも血縁では構成されない)
名称変更 天皇から新たな氏や姓(かばね)
(※合わせて姓(せい)と呼ぶ)を
授からないと基本的には不可
名字(家の名称)の変更は無制限に可能
(邸宅、所領、役職などから命名する
事が多い)
朝廷の正式の
文書の署名
使える 使えない
嫁入り・婿入りすると 変わらない
(養子の場合、許可を得れば
この時代には変更可)
名字が変わる
九羅香、頼朝などの場合 源朝臣 (名字なし)
紅葉の場合 藤原朝臣 佐藤
与一の場合 藤原朝臣 那須
知盛、教経などの場合 平朝臣 (名字なし)
義仲の場合 源朝臣 (名字なし、ただし木曽を冠される事が多い)
景時の場合 平朝臣 梶原

静「当然ながら、『家』を持っていないワタシや廉也さんに、姓はともかく名字はありません〜。あと、姓を授ける立場にあられる法皇様にも姓や名字はありませんね〜」
知盛「鎌倉時代になると家の組織が固定化して、公家も名字と家職を一揃えにした家を持つようになる。そうなると名字も安定して、滅多な事では変わらなくなるな」
静「知盛さんの家は名字がないですけど、単に『平氏』だと清盛さんの奥様の実家の公家平氏や東国に大勢いる他の平氏の皆さんと混乱を起こしてしまいますからね〜。実際のところ、頼朝さんの傘下にいる武士は源氏より平氏が多いんですよ〜」
知盛「源氏でも畿内や東国に大勢いるし、京では公家源氏が結構多い。『平家物語』も、父上の腹違いの弟の頼盛殿の家産を継いだ公家源氏の筆頭・久我家の後援により広まったらしいからな」
弁慶「…………それはそれとして、オレが出現したのっていつ頃なんだよ?」
静「え〜と、現実の歴史では……」

 平家支配期
  ↓
寿永2年(1183)7月…平家が安徳天皇を奉じて都落ち。義仲が京に入る。
  ↓
 木曽源氏支配期
  ↓
寿永3年(1184)1月…宇治川の合戦(義経軍vs義仲軍)。義経が京に入る。
  ↓
 鎌倉源氏支配期

静「というわけですね。……それにしても不思議です〜、京に攻め込むより半年以上前からワタシ達が潜伏できていたなんて〜」
与一「要するに静殿が言われたいのは2つ。『平家が自由に行動できた序章から少なくとも6ヶ月、一体何をしてきたのだ』というのと、『史実では義経は、義仲軍と戦うまで京にいなかった』という事だな?」
静「ご名答ですね〜。でも違和感を感じないのは、義仲さんの没落が『平家物語』では随分速そうに描写されていたからではないでしょうか? あんなに駄目駄目に表現されていては、半年も覇権を保てたのが奇跡のように聞こえてしまいますからね〜」
巴「うきぃぃぃ〜〜っっ!! 死んだら平家の亡霊より先に琵琶法師を取り殺してやる〜〜っっ!!」
長野先生「身も蓋もないようだけど、勝った連中のいい所取りってヤツよねー。でもアンタは死んでないし、どーせ頼朝の一族はみんな殺されたりしてすぐ断絶しちゃうんだから、勝者は結局はアンタでもいーんじゃないの?」
与一「少なくとも文学の上では、扇に続いて老人まで射殺させられた私や修羅道や地獄に落とされた大勢の武将よりは良いはずだぞ? 弁慶の介入で歴史がずれて、九羅香殿を脱がそうとした変態として紅葉殿の手により後世まで伝えられてしまった景時殿よりもな?」
巴「アタシそっくりの人はともかく、与一の慰め方だとますますへこむよーな気がするんだけど……」


〜其之四:俺の名前を呼ぶな!〜

玲奈「ところでよ、ずっと気になっていたんだが……」
弁慶「い、いきなり何だよ玲奈?」
玲奈「それそれ! どーしてあたし達を通称で呼び捨てするんだ弁慶――っていうか気付いたらあたしも他人の事を言えないしーっ!?」
紅葉「何を混乱しているのですか玲奈様? わたくしも疑問に感じていましたけど、この作品はフィクションですのであえて考えない事にしていますわ」
玲奈「だーかーら、それじゃコーナーの主旨に反するんだってば紅葉……」
知盛「弁慶の時代には名字を呼び合って、名前は目下の親戚くらいにしか使わないそうだな? その割には親戚でもない私を呼び捨てにしているが」
弁慶「そうだけど、知盛も教経も敦盛も名字はないし、氏で呼んでもみんな『平』だからかえって混乱するだろ?」
知盛「……一本取られたが我々の時代でもその辺は同じだ。そうだな静殿?」
静「ええ〜。例えば公家の間では三位以上は官位か『〜卿』で、四位は諱と姓(かばね)で『清盛朝臣』のように、五位以下は『義朝』のように諱だけ呼び捨てで記録されていますし、同じ官位なら氏や任命順で複雑な呼び分けをしています。もちろん普通の会話では、五位以下でもよほど目下でなければ呼び捨てなんかしませんね〜。もちろん目下相手でも、話し言葉では通称を用いて、諱を使うような事はありません〜」
弁慶「……はぁ。随分と面倒なんだな」
紅葉「なにしろ諱は『忌み名』に通じますから。未来の日本の人も、親しくない人に名前を呼び捨てにされると不快ですものね。通称というものは、諱を保護するための鎧のようなものと考えて下さい」
教経「例えばオレの従兄である『平知盛』なら、権中納言を務めていたから『権中納言』と呼んでいるだろ? なぜかここだけ時代の雰囲気に忠実だから、妙に浮いているんだがな」
九羅香「わたしの場合は『九羅香』が通称で『義経』が諱だから、他の人に『九羅香』と呼ばれるのは違和感は無いんだけど……せめて男装している時は『義経』じゃなくて『九郎』とでも呼んでもらいたかったような……」
弁慶「……九羅香はともかくとして『佐藤継信』の通称なんて誰も知らないから、そこまで忠実にされるとオレもプレイヤーも物凄く困るぞきっと」


◇本編◇

 一章以降のツッコミ所です。


〜其之一:きゃんゆーすぴーくじゃぱにーず?〜

静「さて、弁慶さんは未来から来られましたのに、なぜかワタシ達と言葉が通じるんですよね」
廉也「ですけど弁慶さんは800年後の人物とはいえ同じ日本人、通じない方が変でしょう」
静「しかし〜、800年もあれば言葉は随分と違ってくるとは思いませんか?」
玲奈「確かに弁慶の持っていた帳面の文字は、宋でやってるとかいう『印刷』よりもっと細かい文字で書いてあったよな。所々漢字が変だし」
与一「以前に内裏の書庫で文字が読めないとか言っていたが、あれは無学なせいではなかったのだな」
廉也「領主の一族である与一さんはともかく、この時代は武士でも無筆は多いですけど、お坊さんを自称している弁慶さんが字を読めないと締まらないですからね」
玲奈「……話を元に戻すぞ。書き言葉でもそこまで違うのに、話し言葉がそれより変化が少ないって事はいくら何でもないよな?」
静「はい〜。ワタシは京の生まれで、育ての親の磯ノ禅師様は身分を問わずお付き合いの先がありますから、京生まれの知盛さんや九羅香さんとは言葉が同じですし、伊勢生まれの玲奈さんともほとんど不自由しませんけど、坂東生まれの与一さんや奥州生まれの紅葉さんはなかなか話が分からなかったですね〜」
紅葉「でっでも、わたくしは南の生まれなのでまだいい方です(汗)。多賀国府や平泉よりかなり北の糠部や津軽では故郷で蝦夷の言葉を話していた方々も多いのですから、元から大和の言葉を話しているだけ勉強は楽でしたわ」
廉也「同じ時代の我々でもそうなのですから、未来に生まれた弁慶さんは本来ならもっと大変だったでしょう。やはり観月様の霊力によって言葉が通じていたのでしょうか」
玲奈「って事はあらかじめ唾を付け済みって事か〜!? あたし以上に見た目が幼いくせに何しやがる!?」
静「(無視)語彙の相違のみならず、800年間では随分発音もずれていますからね。例えばワタシ達の『は』は弁慶さんにとっては『ふぁ』と、ワタシ達の『せ』は弁慶さんにとっては『しぇ』と聞こえているはずです」
公卿「のみならず弁慶殿は、『じ』『ぢ』や『ず』『づ』の区別ができず、『ゐ』『ゑ』の発音も不得手であったようでおじゃる。他にも我らの知らぬ単語をしばしば使っておったようじゃな」
与一「……何だかご都合主義だが、そう考えると私が二章の一ノ谷で『ルート』などと口走ったのも頷けるな(汗)」


〜其之二:日本中世庭園美術論考〜

静「ワタシ達の隠れ家は、お城や砦ではない普通のお屋敷です〜。公家の館の基本的な造りのようですので、反六波羅平氏派……最近の研究では北条時政さんの後妻の従兄弟ではないかと言われている頼盛さん辺りから借り受けているのかもしれませんね〜」
弁慶「意外だよなぁ。武士なのにおもいきり公家さながらの場所に暮らしているなんて」
与一「常識を弁えろ弁慶。九羅香殿の一族の嫡流に近い者は、東国ではなく京に住んで帝から官位を授かっていたのだぞ。頼朝殿も幼い頃は京で育っておられるから基本的な暮らしぶりは公家と変わらんし、京の者が軟弱だと決めて掛かるのは後世の偏見に過ぎん。坂上田村麻呂も藤原隆家も藤原保輔も西行法師も京から出てきたのを忘れるな」
九羅香「ちなみにそれぞれ蝦夷に大勝した将軍、女真族の一派である刀伊の襲撃を撃退した大宰権帥、検非違使の兄がいるのに凶悪な大盗賊になった貴族、お坊さんだけど兄上に武術の秘伝を伝授した元北面の武士だからね?」
弁慶「……申し訳ありませんでした、那須与一・藤原朝臣宗隆様」
静「……で、実はこの詰め所にもおかしな所があったりします」
廉也「これはボクにも分かりますよ。この庭の池には水が溜まっていませんね?」
静「ええ。これは枯山水と言いまして、200年以上後の時代に造られた様式です」
弁慶「オレもそれは知ってるぞ(修学旅行の前にガイドブックで調べたし)。室町時代に禅宗の影響で広まったんだろ?」
与一「と言われているそうだが、なら何で手掛けた河原者が『〜阿弥』とか名乗っていたのだ?」
弁慶「さあ……一説だと時宗の衰退により禅宗に流れたとか、幕府の制度で宗派に関わらずそういう名乗りになったとかいうんだけど……」
静「という事で、今だと浄土系の宗派、特に時宗辺りの方が影響していたんじゃないかという話もありますね〜。能(猿楽)でも浄土教の影響の方が禅より強いですし〜」
九羅香「……まあ死霊を慰める演目だと、座禅より念仏の方が効き目有りそうだしね」


〜其之三:“あのお方”の本名は?〜

九羅香「ところでみんな、『義経』の中で妙に焦点をずらした記述があるような場所に気付いていない?」
紅葉「さあ? どこでしょう静様?」
静「そうですね〜。まずは皇室関係に見られる個人名の回避です〜」
弁慶「回避?」
九羅香「そ。ゲーム内をいくら眺めても後白河法皇を『法皇』と、安徳天皇を『帝』としか言ってないよね? 各々の諱は『雅仁』『言仁(ときひと)』と言われるんだけど直接呼ぶのは失礼だし、諡(おくりな)は呼び名の通り崩去されてから名付けられるものだから、『後白河法皇』とか『安徳天皇』とかいう名前もあるわけないんだけど」
弁慶「そうだよな。法皇なんかいつも簾の奥に隠れて公卿を通してしか会話もしようとしないし」
公卿「それは誤解でおじゃる。あれでも身分の格差を越えて親愛を示そうとしておられるのじゃぞ」
弁慶「ほ、本当かよ!?」
紅葉「そうですわ。退位なされる前でしたら、無位無官のわたくし達は声を掛けられるどころか昇殿もできず、前庭に平伏するしかありませんでしたもの」
九羅香「昇殿して帝に拝謁を受けられるのは六位の蔵人か五位以上、しかも特別に許しを得た人物だけ。父上だってようやくその末席に加わる事ができたくらいなんだから」
静「在位されていた当時も今様を好んでおられましたけど、譲位なさらなければワタシを招くなど夢のまた夢だったでしょうね〜」
弁慶「うーむ……確かにオレも元旦にしか天皇陛下を見た事ないけど、それとはレベルが違う話だからなぁ」


〜其之四:太陽が呼んでいるから♪〜

与一「九羅香殿の提議した話題の続きになるが、ゲーム内では『日本』とはほとんど言っていないだろう?」
弁慶「ああ確かに。いっつも『この国』だとか、そうじゃなければ『日の本』って言ってたよな」
与一「そうだな。しかし私達の頃はともかく、少し後の時代には明らかに『日の本』と『日本』とは同じものではない」
弁慶「何でだよ? 意味はどちらも一緒だろ?」
与一「字面だけを見て判断するな。私達は『殿』を数種類に書き分けて相手の扱いを区別する時代に生きているのだぞ。……まあ正式な文書でもなければ当て字を使う事もあるが、文字を書ければ即ちエリートだという事を忘れないようにな」
弁慶「……へーへー」
紅葉「……弁慶様が元気ないようですので、わたくしが与一様と解説を済ませておきますね」

・用例一:東の果て
紅葉「例えば戦国時代の『人国記』には、『この国(陸奥国)の人は日の本の故にや、色白くして眼の色青きこと多し』とあります。大陸の西の方では本当に青い瞳の人種があるそうですが、この場合は単に『やや薄めの茶色』というくらいの意味でしょう」
与一「当時の日本人は、国土が東西に長いという観念を持っていた。未来でも風俗を東西で二分して解釈する事が多いのは、その頃の観念の名残でもあるのだろう」
紅葉「ところで美人についてですが、未来の人達が言われる『秋田美人』というのもきっとわたくしのような女性なのでしょうね(ぽっ)」
与一「紅葉……秋田は陸奥ではなくて出羽だし、そもそも出身地は未来では福島県に入っているはずでは……」

・用例二:北海道の太平洋側の住人(推定)
与一「これがあるのは、諏訪大社に伝わる鎌倉時代の文書の方だな。蝦夷ヶ島には『日の本』『唐子』『渡党』が存在すると書かれており、未来の学者達は他文化の影響の少ない東蝦夷地のアイヌ(……という自称はまだないかもしれんが)、大陸の影響も受けた西蝦夷地のアイヌ、本州の影響が強い渡島半島の日本人とアイヌではないかと推測している。もっともこれは文化的差異よりも、居住地域によって分類を行っているようだが」
紅葉「とはいっても奥羽の北の方の出身でしたら、この時代はまだ文化的にも違いは少ないと思うのですけどね。日本国の領内に正式に入ったのは、奥州藤原氏が郡を設置してからですし」


〜其之五:平安京のオーパーツ〜

知盛「いきなりだが、『義経』世界にはオーパーツが多い。もちろん現実世界より遥かに派手な服装を抜きにしての話だが」
玲奈「お鉢? 京の人達が帝から庶民まで1人1つ持っているとして……」
九羅香「違う違う。『その時代や場所にありえないような高度技術の手による遺品』って事。moo系ゲームをいろいろやってる人なら、『デバイスレイン』のオーパスのソースでお馴染みじゃないの?」
知盛「そもそも平安京は、長岡京を滅ぼしたエイリアンを迎撃するために創られた計画都市だからな。オーパーツが多いのもある意味当然だろう」
九羅香「そ、それってホントなの!?」
知盛「お茶目な冗談だ」
九羅香「(がくっ)……意外とそーいう面があるんだね知盛殿」
玲奈「……んじゃ、具体的なオーパーツの紹介に移るぞ」

・弁慶のオーパーツ
知盛「弁慶の場合、存在自体がオーパーツとでも言えるだろう」
弁慶「ちょっと待て(汗)」
与一「具体的には行軍に便利そうな衣服、私達には謎の『バレンタインデー』なる儀礼が記されている手帳、腕に巻く帯のような形をした時を刻むからくり(九羅香殿に譲ってしまうが)、同じ物さえあれば京から那須まで声や『めーる』を交わす事が可能な『携帯電話』という道具、食してみたが口の中で粘り付く奇妙な菓子という辺りだな」
弁慶「勝手に食うなよ与一……」
静「ちなみにワタシや九羅香さんが裸の上から衣服の上着だけを着用するのは、弁慶さんにとって『萌え』のポイントが大だそうです〜」
弁慶「……………………」
与一「……………………今すぐ遺言状を作成してくれるか弁慶。私には飴を相続させてくれれば心残りはないからな」

・静のオーパーツ
静「五章の末に弁慶さんに作って頂いた紙飛行機ですね〜。以上です〜」
与一「(ざしゅざしゅざしゅざしゅ)」←九羅香の太刀を借りて弁慶を微塵斬り中。

・与一のオーパーツ
与一「……とりあえず煩悩魔人2号は始末したが、私にもオーパーツとやらがあるのか?」
九羅香「うん。そもそも眼鏡なんてわたし達の時代にはないよ?」
知盛「日本で確認されている最古の眼鏡は約400年後(弁慶の時代からは400年前)、江戸幕府の初代将軍である徳川家康の遺品の中にある」
九羅香「400年っていうと、わたし達と弁慶のちょうど中間地点なんだよね」
与一「同性愛が流行した時代だから『少女○○伝』にしなくてもボーイズゲーにはできそうだが…………はまり過ぎて私としては躊躇するな(汗)」
知盛「あと、日本最古の鉛筆や時計も家康の遺品の中にあるぞ。興味があるなら駿河の国衙――未来の静岡の近くにある久能山東照宮に行ってみるといい」

・観月のオーパーツ
九羅香「観月ちゃんのというよりは、神機は本来は帝のオーパーツだよね」
廉也「霊力で作動して一撃で京の半ばを吹き飛ばすという辺り、『スプリ○ン』にでも出てきそうな派手な代物ですね」
静「これについては語る事が多くなるため、店主さんはもう少し後の機会に話題にするそうです。ではお楽しみに〜」

・盗賊のオーパーツ
弁慶「何と言うか……最後に唐突な組み合わせを持ってきたな店主の奴……」
静「おやおや、意外な所に意外な物があるものですね〜。店主さんの言われるオーパーツというのは、盗賊や木曽兵や源氏兵の皆さんが持っている竹槍ですよ?」
弁慶「…………槍? それなら紅葉が持っているだろ?」
紅葉「違いますわ。わたくしが使っているのは鉾で、史実では平安時代の半ばを過ぎるともはや見られなくなる、いわば廃れつつある武器です。知盛様の弩も宋では軍でよく使われる武器ですが、構造の複雑さや取り回しの不便さから日本では弓に押しのけられて姿を消してしまった物ですわ」
与一「対して槍(元の表記は『鑓』)は、南北朝時代に初めて確認される武器だ。形はかなり似ているが、細かい作りや使い方には共通性は乏しい」
九羅香「言っておくけど、源氏兵や木曽兵の実際の装備は平家兵とあまり変わらないはずだからね。いくら東国が田舎でも、畿内の人々が思うほど野蛮じゃないんだから」
紅葉「そういう九羅香様も畿内の出身ですけど、平泉に来られる前は東国をどう思っておられましたの?」
九羅香「……………………………………………………………………………………ごめん。紅葉と殺し合いになるのは嫌だから言わせないでお願い」
弁慶「ちょっと待ておーいっ!!(滝汗)」


〜其之六:さあ、出陣だ!〜

与一「では、私達の時代の戦について教えよう」
弁慶「戦といっても、この時代だから所詮は一騎打ちだろ?」

ざしゅ。

与一「……お前は後世の軍記物の読み過ぎだ。あれだけ戦に出ておいて、いかに弓矢が重要か分からないのか?」
九羅香「落ち着いてよ与一。わたし達は一応は隠密部隊だから、あんまり弓矢と縁が無いでしょ?」
与一「そうだったな。すまん弁慶」
弁慶「いや、鏃を取った矢でもお前の力だと物凄く痛いんだけど……」
与一「という事で出直すぞ。弁慶、お前は私と弓矢対長刀で訓練した事があっただろう」
弁慶「ああ。あの時はあんなに距離を置かれて不公平だー、っと思ったけどな(汗)」
与一「不公平じゃない。自分を傷付けずに敵を倒すのは戦の基本だ。近距離だったからあえて頑強な体で矢を受けるのが正解だったが、あれが10丈や20丈(1丈=約3m)も離れていたら、絶対に近付く間に射殺されていたぞ?」
九羅香「わたしだって力があれば弓矢を使って前線で叔父の為朝殿みたいに戦いたかったんだけど、そうじゃないから太刀を持って忍び寄らないといけないんだよね……」
与一「とまあそういう訳で、私達の時代では主に弓矢を使って戦っている。基本的には馬に乗って弓矢を持った武士1人が、雑用と支援を行う徒歩の雑兵を何人かと替えの馬を何頭か連れて、それで1つの単位になっているな。だから騎兵はいても、宋などの軍のような騎兵隊は存在しない」
九羅香「ゲーム内だと省略されているけど、わたし達……特に領地がある紅葉や与一は雑兵を連れ歩いているはずだよ」
弁慶「えーと、それじゃ刀は使わないのか?」
与一「全く使わないわけではないが、あれはどちらかというと、他の武器が使えない時の予備か、もしくは普段の護身用だな」
九羅香「で、そういう騎兵と雑兵のユニットが更に数体集まって戦う事が多いの。これはお互いの功名を見届けるためで、厳格な上下関係にあるとは限らないけどね」
与一「……しかし遺憾な事に、それ以上大きな集団を厳格に統率する事は行っていない。宋や金、高麗の軍隊のようにいかないのは、軍が戦の都度にユニットを掻き集めて急場凌ぎで作られるからなのと、戦う理由が国家や民族の存亡とは程遠い内戦ばかりで下手に統率すると反旗を翻すからだろう」
弁慶「でもやっぱり、矢で刺されると痛いけどな……」
九羅香「まあ内戦だから、戦う時もそれなりのルールがあるんだよ。さすがに敦盛殿が言った通り『勝てば構わない』って風潮もあるけど、卑怯過ぎて評判を落としたら自分自身の進退に後々まで響いちゃうからね」
弁慶「それにしては、『平家物語』なんかだと結構卑怯な事が多いけどな。与一なんか扇に続いてじーさんを射殺しているし」
与一「あれは実は妖魔だった……というのは駄目か?」
九羅香「駄目かどうかはさておき、平家だって富士川で甲斐源氏の軍使を殺害してるよね?」
知盛「当時は朝廷の中心は平家で、各国で蜂起した源氏(だけではないが)は朝廷に弓を引く逆賊だったのだ。私戦ならともかく朝敵の討伐で軍使を保護する作法は通用しないと、指揮官だった甥の維盛は判断したのだろう。そもそも義経、お前も壇ノ浦で非戦闘員である水夫を優先して虐殺して船の動きを止めようとしていたそうだが」
九羅香「だ、だって、馬を射殺すのはもう常識になっていたんだから、漕ぎ手を殺すのも同じ――いや、似たようなものじゃない!」
与一「……九羅香殿……その失言はもはやフォローの範疇を超えているのだが……(汗)」
知盛「政治家としての才能に欠けていると思っていたが……まさかここまで駄目駄目だったとはな……(汗)」
弁慶「…………知盛、オレやっぱり源氏より平家の味方するわ」
九羅香「わーっ! 今のは撤回するから見捨てないで弁慶ーっ!!」


〜其之七:水でも飲みましょ〜?〜

静「という事で、ちょっぴり休憩を取りましょうか。ワタシは弁慶さんの時代の虎屋の羊羹が好みなんですが〜」
弁慶「……って、いつの間にそんな物を入手しているんですか静さん(汗)」
敦盛「ふっ、観月さんと神機の能力で天の扉を開いて買いに行かせているのですよ。最初の頃は米や麻布で買おうとして見咎められましたが、今では我々の時代で売り捌いて平家の軍資金に充てているほどです。妖魔が何体か未来で行方不明になりましたけど」

ぐさ。

紅葉「まったくもう! そこまでして平家の懐を肥やさなくても、羊羹くらい羊を入手できればわたくしが作って差し上げます!」
九羅香「でも紅葉、羊っていえば伝説の珍獣だよね? 内裏で飼っているかもしれないけど分けてもらえるかな?」
弁慶「待てそこの2人ーっ!! 何で羊羹を作るのに羊がいるんだよ!?」
知盛「羊羹というのはその名の通り、宋では『羊の羹(あつもの=スープ)』の事だった。それを宋の禅僧が羊の代わりに小豆を用い、鎌倉〜室町時代の日本で大幅に改造されて四角い羊羹になったわけだな。未来では中国にも伝わり、大陸や台湾の一部で日本風の『羊羹』が存在している」
静「さすがは知盛さん。宋との貿易を盛んに行った清盛さんのお子様ですね〜。という所でお次は飲み物を」
弁慶「…………水?」
静「ええ〜。さすがにこんな時間からお酒を出すわけにはまいりませんので〜」
弁慶「えーっと、他の飲み物ってないのかな? 休憩すると『お茶でも飲みましょ〜』って言ってるからこの際お茶を――」
静「あれは大陸渡りの輸入品ですので切らしています〜。それに他のお客様に出した時、『黴臭いから苦手』と言われた事がありまして、それ以来自分でしか飲んでいません〜」
弁慶「どれどれ……んっ、確かに烏龍茶っぽい匂いだよな」
知盛「それは保存用の団茶だな。宋では新鮮な葉から作った葉茶や抹茶を飲んでいるそうだが、所詮日本では幻の味というところか」
与一「えーと、店主から貰った情報では、日本では平安初期に唐からもたらされたが普及せず、今頃に宋に赴く明庵栄西が種をもたらし、それが次第に全国――といっても高価だからまずは公家や武士や僧侶に広まるそうだ」
九羅香「栄西さんが2度目の宋行きをするのは文治3年(1187)から建久2年(1191)までだから、史実で平家が滅んだほんのすぐ後だね……。別に日本中が戦で荒廃したわけでもないから、そんな時期に外国行っててもおかしくないけど」
静「ちなみに六章で九羅香さんが弁慶さんと『でーと』した時に買っていたお饅頭も羊羹と同じ頃に流入していますので、本来はあの時期には買えない物かもしれませんね〜」
敦盛「ふっふっふ。実はあの饅頭屋は私が変装して京に潜伏している仮の姿でして……」

ざご。

紅葉「さぁてと、〈宿り樹の祝福〉を掛けながら鉾の標的としてできるだけ長持ちさせて参りますわね九羅香様♪」
九羅香「え……あ……とりあえず頑張ってね紅葉」
弁慶「……一応同族だけど、助けなくてもいーのか知盛?」
知盛「……聞くな頼むから」

ばたん。

一同「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


〜其之八:オプションツアー・800年前の平安京案内(ただし現地解散)〜

 
・五条大橋:平成15年(2003)

静「え〜、それでは東京の某高校3年生の修学旅行のオプションツアーを始めさせて頂きます〜……って弁慶さんしかいませんね〜?」
弁慶「当たり前でしょう静さん。誰が好き好んで環境が完全に違う800年前に、しかも現地解散なのに付いて来るんですか」
静「それは分かりませんよ〜? 女の子なら『知盛様って渋くて素敵〜』とか『廉也様が健気で可愛い〜』とか引っ掛かってくれるかもしれませんし」
弁慶「『引っ掛かって』とか言っている時点で十分危険でしょーがっ!」
静「さて800年前の京は、延暦13年(794)に都となってから400年近くで推定人口10万ほど。南宋の帝都である臨安府や北宋の元帝都……この時代は金領の開封府といった唐(中国)の大都市には遠く及ばないものの、文句なしに日本最大の都市です〜。政治・宗教・工芸・文芸・商業など、日本の全ては京を中心として回っていると言ってもいいですよ〜」
知盛「範囲はおおよそ平安京の東半分に、鴨川の東側を付け足したくらいだ。とはいっても鴨川より東は元々平安京の領域外だから、白河と呼ばれて京と別の衛星都市扱いにされていた。法皇の御所や平家の拠点である六波羅はこちらの方だな」
静「京の簡単な説明はこれくらいにして、そろそろ天の扉を開いてもらいましょうか〜。あと転送先は同一座標にしてありますから、紅葉さんや与一さんの入浴シーンを目撃する事はできませんからね〜♪」
弁慶「だーかーらーっ!!(汗)」

 
・鴨川の岸:寿永3年(1184)

(どさっ)
弁慶「いてててて……」
与一「何だ弁慶。身長より低い所から投げ出されただけで受身も取れないとは鍛錬不足だぞ?」
弁慶「護岸工事の分の高さが消えて投げ出されたから、そもそも受身の取りようがなかったんだよ。ところで知盛は?」
静「知盛さんは叔父の頼盛さんの家に直接転送されました〜。頼盛さんはお兄様の清盛さんと仲が悪かったですけど、清和源氏とは違って殺し合ったりはしませんからね〜」
与一「確かに清和源氏はその類の前科が多すぎるが、九羅香殿が聞いたら絶対泣くぞ……」
静「さて〜、ここは六条坊門小路が鴨川に突き当たる所です〜。未来の五条大橋はここにありますけど、今は川の中を歩いて渡るしかありません〜」
弁慶「一応堤防はあるけど、未来ほど人工的じゃないよな……って静さんっ、そそそそそれっ!?」
静「ああ、あれは死体です〜。戦乱で行き倒れになった人の他にも、京で死んだ庶民はお葬式の後によく遺体を鴨川の河原に置き去りにしますね〜」
弁慶「ちょっと静さん? それって葬式って言わないんじゃ?」
静「未来とは違って、この時代のお葬式は家族以外が手伝う事はなかったんです〜。ですから疫病なんかで一家全滅があると、家の中に死体を放置したまま朽ちるに任せる事になりますね〜。十分な葬儀を整えてやれない場合は、お墓を掘る事もできずに人里離れた場所に遺体を置くだけになります〜。お墓参りは貴族でも普通やりませんので、さほど遺体にこだわる事はありませんよ〜」
与一「そもそも私達の時代は、穢れに対する恐怖感が非常に強かったんだ。だから肉親でもない者の葬儀に関わる事は重大な禁忌で、血縁のない使用人の場合、死にかけたら他の場所に――ひどい場合は路上に――追い出される事も当たり前なんだ。……私はそういう行為には抵抗を感じるけどな」
弁慶「オレは一応はお坊さんだけど、それでも手伝ったらまずいのか?」
与一「大寺院で国家安泰を祈願するような官僧は穢れに触れてはいけないが、官僧としての身分を捨てた遁世僧は穢れを恐れる事はないので、葬式の手伝いもする事が可能だ」
静「でも弁慶さんは山伏ですので、たとえ官僧でなくても穢れに触れない方がいいでしょうね〜。煩悩まみれの普段の言動は、どこからどう見てもお坊さんには見えませんけど〜」
弁慶「ぐさぁっ」
与一「……とまあさておき、心残りだろうが行くぞ弁慶。明日に法皇にお目に掛かるのに死穢を受けてしまったら、昇殿できずに失礼だろうが」
弁慶「そうだな。……でも明後日は景時と会わないといけないから、法皇と会った後で九羅香達も連れてまた来ようぜ」
静「あらまあ、もう弁慶さんはズル休みの口実を考えてしまいましたね〜」
与一「こーいういらん事だけは、適応力が強いなこいつ……」

 
・五条大橋

静「さて、未来の五条大橋より少し北に架かっているあの橋が、ワタシ達の時代の五条大橋です〜。ここで山伏の弁慶さんが九羅香さんと戦って、男と男の熱い友情を結んだそうですね〜。……1レベルの九羅香さんに負けたんですから、実は弱かったのかもしれませんけど(ぼそり)」
弁慶「静さん……この世界の『義経』は女性だから男と男とは違うんじゃ……」
静「それはもちろん表向きの話ですよ〜。本当は――『弁慶、父も母もいないわたしに温もりを与えて』『……私は仏法に仕える身、しかし衆生を救わずして大乗の教えを説く事などできようか?』――」
九羅香「……これ以上妄想劇場を続けていると、奥義・一騎刀閃を食らわすよ静?」
静「……ちなみにここは、弁慶さんの時代には松原橋が架かっていますね〜(汗)」
弁慶「その辺の詳細は入門編其之一に譲ってと……あのー静さん、今度は橋の上に死体、というか死体の一部が転がっているんですけど?」
静「あれは大丈夫ですよ〜。路上に転がっている死体は、直接触れない限り死穢にならない事になっていますので〜」
弁慶「二人とも……やっぱりこの時代の人だからオレとは感覚が違うんだな……」
九羅香「そ、そんな大層な事じゃないよ。日常で見る可能性があるからいちいち驚いていられなくなっちゃうだけだって」
静「そうですね〜。弁慶さんが家畜の肉を食べるのなんか、ワタシは気分悪くて見ていられなくなりますから〜」
弁慶「…………」
九羅香「……この時代でも、野生の獣の肉は食べてもいーんだけどね。野良犬なら野犬狩りのついでに食べちゃう事だってあるみたいだし」

※なお、義経の母は存命しています。静さん(と筆者)、脚色し過ぎ。

 
・詰め所

静「え〜、ここがワタシ達が所属する源氏軍隠密部隊の、第三章で京の治安維持を命じられてからの詰め所です〜。というか平家が京を支配していた序章当時は隠れ家でしたので、見た目は単なる公家屋敷ですね〜。この時代のお屋敷としては珍しく、露天風呂まで備えています〜」
玲奈「……よーするに、序章の後で弁慶連れて逃げ出して、第一章では宇治、第二章では京に戻らず一ノ谷に駆り出されていて、その間は空き屋敷だったという事だけど」
九羅香「でもよーっく見ると、本編其之二で話題になった枯山水の庭の他に、横引き式の襖もあるし、玲奈が登ってた屋根には瓦、しかも本瓦じゃなくて江戸時代に入ってから発明されたはずの桟瓦が堂々と敷いてなかった?」
玲奈「確かに変だよな。あたし達の時代には襖で間仕切りはできなかったし、瓦なんて内裏にもなくて使っているのはお寺くらいだったのに。頻繁に登場する場所に、ここまで堂々とオーパーツを散らかしてどーするんだよ?」
与一「確かにな。これで部屋に畳が敷き詰めてあったら、もはや完璧に室町時代だぞ」
静「……という数々のツッコミはありますが、範頼さんの軍に従軍する時を除いては、ここで九羅香さんが裸の上に弁慶さんの服を着たり玲奈さんが忍者薬を怪しい大釜でかき回したりワタシが部屋を片付ける振りをしながら散らかして弁慶さんの反応で楽しんだり与一さんが危うくスキンヘッドにされかかったりする訳ですね〜」
弁慶「……後になるほど信憑性が減っているのと、静さんの件で妙に引っ掛かる所があるのは、オレの気のせいじゃないぞ絶対」
紅葉「余談ですけどこの建物、宇治や屋島や壇ノ浦でも、キャライベントだとなぜか全く同じ建物が出現するんですよね……。敷地ごと空間転移でもするのでしょうか?」

 
・町中

(ざわざわ)
静「え〜、次は京の町中です〜。戦乱はまだ続いて西の方からの年貢が滞っていますが、以前の飢饉の時よりは持ち直したようですね〜。昔は決められた場所にしか市場はありませんでしたが、今は町通りと呼ばれる南北の通りを中心として様々な店が並んでいます〜。ちなみにお買い物は物々交換が多いですが、宋から輸入された銅銭も使えますよ〜」
紅葉「わたくしは金(きん)を持ってきましたから、奥州の家族にお土産を整えて参りますわ。下手をすれば輸送費の方がかさみますし、鎌倉と平泉の関係が思わしくないので輸送経路を十分検討しないといけないのですけど……」
与一「私は武具を修理に出そう。弁慶も刃毀れしたり血を吸ったりした長刀を放っておかずに、然るべき職人に見せておいた方がいいぞ」
九羅香「それじゃ与一、わたしの分もお願い。女の子の格好で太刀を直しに出したら変な目で見られそうだから」
玲奈「あれこれ手を加えて作ったお菓子を買えるのも、京のいい所だよな。弁慶の時代とは違って、菓子というのは普通は水菓子の事だし」
弁慶「オレの時代で言う果物だよな……。あと見回して気付いたんだけど、瓶がやたらと多いのに樽がないよな?」
静「良い所に気付きましたね〜。曲げ物の桶はありますけど、樽はこの時代にはまだ存在しないんですよ〜。製材技術の向上と共に樽が次第に増加して、江戸時代にはありふれた物になるんですけどね〜」
弁慶「それと向こうの壁に見える瓦屋根も――」
静「凍える真神の牙よ、千の刃成して彼を緋色に染めよ。〈氷狼万華蒼鏡槍〉〜♪」
(ずしゃずしゃずしゃ)
静「ふぅ。さすが火属性の弁慶さんにはこの術がよく効きますね〜。板を作る技術が進んでいないのにそこら中にある板葺きの屋根や江戸時代並みに太い子供達の帯まで指摘されなくてホントに良かったです〜」
弁慶「……というかこれが……オレだけ参加したツアーだっていう事を……忘れてないか静さん……(がくっ)」

 
・朱雀大路

静「あらあら、歩いていたら町外れまで来てしまいましたね〜。与一さん達に荷物を持って帰ってもらって正解でした〜」
弁慶「……でもこの先にも道は続いているよな。畑の中に所々廃屋や崩れた塀が垣間見えるし」
九羅香「この辺りから西も、昔は平安京の一部だったんだ。玉座から見ると右側だから右京と呼ばれたんだけど、土地が悪いせいでみんな住むのを嫌がって、東側の左京や鴨川を渡った白河にみんな引っ越して行ったんだよね……」
紅葉「結果として、かつての都の中央を通っていたこの朱雀大路が、今では京の西の外れを通る道になってしまったのですね?」
静「そうです〜。ですから3章末のワタシと弁慶さんのデートでは、厳密には不正確な事を言っていたんですよ〜」
弁慶「待て(汗)」
九羅香「今は朱雀大路の北の突き当たりの先に大内裏があるけど、火事が起こる度に町にある里内裏に帝が行っちゃってるものね……。鎌倉時代中期には大内裏は僅かな役所を除いて放棄されて、末期に花園天皇が使われた土御門内裏にその後は固定されちゃうし。そして昔の朱雀大路は、千本通になるというわけ」
弁慶「(ごそごそ)オレの時代の地図だとJR二条駅辺りだから、ずいぶん外れに寄ってるなぁ」
紅葉「未来ではこの先も住宅街になっていますけど、壬生のような観光地以外は馴染みが薄いかもしれませんね。ところで静様、次はどちらに行かれるんですの?」
静「え〜と、京を西から東へと横断して清水寺に行こうかと〜。さっきまで死にそうだった弁慶さんにはお気の毒ですけど、死ぬ気で付いて来てくださいね〜」
弁慶「いやだ〜っ! オレを元の時代に九羅香と紅葉と与一を付けて返せ〜っ!」

 
・清水寺

弁慶「うう、結局連れて来られてしまった……」
九羅香「いくら鍛えているわたしでも、全力で京を往復すると疲れるかも……。特に紅葉は3回も血を吐いちゃうし」
紅葉「申し訳ありません九羅香様……けほけほ……」
静「さて〜、ここが舞台で有名な清水寺です〜。平安京にはお寺が造れなかったので、六角堂のようなお堂を除くと、この時代でもお寺は京の外に建てられています〜。六波羅蜜寺や六勝寺は白河にありますので厳密には『京の中』ではありませんし、東寺も本来は異国の使節を迎えるための役所であってお寺ではなかったんですよね〜。もちろんこの時代には、鎌倉時代に成立した宗派の大寺院は影も形もありません〜」
九羅香「デートの時に弁慶が口走ってた『きんかくじ』っていうお寺も?」
静「ええ〜。金閣寺、正式名称鹿苑寺は、鹿苑院こと足利義満の北山の別荘を転用して建てられた臨済宗のお寺です〜。できるのは今から200年くらい未来の話になりますね〜」
紅葉「話はそれくらいにしまして、わたくし達も舞台に上がってみませんか?」
静「ああ、その事ですがダメだそうです〜」
九羅香「何で!? ま、まさか弁慶がこの前飛び降りたから?」
静「いいえ〜。背景画像データに清水の舞台がないからです〜。九羅香さんが来られた時も、背景は鈴ちゃん達のいる廃寺と使い回ししていましたし〜」
九羅香「はぁ……」
紅葉「ふぅん……」
静「ではそういう事で、オプションツアーを終わらせて頂きます〜。現地解散ですので気を付けてお帰り下さい〜」
九羅香「……いいかな、弁慶に紅葉?」
弁慶「……ああ。今日の静さんにはあれこれと恨みもあるしな」
紅葉「……九羅香様と弁慶様のお怒りはわたくしの怒り。助力するにやぶさかではありませんわ」
静「……………………………………………………………………………………あら〜?」

 
・町中

観月「……ねえ廉也、清水寺の方から静様の声が聞こえてくるみたいだけど?」
廉也「……何だか悲鳴のような声と、太刀と長刀と鉾で人体を連打しているような音も聞こえますね」
観月「……静様、あんなに弁慶様に愛して頂けるなんて何て羨ましいんでしょう……」
廉也「……あれははっきり言って、じゃれ合いを遥かに通り越しているようですが観月様……(汗)」


〜其之九:平源の合戦の未来像〜

九羅香「七章の冒頭だと、源氏が敗北して未来が随分変わってるよね? 源平の合戦が平源の合戦に変わっていたり、五条大橋の記念碑がわたしと弁慶の別離を記していたり」
紅葉「……でも九羅香様、その割には京の町並みは全然変わっていませんし、弁慶様が住んでおられた場所も江戸ではなくて東京のままのようですわ。先生もお友達も消えずにおられましたし、本当は水面に浮かぶ波程度しか変わっていなかったのではありませんの?」
九羅香「うーん……鎌倉源氏も六波羅平氏も事実上一族は全滅してるから、やっぱりどっちが源平の合戦で滅びても同じ事のよーな気がするんだけど、問題なのはわたし達よりその下の層の話なんだよね」
紅葉「ええ。東北に千葉家や葛西家の一族が広がったのは奥州が頼朝様に征服されて領地を関東の武士に分け与えたせいですし、西日本に東日本の名字が多く見られる場所が点在するのも承久の乱で鎌倉幕府が勝利したからですわ」
九羅香「紅葉の家の『佐藤』とかもね。もしかすると歴史の復元力が働いたのかも……弁慶が未来に生まれないと神機が復活せずに、平家が負ける未来に戻されるから」
紅葉「ともかく、変更された未来が本来の未来とさほど変わらない世界になるための条件は、
 (1)六波羅平氏を将来的に滅亡させる。
 (2)関東の武士を全国各地に移転させる。
 の2つですわね」
与一「そうだな。武士は相争う2つの勢力に一族を別々に味方に付けて、どちらが勝とうと所領安堵に持ち込もうとする事がしばしばあるから、実際のところ歴史の変更で割を食うのはトップクラスの一族だけだ。しかもこの時点までに清和源氏と桓武平氏の一族は十分に枝分かれを済ませ、鎌倉源氏と六波羅平氏はいわば進化の袋小路的な位置にあるから、どちらが先に滅びようとも後世にほとんど影響はないわけだ。せいぜい平家の落人伝承が源氏の落人伝承に摩り替わり、大友家や島津家が頼朝殿の落胤ではなく知盛殿の落胤だと主張するくらいでな」
九羅香「うー……」
紅葉「そういう視点で歴史を展開させると、大体次のようになりますわね」

―弁慶消滅後の歴史推移―
 弁慶消滅後に範頼軍は神機の攻撃を受けて壊滅。噂は速やかに全国に伝わり、西国で平家支持派が圧倒的になる。
  西国で編成された平家軍は海路畿内に向かい、崩壊状態の源氏軍を蹴散らして京を再占領。法皇は全責任を源氏に押し付け、知盛に鎌倉追討の院宣を出す。義経(九羅香)は奥州 に逃れ、その後は行方不明。
  義仲派の残党、近江源氏、甲斐源氏などが、鎌倉を捨てて六波羅に味方する。別行動を取っていた平頼盛(清盛の腹違いの弟)が平家軍に復帰する。
  東海道、東山道、北陸道から平家の大軍が坂東になだれ込み、頼朝に抑え付けられていた足利、佐竹などの源氏の名門も鎌倉攻撃に加わる。那須家は与一を切り捨て、兄を跡継ぎに切り替え平家軍に参加。
  畠山、千葉、三浦なども鎌倉を捨てて平家軍に参加。この際いくつかの家で、庶子が鎌倉に味方する総領を放逐して当主に納まる。
  平家が鎌倉を神機で攻撃して壊滅させる。頼朝に最後まで味方した北条家はほとんど滅びるが、頼盛の従姉妹である牧の方の子供達が助命されて家を継ぐ。頼朝の一族は全て捕らえられ、既に出家していた貞暁を除いて全員斬首される。平源の合戦の終了。
  義経を庇った容疑で、知盛は平泉を攻撃。奥州藤原氏は滅び、所領の大半は平家軍に参加した坂東の武士達に与えられる。平泉で神機を連続使用した際の過負荷で観月は絶命し、敦盛の清盛復活計画は頓挫する。
  法皇の没後、知盛が征夷大将軍となる。知盛は頼盛を鎌倉奉行として残し、自身は六波羅で幕府を開く。

  知盛の没後、六波羅と鎌倉の対立が激化。知盛の男系の子孫が断絶した後の後継者の問題で、北条家(本来の歴史とは違い、牧の方の血を引く方の血統)が支配する鎌倉が六波羅と戦を起こし、知盛系の六波羅幕府は崩壊する。この際に六波羅に付いた多くの武士の所領が没収され、東国の武士が西国に勢力を伸ばすようになる。
  内紛の勝者となった北条家は、頼盛流や皇族の将軍の下で執権と鎌倉探題を世襲して六波羅と鎌倉を事実上支配する。

  後醍醐天皇が戦を起こし、北条家は六波羅の合戦でほとんど全員が討ち死にして六波羅幕府は滅亡する。以降の歴史は本来の歴史とほとんど変わらない。

  ……後に敦盛は織田信長として復活し、日本を妖魔の国に変えるために暗躍するも、見抜かれて本能寺で射殺されるとかそうでないとか。

九羅香「これで本来の歴史で滅びる血統は予定通りに滅びて、関東の武士が全国に散らばって、しかも800年後に弁慶や長野先生達が生まれる事になるんだね?」
紅葉「ええ。その通りですわ」
与一「でも7章の冒頭は、序章とほとんど同じシーンだよな? 一旦過去に来てから未来に戻されたのなら、どうして過去に来る前の時間に戻されているのだ?」
紅葉「それは多分、六章の最後で、序章より前の時点に戻してしまったからだと思われますわ。同じ時間に2人の弁慶様の存在は許されませんから、結果としてあの時の弁慶様は以前のご自分を追体験していたのでしょう。しかし弁慶様は以前の弁慶様とは別の存在になってしまいましたから、そのまま鎌田様や鈴木様とカルタ遊び……もとい、トランプをしなかったり、罰ゲームが別の内容だったり、トランプで勝っていたりすれば、弁慶様は天の扉に飛び込まず、過去に来ていなかったという事になるところでしたわね」
九羅香「で、でも、それじゃタイムパラドックス――時間の矛盾が起きて大変な事になっちゃわない?」
与一「歴史は記録でしか残されていないのだから、『実は弁慶は山伏のままで、未来人が名前を継いだという事実はなかった。そして神機が使われたという事実も存在せず、平家の敵は全て突発的な災害で滅びている』という事にしても何ら問題はあるまい」
九羅香「ンな強引な……まあゲーム設定自体かなり無茶をしてるから、今更その程度は問題ないんだろうけど」


〜其之十:恐怖の術兵器・黒い体臭〜

弁慶「さて、今回は清盛から発せられる黒い体臭について考えてみよう」
観月「外法・魂喰らい」
(ずぐしゃっ)
弁慶「……観月ちゃん……覚醒状態じゃないのにどうやって清盛の奥義を……」
観月「大人しく力を委ねないと、おじい様が幼女趣味だって暴露すると脅しを掛けたのです」
静「あら〜、妖魔になっても清盛さんの性癖は変化がなかったんですね〜」
弁慶「ほ、本当に清盛はロリコンだったのかよ静さん……」
静「そうですよ〜。清盛さんが生きていらした頃のワタシの年齢を考えてみて下さい〜」
九羅香「ま……まあ、ホモの左大臣が堂々と存在する時代だしねぇ」
与一「前置きが長くなったが話を続けるぞ。神機というのは、霊力で作動する強力な兵器だ。現実世界に存在する皇統の証である『神器』とは関係ない。形もあちらは剣・鏡・勾玉(?)の3つで一揃いだが、こちらは定まった形は存在しないらしい」
静「余談ですが現実世界の神器のうち、剣は熱田神宮のご神体、鏡は伊勢神宮内宮のご神体が本体とされています〜。ですから剣が壇ノ浦で沈んだ時に、内裏にあった別の剣を代わりの神器にできたんですよね〜。……ぶっちゃけた話、平家が帝を西国に連れて行った後に京で即位された帝(後鳥羽天皇)は神器なしで即位できちゃうくらいですので、勾玉以外は大して重要性がないのかもしれません(笑)。神器を山奥まで持って行った南朝も、京を支配し続けた北朝に結局は敗れていますしね」
九羅香「でも与一、六章で手に入れた2つ目の神機は太刀の形をしてたよね?」
与一「あれは神機(の一部)に太刀の形を取らせたか、封印用の太刀の中に神機を封じ込めたかのどちらかだろう。言っておくが十章で清盛が使っていた時のどす黒い気体のような姿は、邪気を発散しているのか怨念を吸収しているかのどちらかで、間違っても体臭ではないと思うぞ?」
弁慶「……ところで、神機って誰が作ったんだ?」
与一「いつどこで何者が作り上げたのかは私も知らんが、昔から帝が所持しておられた事と、帝の血を引く者に反応する事からして、帝の祖先のいずれかの方が関わりを持つのであろうと思う。しかし数代前の帝に3つに分けられると共に封印されて、それぞれが内裏の宝物庫、京近辺の巨大な鬼門の下、比叡山に隠されていたのだ」
静「まあ勝手に持ち出されても、帝の血脈を引いてしかも強力な霊力を持つ人でないと使えないようですし、未来から人を召喚して触媒にしないと封印が解除できませんからね〜」
九羅香「でも、それは生まれたばかりの観月ちゃんを改造する事で1つ目の条件を満たして、天の扉を開く事で2つ目の条件も乗り越えちゃったんだ……」
観月「私が改造されたのはおじい様が亡くなられる前でしたから、神機解放計画はおじい様も関わっておられたのでしょうね。それが鎌倉源氏や木曽源氏だけでなく全ての人を滅ぼすための計画に摩り替わったのは、無理やり魂を呼び戻されておじい様が妖魔になってからでしょうけど……」
玲奈「ふん、いずれにせよ戦のためかよ。偉い連中っていうのは、兄弟で殺しあう九羅香の一族ほどじゃないけどろくでもない連中がホントに多いね」
九羅香「斬るよ玲奈?」
静「まあまあ〜。でもそれだけ無茶な封印をしていただけあって、発揮された威力は結構凄まじかったですね〜」
紅葉「六章では一撃で京の半ばを吹き飛ばしましたけど、あれでもまだ完全発動ではなかったんですよね……」
玲奈「1ヶ月以内に回収できずに完全発動していたら、半ば程度じゃ済まなかっただろうな。で、元々弁慶が未来から召喚されたのは、神機の封印を解くためだったんだろ?」
観月「ええ。召喚後の出現地点を微妙に操作できずにお姉様には羨ましい……いや、恥ずかしい事をさせてしまいましたけど」
九羅香「本当にお願いだから、観月ちゃんまでわたしをからかわないで……(涙)」
与一「でも何で平家は未来人にこだわったのだ? 弁慶自身に高い霊力があるわけでもないのに」
九羅香「知盛殿の話からすると、『未来人』である事自体に意味があったみたいだけど……」
弁慶「仮説1、オレがゲームの主人公だから」
九羅香「理由になっていないから却下」
紅葉「仮説2、実は弁慶様は非常に高い霊力を……」
九羅香「身も蓋もないけど、弁慶はWISが低いから却下」
与一「仮説3、神機の封印解除条件として設定されていたのだろう。『まだ生まれていない男の手によって』とかいう、一見すると無理な条件付けとしてな」
九羅香「うーん、弁慶には悪いけど説得力あるよね」
静「仮説4、時空を越えた事により弁慶さんはワタシ達と異なる時空位相エネルギーを帯びていたのです〜」
九羅香「……時空位相エネルギーなんて設定はないから却下」
玲奈「仮説5、神機は萌えとか妹系とか百合とかロリとか(中略)とかを知らなかったから弁慶の知識でショックを受けたんだろ〜!」
九羅香「弁慶……そんな知識をわたしや静だけじゃなくて玲奈にまで仕込んでいたわけ?」
紅葉「ふっ、不実ですわ弁慶様!」
与一「玲奈にまで教え込んでいて私に教えてくれないとは、随分と舐めた真似をしてくれたようだな煩悩男」
静「あらまあ。みんな元気でいいですね〜」
弁慶「放せ〜〜っ!! 話せば分かる――なんてギャグに走ったりして〜〜っ!!」

ばたん。

観月「仮説その6、実は弁慶様は……」
玲奈「……それより観月、念のために弁慶の後生を祈って念仏でもしておいた方がいいんじゃないのか?(汗)」


〜其之十一:扶桑を継ぐ者達〜

九羅香「さて、『少女義経伝』だと、神機を封印した後で、みんなそれぞれの道を歩み始めるんだよね。わたしと与一と玲奈は住んでいた所へ、紅葉は京で被災者の面倒を見続けて、静は親の国を求めて異国へ旅立ち、観月ちゃんは本人のEDだとわたしに平泉までついて来て、弁慶は……弁慶は、ううっ……!」
与一「九羅香殿、まさか悪阻か!? 弁慶の奴、いつの間に九羅香殿とそういう関係にまで!」

どげし。

九羅香「変な方向に突っ走らないで。与一までボケたら誰がツッコミ役に回ればいいの?」
与一「すまん九羅香殿……。不覚にも取り乱してしまったようで」
紅葉「ともあれ、作品内では九羅香様が女性である事が幸いして源氏の勢力抗争を離脱できたわたくし達ですけど、史実や『義経記』では悲惨な運命を辿る事になりますわね」
玲奈「だよな。そもそも紅葉……というか継信はとっくに屋島で死んでるしよ。弟の忠信も京で頼朝の配下に襲われて殺されてるし、あたしのモデルになった伊勢義盛も西国に逃れようとした時に遭難して行方不明になってるし、平泉で義経の最期に立ち会えたのは山伏の『弁慶』だけじゃないか」
静「ワタシなんか、『義経』の行方を聞き出すために鎌倉に連行されて、そこで産んだ義経さんの男の子をすぐに殺されてしまいます〜。坂東の人間は粗暴だと覚悟していましたけど、そこまで人でなしだなんて思っていまし……いませんでした〜」
与一「あのー静殿、ちょっとスタジオの裏まで来てくれるかな?」
静「はい〜?」

数分経過。

与一「……静殿は急病のため休まれるらしい。代わりに司会は任せてもらおう」
玲奈「……さすがは坂東の武士、ツッコミもある意味容赦ないよな……」

 
・Part1:六波羅の末裔

九羅香「で、清盛殿の一族は壇ノ浦で滅亡したんだっけ?」
紅葉「えーと、四男の知盛様や妻の時子(二位尼)様達は幼い帝と共に入水され、娘の徳子(建礼門院)様達は京に戻って出家され、次男で棟梁の宗盛様や嫡曾孫の六代様は後に斬首されました。義弟の時忠様は同じ平氏でも武家ではございませんので能登に流され、その子孫が大地主兼船主の時国家だと伝えられますわ。あと孫の資盛様の末裔が、霜月騒動で多くの御家人を滅ぼした北条得宗家内管領の平頼綱や、最後の得宗である北条高時の内管領の長崎円喜などだそうです」
与一「腹違いの弟の頼盛殿は出家するが所領は安堵され、鎌倉時代の途中まで家系は存続している。他には平家の落人伝説が日本全土に広がっているが、特に裏付けがある物ではないから省略しよう」
九羅香「意外とあちこち生き残ってるんだね……」
与一「もちろん清盛殿から遠く離れた血統の関東平氏や伊勢平氏、それに堂上平氏の一族は清盛一族の没落とは大抵は無縁だから、平家滅亡というわけでは全くない。これは源氏にも同様に言える事だな」

 
・Part2:鎌倉の末裔

九羅香「聞くのは怖いんだけど……鎌倉源氏は鎌倉時代にはどうなったの?」
与一「頼朝殿は『吾妻鏡』空白期に謎の死を遂げ――公家日記によると糖尿病で足腰が弱まり落馬したそうだが――、長男の頼家殿は比企家と組んで北条家を追い落とすのに失敗、幽閉先の伊豆で入浴中に殺害される。次男の実朝殿は三浦家と手を組もうとしたと思しき頼家殿の息子の公暁に殺害され、公暁も捕まり殺される。他の子女も出家したり子を成さずに死んだりで、結局頼朝殿の血は絶え果てた。なお大友家や島津家が頼朝落胤を称するのはあくまでも俗説で、それぞれ藤原氏(中原氏へ養子)と惟宗氏出身だそうだ」
範頼「私は曾我兄弟の仇討ちの際の失言が元で伊豆に流され、その後消息不明となるが、殺されたという説が根強い。もっとも吉見家という子孫があるだけ、歴史的には勝者と言えるかもしれないな。他にも義経の同母兄の全成の子孫の阿野家ももう少し後まで続いているが、全成と息子の時元が相次いで殺されて衰える。後の時代の阿野家は全成殿の血を引くゆえに所領を相続した藤原氏の貴族で、源氏とも武士とも直接の関わりはない」
玲奈「うわっ! あ、あんた誰だ!?」
九羅香「わたしの腹違いの兄、父上の六男の源範頼! サブキャラクターでしかもこのコーナーで出番がなかったからって忘れないでよ!」
紅葉「……太く短く生きた義経様の血筋と細く長く生きた範頼様の血筋はどちらが幸せか分かりませんけど、個人としては範頼様の幸の薄さは一目瞭然ですわね……」
与一「ちなみに鎌倉幕府の有力御家人の多くは桓武平氏で、清和源氏は一言で言うと、自分の権力を阻むと見なした頼朝殿や源氏将軍復活目的の反乱を恐れた北条家に迫害されていた。源平の合戦の真の勝者が平氏だと考えると、つくづく歴史は皮肉なものだと感じざるを得んな」

 
・Part3:その他の人物の末裔

与一「壊滅したへたれ一族はさておき、次はその他の一族についてだ」
九羅香「『弁慶』は山伏だから子供を作ってもいいんだろうけど、子孫の話は聞いた事がないなぁ」
紅葉「わたくし、というか継信の末裔は知られておりません。信夫の佐藤家は本家が南北朝時代に伊勢に移りますけど、分家はそのまま信夫に残ったのでしょうね。このページを読んでおられる佐藤様にも、わたくしの遠縁の方がおられるかもしれません」
玲奈「『義盛』は本人の事すら不明な事が多いのに、子孫の事までは分かりっこないぞ。室町幕府政所執事の伊勢家はれっきとした伊勢平氏で、あたしとは何の関係もないし」
静「ワタシは義経さんとの愛の結晶が即座に野蛮な――」
与一「黙ってくれ、というか永遠に黙れ静殿(怒)。私も一応は坂東の武士だぞ」
静「すいません〜。つい本音が出てしまいました〜」
与一「…………」

静を折檻中。

静「はわわ〜。すみません与一さん〜(涙)」
与一「私も景時殿に讒言されて佐渡に流されたり、法然殿の弟子になってかつての敵味方を供養して回ったり、波乱万丈の生涯を過ごしたと伝えられているが、家を子孫に残せただけ他のみんなよりは良かったようだな」
九羅香「子孫って?」
与一「史実の『那須宗隆(資隆)』には男子が無く、兄の五郎こと之隆(資之)が継いだそうで、その子孫が鎌倉時代には那須郡を領する一族として栄える。しかし惣領家の勢力は弱く、室町時代には那須、福原、蘆野、千本、伊王野の5つの家に分かれて、武蔵七党の1つである丹党の末裔の大関と大田原も加えて那須党と呼ばれた。ちなみに江戸時代には大関と大田原が大名、那須家の血縁は交代寄合(参勤交代する旗本)となっている」
紅葉「静様の声を演じておられる那須めぐみ様も与一様の一門の子孫……という事実があるかどうかは定かではありません」
巴「え〜と、アタシも混ざっていいかな?」
九羅香「うん。多分この回が最終回っぽいしね」
巴「義仲様の子孫は、息子の義高様が人質になっていた鎌倉で殺されてしまったわね。後世の木曽に木曽家が現れるけど、義仲様との類縁関係は確証できないそうよ」
玲奈「弁慶のお師匠さんが巴御前に似てるから、ゲーム内の世界だと子孫なのかもしれないよな」
九羅香「……とこうして見ると、佐藤家と那須家が一番繁栄してるんだよね」
静「ええ〜。それではこの辺でお開きに……」

ばたん。

景時「待て待て待てーっ!」
静「あら〜。九羅香さんを公衆の場で脱がそうとしたスケベ中年さんではないですか〜」
紅葉「まさかこの方、九羅香様ではなくわたくしまで脱がそうとする男装美少女愛好家なのでは!?」
景時「忘れるなーっ! わしは桓武平氏鎌倉流の梶原景時だっ!」
九羅香「いや、忘れてたわけじゃないけど。そもそも最初から記憶にないから、『忘れる』事自体不可能だし」
巴「何だか自然に残酷ねアンタ達。愛の反対語は憎悪ではなくて冷淡って表現そのまんまじゃない」
与一「……いや、あまり本気に取られても困るのだが巴殿。みんな弁慶の冗談体質が染み付いてしまったせいだ」
景時「はぁはぁ……。それより義経!」
九羅香「あーもううるさいな! 言いたい事言ったら黙ってて! わたしは聞きやしないけど!」
景時「こっ、事に欠いて頼朝様の血統の断絶を吹聴するとは、鎌倉からの処罰が怖くないようだな!?」
静「怖くなんかありませんよ〜。だって鎌倉幕府は1世紀半で滅びてしまいますから〜」
与一「静殿、普通の人間は1世紀半も生きないのだが……」
玲奈「その前に景時、他人の血筋を気にするよりあんた自身の末路を気にした方が賢明じゃないか?」
景時「何だと!? 盗賊風情が武士に口を利くつもりか!?」
範頼「景時殿は頼朝兄上の死後に御家人達の手で鎌倉を追放され、その後駿河で殺されている。梶原家は辛うじて後世まで存続しているが、特に著名人は出していない」
景時「…………」
与一「主君に重用された出頭人は主君の死と共に政治生命が絶たれる。これは時代を超えて通用する法則だが、隙と大義名分さえあれば同族にも牙を剥く坂東武士の間では、生物としての生命を絶たれる事も覚悟した方がよかったと思うぞ?」
景時「…………」
紅葉「そんなに気を落とさないで下さいスケベ中年様。わたくしが書き記す予定の『少女義経伝』で変態ぶりを克明に描写致しますから」
景時「うがあああ!! 女のくせに生意気だぞ貴様あああっ!!」
静「スケベ中年さんは恥ずかしがり屋さんだったんですね〜。でも紅葉さんは脚色して下さるから大丈夫ですよ〜」
スケベ中年「どこが大丈夫だあああっ!? 生き恥を晒させるくらいならわしを殺せええええっ!! というか名前まで勝手に変えられているしいいいいっ!?」
九羅香「……え〜、この辺で今回はおしまいという事で。未来の皆さんまたね〜!」
巴「……それよりさ九羅香、この泣き喚く中年をどーやって処分するのよ……」


◇余録◇

 単なる追加分のツッコミです。


〜其之一:12世紀末期の世界情勢〜

与一「ん〜〜っ……」
九羅香「どうしたの与一? ……まさか弁慶、わたしに飽き足らず与一までその毒牙に!?」

ざしゅ。

与一「同じネタの二度出しはご法度ではないのか九羅香殿? 貴方も関西人ならその程度の事は心得てもらいたい」
紅葉「でも与一様、この時代に『関西』という呼び名はありませんし、畿内が笑い話の本場だとは聞いた覚えがありませんわ」
与一「う。確かに弁慶からは『お笑いは『おおさか』が本場だ』と聞いてはいるが、京の東にある逢坂でそんな芸事を行っているとは聞いた覚えがないからな」
九羅香「逢坂じゃなくて大阪(大坂)! それにわたし達の時代には渡辺や四天王寺はあるけど、そーいう地名は本願寺が引っ越してくるまでなかったし!」
与一「…………という弁慶的な展開はさておき、来てくれたからには少し予習をしておきたいのだが」
九羅香・紅葉「予習?」
与一「ああ。この前弁慶が静殿に世界のあらましを教授しておってな、その後で『もっと詳しい事を教えてくれ〜!』と泣き付かれて来たのだ。あらかじめ弓矢で脅しておいたから、どさくさ紛れに不埒な行為に及ぶ事はなかったが」
紅葉「なるほど。ですのでこの前誘拐した敦盛様を拷問して、未来の情報源となった史書を知盛様が持っておられる事を吐かせて、静様が受け取った恋文と引き換えに史書を確保しておられたのですね?」
九羅香「紅葉……近頃のキミって結構怖い……」
与一「イニシャルがSMだから、ある意味宿命かもしれんがな……。ともあれ敦盛殿の尊くない犠牲のおかげで、私達の時代について遠い異国の彼方まで知る事ができたわけだ。もちろんその大半は文字記録を残す事ができる地域が中心で、それ以外の事は大雑把になるが勘弁してほしい」
紅葉「なお『義経』の世界はフィクションなので、実際にはこの記述と違う可能性も多々ございます♪」
与一「……それを言ったらおしまいだと思うが私は」

 
・Part1:中国とその周辺

・1-1:南宋
紅葉「さて、我々にとって最も近い異国である唐(から)は、どうなっておられるのでしょうか与一様?」
与一「私達がひとまとめにして唐と呼んでいる地域には、複数の国家が存在する。中心となるのが南宋と金だが、日本から交易に出向く先は、文明や文化の水準が高く産物が豊富、そして距離も近い南宋の方だ。今の皇帝は孝宗だが、文治5年、向こうの淳和16年(1189)に光宗に、建久5年=紹煕5年(1194)に寧宗に交替する。……別にこういう事は未来の試験に出るわけでもないし、正式な国交を結んでいない現在の我々にも事実上関係のない事だが」
九羅香「わたし達が単に、『宋』って言っている国だよね?」
与一「そうだ。本来は村上天皇の御世の天徳4年=建隆元年(960)に成立して、唐(とう)の内地のほぼ全てを領していた大国だったが、崇徳院の御世の大治2年=靖康2年(1127)に戦に敗れ、北方の金に領土の北半を奪われたのだ。それ以前を北宋、以降を南宋と呼ぶが、双方が同時に存在したわけではないので注意が必要だな。さて九羅香殿、宋の政の特徴を言えるかな?」
九羅香「えーと……血筋や家と関係無しに、学問の試験によって役人を選び出すんだよね?」
与一「その通り。唐の時代は試験より血筋が大きくものを言っていたが、戦乱で貴族の家柄は大半が滅び、印刷された書物の普及もあいまって、科挙制度により幅広くから宮仕えする者を選び出す事になったのだ。この制度は徹底しており、県――日本の郡にあたる――の長官まで都から派遣され、地元と結託しないよう頻繁に任地を移されるそうだ」
紅葉「では、わたくしや与一様の実家のような領主は、宋の国にはありませんの?」
与一「全ての国土は国に領有されるし、役人は出身地に勤務する事が許されないから、統治権を持つ領主というのは存在しない。せいぜいが土地を買い集めて地主になるくらいだな。だから軍隊も学問の試験で選ばれた役人が指揮官となり、雇われるなり徴兵されるなりした民が正規の兵士となる。ただし異民族の王朝は別で、一部の地域には領主があったり皇帝の同族が精鋭の軍団を務めたりもする」
九羅香「血筋も家職も無視して試験だけで栄華も没落も決まるなんて、なんだか訳の分からない仕組みだなぁ。そもそも指揮官と兵士が主従関係にないんじゃ、そんな軍隊がまともに戦えるわけないじゃない」
紅葉「そうですわね。だから皇統が頻繁に断絶して国を乱す元になるのですわ」
与一「……これが唐特有の郡県制という仕組みで、未来では世界各地の国がこの仕組みを参考として行政組織を作り上げる事になるのだが、我々の時代の日本ではこーいう理解は仕方のない所だろうな」
教経「そういう難しい話はよく分からんが、宋の産物は一級品揃いだぞ。『平家物語』にも出ているように、様々な品を日本では宋から輸入している。その流通を握っているのが六波羅平氏なんだが、今寝返れば絹織物や青磁を割安価格で提供できるぞ?」
紅葉「う……。…………そのような物でわたくしの忠誠を買おうなどとは、見損ないましたわね教経様!?」
九羅香「……ねえ紅葉、今の沈黙は一体……」
与一「知るか(紅葉みたいに実家が金持ちでもないし、どうせ割安でも私には買えんぞ)。さて、宋の産物として他に有名なのは、やはり書物だな」
知盛「宋では木版印刷が盛んで、筆写に頼らざるを得なかった頃と比べて、大量に書物を世間に流布させる事ができるようになったのだ。日本でも多くの書物を輸入して、その一部が800年後の弁慶の時代にも伝わっている。中には唐で戦乱や弾圧により消滅した書物が、日本にだけ残って唐――未来では中国か――に里帰りする事さえある」
九羅香「書物って、例えば?」
知盛「分野を問わず流入しているようだが、目新しい物といえば儒学の書物だな。宋では多くの儒学者が出ているが、存命者で有名なのは、陸九淵(紹興9(1139)-紹煕2(1192))や朱熹(建炎4(1130)-慶元6(1200))といった辺りだろう。なにしろ儒学に通じた者が役人になるのだから、政治上の対立で特定の学派が弾圧される事があるくらいだ。北宋後期の旧法党と新法党の対立や、もう少し後に起こる慶元の党禁などがその代表例だ。また長年に渡る北方との戦争により、民族主義や大義名分論が盛んになっている。これらの思想は後に高麗や日本に伝来してまた新たな展開を見せる事になるのだが、その辺はこのコーナーで触れる事ではないだろう。もちろん仏教でも新たな傾向として禅があるが、これの大半は浄土教と折衷された物で……」
九羅香「……??」
与一「…………一人で語り過ぎだ知盛殿。教経殿共々、敦盛殿を引き取ったら帰ってくれ」

・1-2:金・西夏・モンゴル
紅葉「平家の皆様はお帰りになりました所で、わたくし達は続きと参りましょうか」
与一「金というのは、東北の辺境から勢力を伸ばした女真族が、北方の草原から唐の内地の北端を掠め取っていた契丹族の遼国を滅ぼして、ついでに宋の北半を奪った国だ。西夏というのはタングート族の建設した国で、西北の辺境に陣取って西方へと向かう陸路を押さえている」
九羅香「ふんふん。で他には?」
与一「政治的にも文化的にも、大して特筆する事はないから省略しよう」
九羅香「お――――いっっ!!!!(汗)」
紅葉「あ、ところでモンゴルについて教えて頂きたいのですけど……確か義経が大陸に渡ってチンギス・ハンになったとかいう話がありましたわよね?」
与一「元来モンゴルというのは、北方の遊牧民の一部族に過ぎなかったのだ。遼の崩壊以来分裂状態だった遊牧諸部族をモンゴル部族のテムジンが、今よりもう少し後の1206年に統一してチンギス・ハンを名乗り、モンゴル系やトルコ系の諸部族がそれ以来モンゴルと呼ばれたのだから、我々の時代ではまだその呼び名は成立していないんだがな。しかもテムジンは我々にとっての今現在には既に活動しているから、義経が云々というのはそもそも無茶な話だ」
九羅香「それにチンギス・ハンは子孫を残しているけど、女同士で子供を作る方法なんてわたしは知らないし……」
与一「……もう一度刺されたいのか九羅香殿?」

・1-3:高麗
九羅香「え、えーっと。まだ高麗(こうらい)が残ってたよね?(汗)」
紅葉「高麗(こま)の国は結構昔からありますわよね? 武蔵にも高麗から500年ほど前に渡来・帰化した一族がありますし」
与一「えーとだな、紅葉が言っている方の『高麗』は、正式には高句麗と呼び、今の『高麗』の北部から遥か北まで広がっていた大国だ。一時は百済を滅亡寸前に陥れ、新羅も半ば従属させたほどの強国だったが、唐との戦に破れて滅び、南寄りの地域が新羅に併呑された。今の『高麗』は醍醐天皇の御世の延喜18年(918)に建国、朱雀天皇の御世の承平5年(935)に新羅を併呑して成立した国だ。元々北部で建国したから名乗った国号で直接の因果関係はないのだが、一時は後高句麗を称していた時期もあった」
紅葉「そ、そうでしたの?」
九羅香「まあ国境を接しているわけでもないし、そもそも正式な国交もないし、交易しても奥州まで高麗人が来るわけもないから、こーいう無関心は仕方ないかもしれないけど……」
与一「しかし高麗人にとって、直接国境を接している遼や金は恐ろしい相手だった。その上に海を隔てた先の宋も、日本や南蛮の国々相手とは違い、朝貢して服従を誓わないと交易させてくれなかった。だから仕方なく双方に服従する格好を付けて、生き延びんと常に必死だったわけだな。高麗でも仏教は盛んだが、そのような事情があるために、個人の往生より護国への関心がより盛んだったそうだ」
紅葉「ところで、高麗の政治も『ぐんけんせい』ですの?」
与一「大筋は確かにそうだが、高麗の朝廷は大きな町(主邑)にしか役人をよこさず、周辺の小さな町や村(属邑)には、大きな町の有力氏族が役人を出すという独特の制度が存在した。それと今現在は、武臣政権と呼ばれるものが高麗には成立している」
九羅香「武臣って、清盛殿とか父上とかみたいな?」
与一「残念だが全く違う。高麗の武官は卑しい出身の者が必死に栄達するために身を投じた者が多く、出身の良い文官達に蔑まれていた立場の狭い存在だった。もちろん自分達の家臣などおらず、兵力は朝廷に完全に依存していた」
玲奈「ひどい国だな。すぐ隣に敵がいるのに大事な武官を苛めて、そんなにてめえらの国を滅ぼしたいのかよ?」
紅葉「ひゃあっ! ……れ、玲奈様!?」
九羅香「天井から飛び出ないでよ玲奈……。で、それなのにどうやって武臣政権を作ったのかなぁ」
紅葉「さあ……功績を立てても文官に無視されるだけでしょうし、下手をすると抹殺されかねませんわ」
玲奈「やっぱり反乱だよな。長袖連中をちぎっては投げちぎっては投げ」
与一「……たかどうかはともかく、毅宗の24年(1170)に横暴な文官に耐えかねた武官が反乱を起こし、多くの文官を殺害してから王を廃位して、高麗の政権を握る事になったのは確かだ。もっとも1196年に崔氏政権が成立するまで、紛争は頻発し続けるがな」

 
・Part2:その他の地域

・2-1:東南アジアと周辺
弁慶「なるほど。昨日はそういう事があったのか」
与一「ああ。雑談が終わったところで、もう一度南蛮の国々について復習するぞ」
弁慶「へいへい。えーと、この時代にはオレ達の時代にある国は、ほとんどが原型すらなかったんだよな?」
与一「その通りだ。未来に中国の領内となるチベットと雲南は、いわゆる『唐』とは別個の国家を形成していた。チベットは吐蕃国が崩壊してから諸侯の分立状態が続いており、雲南にはタイ人(後のタイ王国とはやや別系統だが)の大理国が存在している」
弁慶「それにベトナムがやけに小さいし、カンボジアってこんなに大きな国だったか?」
与一「この時代はベトナム(越南)ではなく大越と呼ぶのだ。元々ベトナム北部は秦の遠征以来1000年に渡って唐(から)の大帝国の属領だったが、唐(とう)の崩壊後に――」
弁慶「耳で聞くのはともかく、文字にすると凄くややこしいよな?」
与一「黙って話を聞け。――独立を達成、今は李朝の時代の最中だが、1225年に陳朝に交代する。ちなみに大越も宋に朝貢しているが、朝貢する際の名義は実際の大越皇帝とは全く別人の名前を用いているのは面白い所だな。やはり高麗より唐の脅威から距離を置いている分、へりくだる度合が減っているとも言えよう」
弁慶「なるほど。ところでこの、ベトナム……じゃなくて大越のすぐ下にある国は?」
与一「チャンパだ。漢字では占城とも書くな。唐の文化を取り入れている大越とは違い、天竺……インドの文化を主に取り入れている国だ。大越と度々戦をしており、遥か後に大敗して国土は黎朝大越に併呑され属国となるが、それはまだまだ後の時代だな」
弁慶「で、その左にある大きいのがクメールと」
与一「……西と言え西と。ともかくクメール(真臘)はアンコール朝の下で大いに栄え、未来のカンボジア領内だけでなく、ベトナム南部やタイ中部まで広がっていたわけだ」
弁慶「じゃあこの頃のタイは、この上と下……もとい、北と南の小さなののどっちなんだよ?」
与一「北の国はランナー・タイ、19世紀にバンコクの王国に吸収されるまで続いた独立の小国だ。南の国はドヴァーラヴァティーというモン人の国で、この頃から衰退してタイ人の国家に吸収されたようだが、タイの基層文化に大きな影響を与えている。ちなみに未来のタイ王国の源流とされるスコータイ朝は1238年建国だというから、まだ地図上には存在せんぞ」
弁慶「じゃ、隣のビルマだかミャンマーだかは……」
与一「ビルマ(ビルマ語で『バマー』)の格式立った呼び名がミャンマー(漢字では『緬』)だが、この時代はパガン朝が存在し、下流域のモン人国家も既に併呑していた。……と、大陸はこれくらいにしておこう」
弁慶「マレーシアは?」
与一「未来のマレーシアのマレー人は、比較的新しい時代にスマトラから移住した者達の末裔だ。インドネシアも含め、この地域はジャワのような例外を除いて、港湾都市単位の小国や小地域の部族国家が精々だったようだな。その例外がスマトラのパレンバン国やジャワのクディリ朝などだが、先代のシュリーヴィジャヤやシャイレンドラ朝ほどの目立った所も無いし、手元の資料も乏しいので割愛しておこう。文書記録で辿れるのはこれくらいだが、他の地域にも住民が存在し、それなりの生活を営んでいた事は忘れないようにな?」
弁慶「とゆーか、詰め込み過ぎて脳の内容量がいっぱいいっぱいなんですがオレ……」

・2-2:インド
与一「……結局こうなるのか。いくら弁慶が知恵熱で倒れたからとはいえ、まさか公卿殿まで駆り出すなんて……」
公卿「わしは構わぬでおじゃる。法皇様のお言葉を取り次いでばかりで、わし自らの台詞がないのは寂しかったでおじゃるからな」
与一「感謝致します。公卿殿は天竺の歴史について、御仏の教えを除いて何かご存知ですかな?」
公卿「阿育王、天竺の言葉で言うアショカ王が恒河、すなわちガンジス川の流域を統一なさった事は、出家した叔父上から何度も聞いておじゃるが、それ以上の事は……」
法皇「…………」
公卿「ふむ……さすが法皇様。天竺の中原を統一した戒日王、すなわちハルシャヴァルダナ王が唐の使節を迎え入れたが、次に使節が至った時には既に王は亡くなり、王国も崩壊しておられたとご存知とは……」
与一「……こんな所までお出ましになられていてはやり辛いが、ともあれ法皇様のような日本でも最上級の教養があられても、その程度の知識しかないという事ですな公卿殿」
公卿「……でおじゃるな。その後の天竺はどうなったのであろうか? 偉大な王が現れて統一を行い、仏法を興隆させるというような事は……」
与一「残念ながら公卿殿、ヒンドゥー教と呼ばれる天竺の神々の教えの前に天竺の仏法は激しく衰退し、ベンガルのセーナ朝の領域内で辛うじて存続している次第のようです。その仏法も密教、しかも唐や日本では左道と呼ばれる類のものに傾斜しており、ヒンドゥー教に飲み込まれて消え失せる寸前と言えるでしょう」
公卿「(資料を見て)真言宗の異端である、立川流の如きものでおじゃるか……。祇園精舎の鐘の音が盛者必衰の理を表せなくなるとは、これはまた哀しいものでおじゃる」
与一「もっとも仏法そのものは、セイロン島(スリランカ)や南蛮の諸国に伝えられておりますが、後世まで残るのは我々の属する大乗の教えではなく、セイロンから伝道された上座派となるようです。先日弁慶と話したパガン朝でもアリー僧と称する後期密教系の僧侶が弾圧され、代わりに上座派が国教と定められたと伝わっております」
法皇「…………」
公卿「ふむ……与一殿、天竺には他にどのような国が存在するのでおじゃるか?」
与一「まずベンガルの南のデカン高原には後期チャールキヤ朝があり、まもなく分裂してヤーダヴァ、カーカティヤ、ホイサラの三国になります。南部には大国チョーラが存在し、西北にはラージプートと称する士族による小国群が存在します。更に西北の辺境には、イスラム教なる西方の宗門を崇める民によるゴール朝があり、しばらく後に奴隷王朝に取って代わられますな」
公卿「奴隷……というのは奴婢の事じゃな? 奴婢の王朝とはいかなる物なのじゃ?」
与一「一部の西方の民の君主には、自らの忠実な下僕を、勇猛な異民族を奴隷として従える事で確保する慣わしがあるのです。奴隷といえど君主に直に仕える奴隷なら、社会における権勢は、並の百姓を遥かに上回るものがあるでしょう。先の君主の跡をそのような奴隷が次々と継いだがために、未来において奴隷王朝と称されるようになったという事です」
公卿「つまりわしが与一殿を下僕とするような――」

ざく。

公卿「お……おじゃる……(ばたっ)」
法皇「…………(さらさらさら)」
与一「『自分で考えて話す機会が少ないあまり、つい口が過ぎたのじゃろう。朕に免じて勘弁するがよい』と書かれても、帝の御身を守護する武士として、というかむしろ女として勘弁ならぬものがあったのですが……(汗)」

・2-3:中央アジア・ロシア・西アジアと周辺
巴「で結局、知恵熱出させたりツッコミが激し過ぎたりで、アタシまで引っ張り出してきたわけね?」
与一「すまない巴殿。紅葉から分けてもらった砂金を進呈するゆえ協力してくれぬか」
巴「武人の話なら万事了承よん。今回の話は天竺より遠くの話なのよね?」
与一「ああ、最終的にはそこまで行くつもりだ。まずは西夏のすぐ西、西域の国について話をしよう」
巴「うん。西域にはどんな国があるの?」
与一「砂漠を越えた先には、先日九羅香殿に話した契丹族の分派が、女真族に国を滅ぼされた時に逃げ延びて、地元のカラ・ハン朝に取って代わった国であるカラ・キタイ、唐土で言う西遼がある。その更に西にはフワーリズム(ホラムズ)と称する国があり、更に西南、かつての波斯(ペルシア)の一帯には西暦1157年のセルジューク朝分解後に成立したトルコ系の小国群が、西北にはクマン人などが遊弋する大草原があり、草原から北に分け入るとルーシ(後のロシア)の諸侯が分裂状態で相争っている」
巴「なーんかあっさりとまとめたわねアンタ。でも約束の武人向けの話はどーなったのよ?」
与一「それはこれから入る。大陸の更に西の地中海の一帯、唐土で言う大食(アラビア)や大秦(ローマ)のあった辺りは、今は宗門同士の血で血を洗う抗争を繰り広げている。もちろん別の宗門同士でも利害が合えば手を結び、同じ宗門の相手でも状況次第で干戈を交えるのは、別の宗門といえど同じ神を崇め、世界観を共有しているためだろうか」
巴「具体的には?」
与一「成立の古い順に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗門があり、それぞれが更に細かい教派に分かれている。日本や宋のように国ごとに別の教派があるのとは違って、多くの国に跨って教派が広がっているから、君主の力を聖職者が凌ぐ事もままあるな。かなり無茶な例えだが、興福寺や延暦寺や伊勢神宮や石清水八幡宮が帝を自由に廃立するのを想像するといいだろう」
巴「凄い地方よねぇ。ところで血で血を洗う抗争って?」
与一「この地の3つの宗門が、起源を同じくする事は既に言っているな? 起源が同じという事は、様々なものを共有するという事だ。経典や門徒の慣わし、もしくは……聖地など」
巴「ああ。それじゃ聖地の取り合いってわけね?」
与一「その通り。1096年、つまり今から100年ほど前に、西方のキリスト教の門徒は十字軍を結成して聖地に襲来、イスラム教の門徒の国が弱体で、相手は所詮蛮族だと舐めてかかっていたのもあいまったのかもしれんが、ともあれ聖地の周辺にキリスト教を奉ずる国を建てたわけだ。もちろん他の宗門を全て排除したわけではないし、キリスト教でも違う教派が主流の土地だから、そこで新たな問題があるわけだが、ここでは面倒なので割愛しておこう」
巴「じゃあ、この辺の勢力圏はどうなってるわけ?」
与一「聖地の近辺、地中海の沿岸には、西方の民、地元の民が称するところのフィランギが建てた国が複数、周辺にはイスラム教を奉ずるトルコ人やアラブ人の国々が複数存在する。大国といえば、イスラム教を奉ずる側では先にも名を挙げたセルジューク朝が分解した今ではエジプトのアイユーブ朝があるが、1169年建国1250年滅亡というから、あまり長期に渡り続いた国でもない。キリスト教の側ではローマ帝国(東ローマ)がこの時代も存続しているが、領土の大半を周辺の民に蝕まれた状態では十字軍より影が薄く、それどころか教派の違う十字軍により、1204年から1261年まで一時滅亡してしまう羽目となる」
巴「門徒の争いって怖いのね……。延暦寺の山法師なんてこれに比べりゃ可愛いもんだわ」

・2-4:ヨーロッパと周辺
観月「さて、お姉様達がお忙しいようですので、この辺で『とってもキュートな観月ちゃんの世界史講座』でも行いましょう」
廉也「観月様……悠久シリーズのシーラ様みたいな壊れ方はなさらないで下さい……」
観月「あ、つい地が」
廉也「……今のお言葉は聞き流す事にしまして、与一さんと巴さんの次ですので、ボク達はヨーロッパの担当ですね?」
観月「(ころっ)ええ。この当時のヨーロッパも大陸の中央部から見れば小さな国々が乱立していましたけど、比較的長命な国々が多かったといえるでしょう。実際、今現在で存在する国のいくつかは、弁慶様のおられた未来にもその末裔が存続しています」
廉也「まず東南のバルカンには第二次ブルガリア帝国とセルビア公国が、その北にはハンガリー王国とポーランド王国、それに異教が存続しているリトアニアがありますね。未来の同名の国とは領土の形もまるで違いますし、今のハンガリーは属領のクロアチアやワラキアも含めると相当な広さになりますが、ともあれ衣鉢を継いだ国と見なせるでしょう。ハンガリーとポーランド、それと後で述べるチェコ王国は、この時点では建国王の直系である民族王朝が王位を継いでいます」
観月「その西、ヨーロッパの中央部には、東フランクの継承者でありドイツからイタリアまでを領する神聖ローマ帝国と、西フランクの継承者であるフランス王国がありました。両者の境界線は未来の国境線よりかなり西を走っていますが、どちらも内部には多くの領主を抱えており、特に神聖ローマ帝国にはチェコ王国やバイエルン公国のような強大な領邦も点在していて、往々にして皇帝や国王の命令は軽視されていたようです。未来のオランダやスイスやオーストリアは神聖ローマ帝国の領域に、ベルギーは両国に半分ずつ含まれているので、今はまだ存在しておりません」
廉也「ブリテン島にはイングランド王国とスコットランド王国がありましたけど、イングランド王を出しているアンジュー家はフランスの大貴族でもありますから、むしろフランスの大貴族がイングランドの王位を持っていると表現した方がいいかもしれません。北欧にはデンマーク王国、スウェーデン王国、ノルウェー王国、アイスランドがあり、スウェーデンはフィンランドを、デンマークは海を越えたエストニアを領有していました」
観月「イベリアでは、北アフリカから攻め込み南部から中央部のイスラム教の諸侯を併呑したムワッヒド朝が、キリスト教を奉じるナバラ、アラゴン、カスティーリャ、レオン、ポルトガルという諸王国と対峙していますが、1212年にムワッヒド朝が戦に敗れて凋落します。なお以上の国々の細かい所については、面倒なので省略しておきましょう」
廉也「……これらの国々では読んでいる人も(多分)ご存知の通り、封建制度を敷いていました。もちろんこれは日本の封建制度とは全く違う制度であり、領有と所有がはっきりと区別されておらず、相続の際に国を分割する事さえ行われていました。主従関係も商取引のような契約制であり、極端な場合は、契約の期限を越えるとたとえ戦場でも兵を引き上げてしまうわ、1人が複数の主人を持っても構わないわと、我々には想像を絶する世界を展開していたようです」
観月「その代わり教派は一部の例外を除いてカトリックに統一されていたのですから、俗権が統合されても教派がばらばらの日本や宋とは正反対の状況と言えるでしょうね」

・2-5:アフリカ
弁慶「はあはあ……昨日は恐ろしい目に遭っちまった」
与一「知恵熱から回復したようだな弁慶。回復しないなら静殿に『弁慶はヘタレなので説明できず逃げ出した』と伝えるつもりだったが」
弁慶「それだけは勘弁してくれ〜! 静さんは京都中に話を吹聴して回るんだよ〜!」
与一「安心しろ。私となぜか勝手に上がり込んだ観月殿の手で、既に覚え書きは完成している」
弁慶「そっか。なら勉強する必要はないじゃないか」

どず。

与一「そーいう考えが基礎学力の低下を招くのだ。歴史は単なる暗記物ではなく、個々の事象を関連付けて覚えなくてはならん」
弁慶「さ、さいですか……」
静「あらまあ〜。仲の良い事ですねお二人とも。本当に学問に熱心で」
弁慶「ど、どこで知ったんですか静さん!?」
静「公卿さんと観月さんからです〜。あと知盛さんと巴さんもそれっぽい事をほのめかしていましたね〜」
弁慶・与一「…………」
静「とりあえず天竺の事は伺っていますけど、今日はどこからお勉強するのでしょう〜?」
与一「実はほとんど終わっているから、今日はアフリカからだな」
弁慶「アフリカって言われても、全然オレには分かんないんだよな……」
与一「実際アフリカ、特にサハラ砂漠より南には文字を記す習慣がなく、この時代の事はほとんどが他国からの伝聞頼りになってしまう。口伝による伝承が主だったようだが、社会の変遷と共に失われる物は多いから、ヨーロッパ諸国の属領とされる以前からの国々の伝承はともかく、更に遡る事は絶望的だろう」
静「大変なんですね〜。でも一応、知られている事だけでも教えて下さいませんか?」
与一「ああ。まず北アフリカだが、この地域は地中海で接する西アジアやヨーロッパとの接触が盛んだった。アイユーブ朝やムワッヒド朝についても、既に述べられているはずだ」
静「確かに背中合わせの家よりも、通りのお向かいの方がずっとご近所さんですからね〜」
与一「文書記述の例外としては、他にはエチオピアくらいだろう。当時はキリスト教の国々が、沿岸部から攻め上がってくるイスラム教の国々と対立を続けていたらしい。もちろん互いの内部でも、対立がなかったわけではないだろうが」
弁慶「で、南の方はどれくらいの事が分かっているんだ?」
与一「サハラの南から金が産出されてくるのだが、その交易路を支配していたガーナはこの頃既に滅んでいて、マリが勃興するまでその地域に大国は現れない。中央部ではバントゥ系の諸民族が南下を続けており、それ以前からいたピグミーやコイサン系の民族を辺地に追いやっている。東岸部では地元の産物――奴隷も含む――を求めて、アラブ人やペルシア人が渡航して港や街を設けている頃だ。マダガスカルには遥か東の東南アジアからやって来た民族が定住している。……筆者の記憶とメモから探る限り、分かっている事はこれくらいだろう」
静「さすが筆者さん。弁慶さんに煩悩では負けても知識では上を行きますよね〜」
弁慶「静さん……オレって一体……(涙)」

・2-6:アメリカ・太平洋
静「さて、残りはアメリカや太平洋の島々です。気合を入れて行きましょう〜」
弁慶「って、ちょっと静さんっっ!!」
静「はい〜?」
弁慶「アメリカの存在は、旧大陸ではまだ知られていないはずなんだけど!」
静「それでもいいではありませんか〜。発見を300年ほど先取りできるんですし〜」
与一「気にするな。この作品は所詮フィクションなのだから、気にしたら終わりだぞ弁慶」
静「ですね〜」
弁慶「だから静さーんっっ!!(汗)」
与一「……とはいえ、アメリカで国家が成立しているような所は少ないし、文字もほとんどの地域で存在しないから、その分気楽にはなれるのだがな。その数少ない例外が、現在のメキシコ中央部からユカタン半島に渡る一帯と、エクアドルからボリビアに渡るアンデス山脈の内部や周辺だ。今のメキシコ市の辺りにはトルテカがあり、ユカタン半島の方のマヤ人の諸国もトルテカの流儀を大いに受け入れていた。アンデスの一帯には様々な国があるはずだが、こちらは文字がないため詳しい事はあまり分かっていない」
静「分かっている事が少ないといえば、太平洋の島々も同じですね〜。でもあちらの方に、失礼ですけどそんな大きな国があったのでしょうか〜?」
与一「あるのだな実は。弁慶はトンガ王国を知っているだろう。実はあの国は、今から250年ほど前……弁慶の時代から1050年ほど前に現れたようなのだ。そして未来のトンガ王国内はもちろん、サモアやフィジーまで勢力圏を広げていたらしい」
弁慶「すいません知りませんでした(←棒読み)」
与一「…………実際に見てくるために、熊野辺りで船を借りるか馬鹿山伏?」
静「それはいい考えです〜。ついでに補陀落渡海もできるかもしれませんね〜」
弁慶「わーっ!! 勉強するから流さないで下さいお願いしますーっ!!(泣)」


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