―GURPS Nipponの世界観―


世界観


◇世界解説/Historical―皇国六十余州―◇

 地球上の国々の中でも特殊な文化を持つ国「日本」は、「豊葦原瑞穂国」「倭国」「扶桑」「蓬莱」「大和」「日出処国」「神国」「皇国」「粟散辺土」「六十余州」などなどの異名を持ち、長さ3000kmに及ぶ広大な諸島を領域とする国家です。「黄金の国」「銀の島」「無窮の皇統の地」「サムライの国」「切れ味鋭い刀の国」「技術者王国」「エコノミック・アニマルの国」「アール・ヌーヴォーの源流」「ワビとサビの国」「ニンジャとゲイシャガールの国」「マンガとアニメの祖国」などなどと呼ばれる(一部嘘)事から見ても、汎用TRPGシステム「GURPS」のサプリメントの舞台となるべき資格は十分だと言えるに違いありません。実際「GURPS」の母国たるアメリカ合衆国では「GURPS Japan」なるサプリメントが公式に存在しますが、外国人の手による物であるせいか、表紙のいーかげんな鎧といい裏表紙の「侍や忍者、芸者になれる」という何か勘違いした(汗)一文といい、日本人にとっては少し不満が残ります。

 前置きは長いですが、よーするに現実に存在する日本その物です。アウトラインは学校の歴史や地理の時間を思い出して頂く事として省略しますが、あくまでもこれはゲームの舞台です。深刻な社会問題や過酷な境遇をプレイするよりは、英雄譚やほのぼのした日常、スリルとサスペンスに満ちた冒険行をプレイする事を著者としては推奨致しますのでご了承下さるようお願いします。
 ちなみに琉球(奄美・沖縄・宮古・八重山)や蝦夷ヶ島(北海道)については、歴史的「日本国」の範囲に収まらないため概略に留めますのでご了承下さい。

 なお、歴史研究(だけではないですが)の最新動向が一般常識に反映されていない部分に関して箇条書きで記しておきます。歴史研究は常に変化し続けるため、私も知らない事が今後も続々と分かる事でしょう。ただしくれぐれも、そこら辺にある本の内容を鵜呑みにせず自己判断で取捨選択するように(笑)。

〈上古〜古代編〉
・縄文時代の住居跡には、低湿地用や夏用とみられる竪穴の存在しない物も見られます。
・弥生時代でも前期には、渡来系住民は少数派だったようです(中期以降はかなり増えていますが)。単に大量に移民したから増えたのではなく、移住してから増えた分も相当な割合に及ぶだろうという推測です。
・北アジア史の江上氏が唱えた「騎馬民族征服王朝説」は、「高句麗や三韓は騎馬民族(厳密には騎馬遊牧民)ではない」「古墳時代の馬具は豪華な豪族用しか存在しない」ために、日本史学界では完全に否定されています。
・大和朝廷の渡来系氏族(起源をはっきり異国に辿れる氏族)は技術氏族が中心であり、政治の中枢には見られません。東南アジア諸国の中国人のような感じでしょうか。
・日本語と韓国語は共通語彙が極度に乏しく、同祖関係にあるかどうかも怪しいと言われます(むしろ高句麗や百済の古い言語に、日本語に似た部分が散見できるそうですが)。
・藤原氏が有力だった時代でも朝廷の政務は陣座(公卿会議)で行われ、摂関家の政所は摂関家の領地の政務しか担当していません。ちなみに「御堂関白」藤原道長が関白にならなかったのは、関白(当時はイコール太政大臣)になると陣座に参加できず、その上に当時出来が悪――いや、評判の悪かった右大臣が筆頭になるからだと推測されています(笑)。

〈中世編〉
・「年貢」は、特に中世では米とは限りません。田圃を単位に課せられますが、実際に納める物は米の他にも布(麻や苧)、馬、鷹の羽やアザラシの毛皮など様々でした。
・藤原純友は伊予掾の官位を持っていた事もあり、平将門が反乱を起こしていた当時は海賊討伐を行っていました。この恩賞が問題となり、今度は自分が反乱を起こしますが……。
・奥州藤原氏は、れっきとした都の藤原氏に属する一族です。ただし都の同族からは、田舎者扱いされていました。
・平清盛は、厳密に言うと桓武平氏(高望王系)の嫡流ではありません。弟で清盛一族と別行動を取った頼盛が正室(池禅尼)から生まれていますし、義弟である平時忠は京都で貴族を続けた高棟王系の一族です。
・鎌倉時代は、朝廷も全国的にかなりの支配力を有していました(承久の乱以前はむしろ幕府より上)。そもそも鎌倉幕府も知行国(傘下の者を国守にできる国)や荘園を所持しており、文化や経済に至っては明らかに京都が上位です。刀や鎧の名匠も京都に集中していました。そもそも江戸時代における鎌倉幕府の過大視が誤解の原因なのですが。
・中世の慣わしでは、傷害や殺人は親告罪であり「門前の死人、訴え無くば検断無し」という状態でした(大川に仏が上がって捜査する銭形平次は、優れて江戸時代的な存在であると言えるでしょう)。それに対して窃盗は訴えが無くても村・町ぐるみで積極的に捜査を受け、犯人はいくら盗んだ物が少なくても即座に処刑(情状酌量があってもせいぜい鼻削ぎ)、住居は破壊・焼却処分されます。そして盗まれた物は被害者には返却されず、捕縛する側の下働き(京都では「放免」)の物になるので、「財産への侵害により処罰されるのではなく、共同体を穢した罰として処刑される」「穢れた物を被害者に返すわけにはいかない」という思想的背景があるのかなーと。
・中世は、村が武力行使権や処刑を含む司法権を所持していました(!)。桃山時代にこれらは最終的に厳禁されるのですが、跡を絶つまでになお1世代分の月日を費やします。
・戦国大名は領民を徴兵することは、中央権力が強い大名が存亡の危機に直面する(例:小田原北条氏)のでもない限りありえません。領民が足軽になっているのは、年貢や労役の一部を軽減する代わりになっているか、俸給を支払われる代わりかで、徴発しても後方の雑用がせいぜいです(だって、死なれたり逃げられたりすれば大名や傘下の領主の収入が減るし、無理させ過ぎて反抗されると怖いしー)。
・北条早雲(伊勢盛時・宗瑞)は室町幕府政所執事である伊勢家の分家・備中伊勢家の出身で、幕府の評定衆も務めたエリートでした。また従来の推測年齢は24歳多かったようで、妹とされていた北川殿も実際は姉ではないかという事です。
・斎藤道三は、実は父親が京都出身で美濃に下向しています。親子2代の出世物語が合体されて伝わった理由は定かではありません。
・一向一揆の参加者は、浄土真宗の信徒組織と関係の無い者も多数を占めます。しかも加賀の一向一揆は、幕府最有力者であった細川京兆家が支援して反細川派であった守護打倒の承認を出しています。当然ながら武装は竹槍や蓆旗ではなく、普通の武士と同じ弓矢(後に鉄砲)と槍と鎧姿です。
・戦国時代の戦法では、戦う際には下馬する事が多かったようです(特に西日本)。そもそも貴重品である馬は指揮官である武士しか乗る事はできず、「武田の騎馬隊」などはそんな部隊が常時あるわけではなく、戦場では馬に乗っている武士だけを集めて部隊にする事もありますが、常時そういう編成があるわけではありません。
・戦の死傷者に多いのは、弓矢や鉄砲で撃たれた者です(トドメを刺したり、首を取るためには刀も使いますが)。そして分厚い鎧や馬に恵まれた武士は死傷率も低く、全体の8〜9割は足軽や雑役夫になります。
・刀は普段から誰もが身に付ける成人男性の象徴であり、平常時に起こる戦闘(※日常的に頻発)はともかく戦争向けの代物ではありません。もちろん屋内や市街地、乱戦、騎乗時のような飛び道具や長柄武器が使い辛い環境では話は別です。
・長篠の合戦の舞台は深い谷間や田畑が存在する人里であり、突撃には不向きな環境です。実際には破られた柵や危険過ぎて不可能ぽい三段撃ちではなく、野戦陣地と欺瞞情報、そして圧倒的な物量差で武田軍を壊滅に追い込んだものと推測されます。ちなみに織田軍は、同じ野戦築城+銃撃のコンボにより雑賀攻めで大被害を蒙り敗北しています(笑)。
・関ヶ原の合戦の実態は、「豊臣家と徳川家の戦い」ではなく、「呆気なく岐阜城を陥落させて勢いに乗る福島正則達」「事態の急展開に慌てて江戸を出て西へ向かう徳川家康」「信濃で掃討戦をしようとしていたところに家康から連絡が来て慌てて西へ向かう徳川秀忠達」「息子の黒田長政を家康の味方にして恩を売りながら、戦いが長引くと思って自分の勢力拡張に余念がない黒田孝高」「やはり自分の勢力拡張に余念がないうえに、同じ陣営にいるはずのおじさんをろくに支援せず、やはり同じ陣営だがよそ者の領地内の反乱をけしかけていた伊達政宗」「何だか流されるように三成について来てしまったが、三成の味方を陣地から追い出して居座る小早川秀秋」「内紛の反乱側を支援して家康に『当分出てくるな』と言われてしまっていたが、名誉挽回も兼ねて地元で奮戦する加藤清正」などと、「『もっと慎重にしろ』という重臣達を無視してどさくさ紛れに四国や九州を攻め取ろうとしていたが、自分は前線に出ないで重臣達に押し付けた挙句、後でやってる事がばれて領地の大半を失った毛利輝元」「そんないとこに前線へやられて、大垣城は良く見えるが関ヶ原なんか全然見えない場所で決戦を無視していた毛利秀元」「内紛で重臣(いとことか)が大勢出て行ってしまい、軍勢も数合わせに近い状態なのに陣営の最大戦力になってしまった宇喜多秀家」「豊臣家への忠義だなんだ言っておいて(ただし、出自が低い豊臣家に、譜代でもないのに頭を下げる道理などないはず)、家康とは戦わないで最上義光を攻撃していた上杉景勝」「三成と仲良くしていたから家康と敵対したかったが、お父さんや重臣に逆らいきれずに攻撃に出られず、戦後に元の領地を失った(だけで済んだ)佐竹義宣」「呆気なく陥落した岐阜城の織田秀信」「本国のお兄さんが軍勢を送ってくれず小人数しかいないのに、鳥居元忠に援軍を拒否されたせいで仕方なく三成について来たが、決戦では戦わず、退却で配下を大勢失った島津義弘」「豊臣家内の最有力者である家康に喧嘩を売り、自分自身の地位が低すぎるので上杉景勝と毛利輝元を抱き込み、自分の事しか考えていない味方(たぶん)を何とか連れてきたが、岐阜城も陥落し大垣城はスルーされ、このままでは自分の領地が蹂躙されるという絶体絶命の中、戦力的にはおまけレベルなのに関ヶ原で奇跡的に何時間か頑張ったが結局負けた石田三成」「信濃のどこかで頑張っていたけど大局的には無意味だった真田昌幸」などによる、豊臣家内の内戦です。
・古代や中世の畑は、基本的に年貢の計算単位外です(先述した通り、納める物が畑の産物という可能性はありますが)。畑を丈量して生産力を計算し、そこに年貢を掛けるのは太閤検地以降です。

〈近世編〉
・「刀狩」により、全ての武器が取り上げられたわけではありません。狩猟用の鉄砲は登録制や貸出制(そしてヤミ所有)により江戸時代を通じて莫大な量が流通し続け、刀に至っては祭礼用として第二次大戦まで津々浦々に存在しています。平民が禁止されたのは二本差しであり、一本差しは不適切な場でない限り構いませんでした。
・石高は屋敷地にも掛かります。より詳しい事は次の項も参照。
・江戸時代の米に対する年貢は、概ね実際の収量の1/3にあたります。村や藩の公式石高「表高」は江戸時代初期の数値であり、「実高」との格差は年々拡大し続けています。また畑からは比較的低率の年貢しか取っていませんが、ちゃんと石高換算して金納させています。
・江戸時代の人間は、百姓や町人でもほとんど全員が名字を持っています(単に公文書に公称できないというだけですし、中世の名残の強い地域では有力者しか名乗れませんが)。
・「百姓=純粋な農民」ではありません。確かに百姓(法定村の住民)には農業経営者が最も多いですが大半が何らかの兼業をしており(ちなみに、インドでは農地管理、耕作、その他諸々の仕事を行う集団が細分化し、農民は専業農民ばかりです)、実質的には町である大きな「村」では職人や商人が多くを占めます。町人でも一部は、町外れに住んですぐ外の田畑を耕すという例も存在しました。
・「日本の城は町を囲まない」というのは完璧な勘違いです。とはいっても弥生時代と戦国時代のような戦乱期にしか作られないため、荻生徂徠のような学者が日本最大の城塞都市だった江戸に住みながらその事が分からなくても(笑)仕方ないかもしれません。もちろん、江戸時代になって拡張した市街地は堀に囲まれないのが普通です。
・「慶安の御触書」は慶安年間の幕府法令ではなく、幕府法令として流布されたのは江戸時代でもかなり後期に当たります。ちなみに、元は小さな藩の触書でした。
・「幕府は軍事上の理由で橋を架けさせなかった」という事実はありません(実際三河では、東海道は豊川(「とよがわ」。旧名は飽海川・吉田川)も矢作川も橋で川越えしています)。当時は架橋技術が進んでいなかったという事と渡し舟の運営者との利害関係、そして貨物輸送は街道より河川の方が重要だったという事がなければ、軍事的に圧倒的優位となる幕府にとっては橋のあった方が望ましいはずです。
・江戸時代の一揆は、現代で言うデモ行進に相当する行動です。一揆の際には殺傷用具である鉄砲を用いないのが慣わしだったのですが、幕末〜明治初期にはタガが外れて殺し合いが発生するような状況に陥っています。……まあ、その割には主導者が死刑にされる事が多いですが。
・江戸時代の「藩」は正式名称ではありません(明治維新後に正式名称になりますが)。一般には藩士団は「家中」、領域は「領分」と呼ばれます(旗本の領域は「知行地」です。「領」は関東(特に旧後北条領)の行政区分で使われるため、関東では混同を避けてあまり用いられません)。


◇世界解説/Magical―神仏・呪法・妖怪変化―◇

 現実世界から紙一重隔てた世界、そこにはマナに満ち溢れた地球が存在します。「コロンビア」大陸北部では覇を競う「カナダ連邦王国」「メキシコ合衆国」の狭間で縮こまりながら「アメリカ合衆国」と「南部同盟」が廃都「セント・コルンバ」を挟んで睨み合い、「リビア」大陸中部では「ファンティ連邦共和国」「アシャンティ王国」「イフェ王国」「ハウサ七都市連合」が栄え、ヨーロッパでは「フランス王国」が「イングランド共和国」と「ドイツ連邦帝国」に圧力を加えんと「異教」が栄えるスカンジナビアに特使を派遣し、「ローマ第二共和国」の首都「コンスタンティノポリス」では「上帝教」の三大宗派「ユダヤ宗」「キリスト宗」「イスラム宗」が聖地で繰り広げる抗争を憂慮し、「北海」沿岸の黒き針葉樹林では「カザン・オロス共和国」と「大秦帝国」の戦場跡で慰霊祭が取り仕切られ、「大越皇国」の「呂宋州」で太平洋の二大強国「ハワイ王国」と「トンガ王国」が会談を行い……となっているかはさておき(笑)、そんな世界にも「日本国」が存在するはずです。しなかったらそもそも「GURPS Nippon」ではありません(をひ)。当然神々は実在し、様々な魔法が乱れ飛び、そこかしこには妖怪変化魑魅魍魎が潜んでいるのです。

 こちらのモードでは、現実に近い形であれ前置きの世界ほど(あるいはそれ以上に)現実離れした世界であれ、「魔法」が存在する世界を描く事になります。もちろん魔法以外の点では「/Historical」と同一の部分も多いですが、「/Magical」ならではの神々の神秘、陰陽師の術、神主のもたらす奇跡、切支丹伴天連の妖術(笑)、平将門の七身分身、日常生活を豊かにする数々の技が「/Historical」以上に多様な冒険を支えてくれます。そして何より、数多くの治癒系呪文が戦闘をよりサポートしてくれる事でしょう(こらこら)。


◇歴史と地位レベル◇

 この記述は現在の歴史学に準拠した、しかし簡単な要約です。年代の区切りには諸説ある事も考え、絶対年代では基本的に区切りません。固有名詞も端折りました。

〈縄文時代/〜前200頃〉
 縄文時代は採集と狩猟、そして少量の交易で成り立っていた、数千年に及ぶ時代です(木の実を得るための植林やごく小規模な畑の痕跡も見られますし、末期には大陸に近い地方で稲作も存在していますが)。定住して竪穴住居、もしくは簡便な高床式住居を構え、石や木、骨の道具を用いて小規模の村落(通常は数軒〜十数軒)を営んでいました。森の産物が豊かだった東日本(この時代より後の名称ですが)の方が一貫して人口が多かったのですが、後期の寒冷化に伴う破滅的な激減により大打撃を受けています。宗教的には狩猟祭祀を中心にしており、この時期に起源を発すると見られる習俗は現在まで残っています。この当時は北海道から沖縄本島まで同一の形態を持つ人間が居住していますが、宮古・八重山には全く異なる文化が見られます。
 「/Magical」では、この時期はごく簡単な魔法のみを用います。大半の呪法師(=魔術師)は精霊系、動植物系、治癒系、そして《神託》《祝福》を行うのが精々でしょう。「素質2」や「知力13」を要求される呪文は、この時代ではほとんど使用が不可能です。魔法の使い手は、この厳しい社会では生き抜くために中心的な立場に立つ事となります。

※この時代を舞台とするゲームでは、生き延びる事自体がまさしく冒険でしょう。新しい移住先を見出したり、「/Magical」で呪術の腕を磨いたりするのも面白いかもしれません。史料の少ない時代ですが、その分開き直って独自の設定を行って下さい。

 
〈弥生時代/〜200頃、古墳時代/〜500頃〉
 弥生時代には中国・江南に源流を持つ稲作文化が(漁労技術や鉄器と共に)伝わり、短期間の間に西日本に、後には本州北端まで広く伝わりました。しかしこの時代の稲作はまだ生産性も低く、採集や狩猟にもまだまだ頼らなくてはならなかったようです。またこの時代は、中国や朝鮮半島(高句麗・三韓(馬韓・辰韓・弁韓))から戦乱を避けた移住者が到来した時代でもあります。移住者は長い年月でならすと人数が少ないものの(特に弥生前期)、来訪した時期も非常に長期に渡り、次第に原住系の民族と同化して行きました。とはいえ九州南部や四国南部、東北以北には影響の度合いも低く、これらの地方に縄文系の特徴はより強く伝えられる事になります。
 そして生産性向上と移民の増加により、まず北九州で農耕適地と水源を争った戦乱が広がります。やがて西日本の大半に広がった「倭国大乱」も後に収まり、大和・河内・摂津を中心とした大和朝廷により日本の中枢部は(骨肉の争いが激化していた三韓とは逆に)さしたる争いもなく統一されます。朝廷は王家(後の皇室)を頂点に仰ぎ、大和の大豪族と王家の直属家臣が合議制度で動かしていました。相変わらず戦乱が続く大陸とは違い、特に外敵も存在しない朝廷は各地の豪族や部族民、大陸からの移住者(開拓民や技術者として参入)を組み込んだ形で安定して行きます。しかし各々の「氏」が個別に民を管理する粗放な体制は、社会の発展と共に変化して行く事になります。
 「/Magical」では、中国――紀元前後に相次いで誕生した、華北とモンゴル高原に跨る「大秦」と江南〜北ベトナムに相当する「大越」の2つの国――で発展した魔法技術が少しずつ導入される段階です。ほぼ全員が高レベルの「魔法の素質」を持つ王家を始め、魔法の使い手が多い有力者達は積極的に導入する事でしょう。この世界の大伴氏と物部氏は武力のみならず、高度な戦闘魔法の使い手として畏怖されています。

※この時代のゲームも史料が少なく、特に「/Historical」では難しいかと思われます(笑)。開き直って「/Magical」で神話や伝説(ヤマタノオロチ退治や神武天皇の東征など)を演じた方がいいかもしれませんし、日本神話に親しむにはかえって良い方法でしょう。

 
〈飛鳥時代/〜700頃、奈良時代/〜800頃〉
 戦乱の続く大陸からの移民に伴う文化の伝来は、中国の最新文化の促進を激しくする事となります。特に漢字と仏教は、後の日本文化の根底を支える1つの要素となります。しかし仏教の導入は古来の神を捨て去る方向へではなく、逆に神への信仰を強める方向へと働きました。渡来者の祭っていた神も、在来の人々も共に祭る日本の神へと変化して行きます。特に仏教導入に大きく貢献した厩戸皇子は「聖徳太子」と呼ばれ、後に無数の伝説を生むと共に日本の仏教思想の中心となります。
 そして大陸中枢部が数百年ぶりに巨大帝国・隋により統一されました。隋、そして内乱を再度収拾した唐は半島に成立していた高句麗・百済(馬韓の統一国家)・新羅(辰韓の統一国家)を併呑せんと圧力を強めて行き、半島諸国も制度改革や有力貴族の粛清、王の交代などが行われて臨戦体制に突入します。日本も一時は戦乱に巻き込まれましたが、結果的に新羅により半島本部が統一され、北部は高句麗人の一部と北方民族による渤海により統合されます。中国の政治機構を一部導入した日本と新羅は幾分疎遠になりましたが、民間の交流には何ら変化はありませんでした。この時代の国家が民間に及ぼす支配力は、精々その程度だったのです。しかし絶え間無い移民の流れはここで終止符を打ち、「国家」の枠組が時代と共に強くなるのでした。地方でも中央の役人が派遣され、国衙と国分寺を中心として先進文化が広がります。北方ではこの時代、仙台平野とその北が朝廷の支配下に入るようになります。
 国家体制を一新した日本は、天皇を中心とする朝廷が主宰する官僚型国家に生まれ変わりました。内実は相変わらず様々な中央貴族により動いていましたが、古い家柄が軒並み没落して行く中、皇室の祭祀を司っていた中臣氏の一族から出た藤原氏が発展して行きます。歴代の天皇には絶対君主を志向する動きもありましたが、奈良に都を開いた天武天皇系の皇統は内訌により衰退し、天智天皇系が皇統に返り咲いて新たな都を開きます。
 「/Magical」では、中国(「世界解説」に従うと、南の「大越」を併呑した唐朝「大秦」)の魔法技術(特に魔化呪文と錬金術)が大々的に導入される時代です。また聖徳太子ゆかりの四天王寺に仕えた魔術師達が、日本最古の呪法座の源流となりました。藤原氏の一族は中臣氏の血を濃く引いて、生命や霊、神託に関わる魔法を得意としています。

※この時代からやっと、「/Historical」っぽいプレイが可能になります。「/Magical」でも仏教と共に輸入された唐の呪法により、高度な術がPCにも開放されるでしょう!

 
〈平安時代/〜900頃・〜1050頃・〜1200頃〉
 平安時代は中国の影響が薄れると共に、遷都した新たな都・平安京で貴族勢力が藤原氏北家に収斂されて行く前期、皇室の下で藤原氏が栄え、地方支配体制が再編される中期、上皇や法皇達(天皇も含めて「院」と称する)が勢力を強め、完全に古代と訣別した後期の3つに分けられます。国土は「国衙領」と呼ばれる政府直轄地と「荘園」と呼ばれる私領地(広さは都に近いほど小さく、逆に数は多い)とでおおよそ半々に分けられ、半ば放任状態でも自律的に機能するようになりました。北方でも前期には盛岡〜秋田を結ぶ線まで朝廷の支配が及び、後期には奥州藤原氏の手により東北北端まで朝廷の支配権が及ぶ領域に組み込まれます。この時代の対外的な交流は商人や僧侶にほとんど委ねられ、唐や新羅に取って代わって宋や高麗が成立しても以前通りの絶えざる細い関係が続きます。都では貴族達の「陣座」という合同会議の意見を踏まえながら、天皇と関白が先例主義に基く現状維持・漸進的な政治を行っていました。
 しかしこの長い時代には、様々な災害が存在しました。国土が広く流通機構も完備されていない上にまだ生産力の低かった時代であるため、飢饉や疫病が度々蔓延するのです。この時代には「死」は身近な物であり、その分人は現世の理の外を軽視しませんでした。浄土信仰や山岳信仰、陰陽道が繁栄した根源にはこのような事情があったのでしょう。
 災害は天災だけではありません。出没する盗賊や山賊はまだしも、坂東における在庁官人や荘園領主の抗争は焦土作戦を伴ってあちこちの国を荒野に逆戻りさせました。そのような中で武力を鍛える者が大勢出現するのですが、この時代の武者はほとんどが荒くれ者に毛が生えたような存在としか見られていませんでした。そのような大小の一族を糾合しようとする目論みは、都からの排斥や相互の対立によりいつまでも芽を結ばないまま時が流れて行きます。しかし彼らの頭領は都落ちした貴族の末裔も数多く、武力と文化(都の「武門の家」の武術や兵法も含む)を兼ね備えた実力者は都の貴族達の争いに参画して勢力を高めます。
 「/Magical」では、空前絶後の統一帝国だった唐朝「大秦」が呪法考試に落第した魔術師・黄巣による反乱により崩壊して、「大秦」「大越」が共々安定するまで数十年の抗争が繰り広げられます。日本でも渡辺綱や源三位頼政のような魔力を備えた武人が妖怪や悪鬼を打ち倒し、最強の血脈である皇室の血が発現した魔人・相馬小次郎将門が七体に分身し、神々の戦場に加勢した超人・俵藤太秀郷がその眉間を祝福された矢で撃ち抜くとゆーとんでもない世界が展開されます。陰陽師の絶大な力も、魔術都市・平安京の霊威の中で最大限に発動される事でしょう。

※何も言う事はありません(笑)。存分に武士の抗争でも山岳修行でも和歌でも蹴鞠でも楽しんで下さい(笑)。

 
〈鎌倉時代/〜1330頃〉
 平安時代を締めくくる武士達の争いは、抗争に敗れた六波羅平氏の滅亡と内訌の末に自滅した鎌倉源氏の断絶をもたらします。しかし鎌倉源氏により開かれた「鎌倉幕府」は、敗者側から没収した荘園に配置した「地頭」、全国の警察権を握る「守護」、朝廷から拝領した「知行国」に配置した腹心の国司により新たな権門としての地位を確立しました。初期に奥州を制圧して勢力圏とした幕府は朝廷との紛争にも勝利して相対的優位を認めさせ、京都から下向した貴族・皇族の将軍を頂いた下で、元は在庁官人の分家でしかなかった北条家が執権として力を握ります。権力抗争の度に大勢の武士が滅ぼされ、武士の都市である東国第一の都市・鎌倉は何度も血と魂を吸い続けていました。政治はともかく経済や文化では圧倒的に京都が優位なままであり、何よりも幕府自体も朝廷より優位に立つ組織ではなかったのです。そのような武士達の(そして公家達の)苦難が、新たな仏教の活動に結び付いて行きます。禅宗の僧侶の説く悟りの教え、そして中国の最新技術がその中でも有名ですが、後の時代に盛んになる宗派もこの時代に淵源を発しているのは周知の通りでしょう。本土の人間の行動範囲もこの時代に拡大して行き、本州最北端の津軽では蝦夷ヶ千島(後の北海道)の蝦夷との交易が活発に行われ、沖縄でも南方の産物を求める商人や九州からの移民が渡来する姿が頻繁に見られるようになります。
 この時代の後期、大陸では北方の高原から発した帝国が中国をも飲み込み、モンゴル諸国の宗主国「元」として拡張を繰り広げます。まずは中国北部の「金」を制圧し、南部の「宋」の攻略に移る前に従属国に組み込んだ高麗の軍と共に九州北部に攻め込みました。この際は一度手を引きましたが、宋を滅ぼした後に再度襲来します。結局元は国内の長期に渡る反乱に専念せねばならず矛先を2度で収めますが、その後も続く臨戦体制は日本全土に大きな影響を残しました。総動員令により影響力を一段と強めた幕府、そして内部で他の武士達を圧迫しながら勢力を拡大して行く北条得宗家に対する怨恨は積もり続けます。その時2つの家系に分かれていた皇室の、それも嫡流でない天皇が中国風の絶対君主の座を求めて権門体制の全てに対して「謀反」を起こします。
 「/Magical」では、鎌倉に漂う血塗られた空気が中心となる事が多くなります。霊を慰めるための技として、流血を重ねる戦の武器として、貴方の魔法はどちらのために働くのでしょう?(流血を終わらせるだけの力があれば、迷わずそれを選ぶべきですが) 国内の戦も外国との戦争も、魔法の満ちた世界では人間だけの戦いではありません。貴方の力が、日本の神々にモンゴル……ではなく蒙古朝「大秦」の神々を打ち破る力をもたらすのかもしれません。また、この時代には武器の魔化師も増加します。魔法の刀も前の時代より手に入れる機会が増えている事でしょう。しかし魔法の総本山は京都であり、下級の武士にとって魔法は縁遠い物でしかありません。

※歴史的背景を述べるついでに、「/Magical」でのネタを使ってしまいました(汗)。この時代は武士に限らず、貴族や禅僧、外国人と絡めたシナリオが作りやすくなっています。

 
〈南北朝時代/〜1400頃、室町時代/〜1470頃〉
 体制全てに対して「謀反」を起こした天皇は一度は敗れ去るものの、北条氏に不満を抱いていた有力武士、有力でない武士、寺社、貴族、その他諸々の支援を受けて鎌倉幕府を打倒する事に成功しました。しかし天皇の行った理想一辺倒で現実を見据えない自己中心的な独裁政治は即座に人心を失い、天皇から一字拝領(名前の文字を分与する事)まで受けていた最も有力な大名にして源氏の名門でもある足利家の当主が「本来の日本の秩序」を取り戻すべく家臣達に後押しされてやむなく反旗を翻します。武将は無理矢理退位させられた上皇を仰ぎ京都に「室町幕府」を開き、鎌倉に将軍の分身たる関東公方を置きますが、放逐された天皇は数少ない味方の貴族と共に畿内南部の山岳地帯に逃亡して「南朝」と呼ばれ、各国の寺社、非主流派の武士、跡目争いを演じている武士達の片方、海賊、その他あらゆる勢力に働き掛けて一時は幕府の内紛に乗じて京都を占領しますが、全国の主流派を押さえた「北朝」と幕府に反幕府派は次々と滅ぼされ(そして更に多くの反幕府派は幕府に鞍替えし)、3代目の将軍に至って「南朝」を接取して皇統は「北朝」に統一されます。
 この内乱の影響により、各地の「守護」は国内の領主を傘下に加えて「大名」とも呼ばれるようになりました。政治権力も武家に集中されますが、幕府は大名同士の抗争、「南朝」残党による陰謀、関東公方の度重なる反逆により不安定な動きを続け、大名の対立と大名の跡目争いが将軍の後継者抗争と絡み合い、京都が灰燼に帰する羽目になります。
 この時代には元の朝廷を北方に放逐した新国家「明」が極度な管理貿易体制を強制し、初期には日本人(主に西国の武士)は明の密貿易者や朝鮮沿海の住民と手を組んで武装密貿易者兼海賊「倭寇」として明、高麗、そして高麗に代わって成立した「朝鮮」の政府に恐れられましたが、国の安定と共に貿易資格を得るために将軍が「日本国王」と詐称して交易を主導するようになります(国内では何の格付けにもなりませんし、当初は非常な不評を呼びましたが方便としてしぶしぶ黙認されたようです)。これにより大量に輸入された銅銭や磁器が国内に行き渡り、少しずつ生活にも変化を及ぼしました。しかし交易を握っていた大名間の抗争により明の役人が殺され町が焼かれてから、管理貿易から締め出された日本や明の人々は、再び倭寇として活動を始めます。
 さて、この当時の沖縄本島では南山(島尻)出身の一族が中山(中頭)、次いで北山(国頭)を吸収して島を統一します。この一族は統一を主導した2代目の中山王の名にちなんで尚氏と呼ばれました。そして西の宮古・八重山、北の奄美を攻略して領域に加え「琉球国」とし、明から管理貿易で入手した物資を他の諸国に転売する国営貿易で利益を上げ、本土「大和」の室町幕府とも国交を結び文化を導入します。度重なる強大な按司同士の抗争で不安定な時代でしたが、数代で取って代わった新たな王家「第二尚氏」の中央集権化により国内を安定させ新たな繁栄を迎えました。
 「/Magical」では、外征で疲弊した「大秦」にそれまで圧迫されていた「大越」が繁栄する時代です。南方に拠点を置く「大越」は大々的に貿易を行うのみならず盛んに対外植民を行い、台湾とルソン島を新たな領土に加えるかもしれません。魔法で風を操り、《水浄化》《水作成》により水の補給を気にする必要の無いこの世界の交易船は、現実世界より盛んに行き来をする事でしょう。もちろん海賊も現実世界より脅威が高まるため、航海に油断は禁物です。また、国内でも様々な冒険が楽しめます。後南朝の残党の陰謀を打ち破り、武士同士の対立を収拾し、村の水争いを天狗からもたらされた新たな水脈で解決し、蝦夷ヶ島で最強の獣・羆の毛皮を求めている途中で山のカムィに出会い……冒険の舞台は貴方の想像、夢想、空想、妄想次第です(最後のはちょっと違うかもしれませんが)。魔法が一般人に広く流布し始めるのもこの時代です。

※「/Historical」のプレイが格段にやりやすくなる時代ですが、あんまり杓子定規になぞると違和感が激しくて初心者のプレイには向かないでしょう。「/Magical」の要素を交えながらのプレイも、今までの時代とは違い「日常の魔法」を導入するいい機会です。「ルナル」をプレイした経験のある人にも、この時代以降が恐らく手頃です。

 
〈戦国時代/〜1585頃、桃山時代/〜1600頃〉
 一旦焼け落ちた京都は復興しましたが、平安京の面影は失われて商工業者が主導する町に変化を遂げました。将軍の権威は次第に失われて行き、大名もある家は内紛を乗り越えて生き延び、ある家は衰退して家臣や領内の有力者に取って代わられ、自分達の実力で領地の防衛と発展を目指そうとします。この戦乱の時代にあっても朝廷は生き延び、権威と文化の中心として京都の経済力と共に日本の中心であり続けました。紛争の多い実力主義の時代でしたが、かえってそのために権威は重要視されたのでしょう。またこの時代には遥か西方から南蛮人(イベリア半島人)が、次いで末期に紅毛人(イギリス人・オランダ人)が渡来して遥か異国の文化を伝えます。南蛮人と紅毛人は故郷で敵対しており、その事が次の時代に大きな問題を引き起こすのですが。代表的な伝来物としては火縄銃とキリスト教がありますが、前者は東南アジアで改良を受けた形式の物でもあるらしく、後者は最終的に日本から一掃される事となります。在来の仏教も、この時代に発展した教派が多く存在しています。
 長い戦乱の果てに、京都から数ヶ国を隔て大平野を有する豊かな国の大名・織田弾正忠家が畿内を制して周囲の勢力を制圧しようと激しい戦いを始めます。様々な勢力は既に火縄銃を大量に用いており、相互に犠牲を出しながらも織田家は戦いよりも敵を地道に切り崩す事で相対的優位に立ちました。しかし独裁的な当主がある重臣の率いる軍団に襲撃・殺害された事が原因となり、重臣達の争いの末に1人が権力を掌握、朝廷から関白の位と「豊臣」の姓を授かって最終的に全土を統一します。当時は鉱山技術が発展して金銀を大量に産出しており、時代の風潮に伴う華やかな文化と共に関白(養子に譲位した後に「太閤」と呼ばれます)と畿内の港湾都市「大坂」の繁栄は人々の記憶に残される事となります。
 しかし太閤は、明を頂点とする交易体制を覆滅して取って代わらんと野望を抱き、そして朝鮮を経由して攻め込もうとします。結果的には通路扱いしかされなかった(汗)朝鮮の全土を荒廃させた挙句、大名達が各地から主に技術者を(恐らくはかなり計画的に)捕獲して持ち帰ったくらいの収穫しかありませんでした。そして太閤亡き後の権力抗争で、故太閤が生まれた国の隣国の小領主を先祖とする関東の大大名・徳川家の当主が天下を制して新たな幕府である「江戸幕府」を開きます。
 「/Magical」では、キリシタン(紹介に従うなら、キリスト教ではなく「上帝教キリスト宗」の信者ですが)の術が新たに導入されます。諸国で暗躍する忍者も魔法を駆使して、現実世界より強力になるかもしれません。火縄銃の狙撃手も《すばやさ》《暗視》《鷹目》を修得して、より恐ろしい存在に……。

※「/Historical」「/Magical」のどちらでも、活劇風の冒険に向いた時代です。しかし社会的に不安定ですので、日常的なプレイを行うには適していません。

 
〈江戸時代/〜1700頃・〜1800頃・〜1868〉
 江戸幕府は大坂の豊臣氏を滅ぼし、今までの武力と騒乱の時代に終止符を打ちました。各地に徳川家の一族(家門)・幕府創設以前の家臣(譜代)・元の独立領主(外様)を「大名」「旗本」として配置して、幕府の本拠である関東南部の港湾城塞都市「江戸」・古来よりの帝都「京都」・商業都市として再興された「大坂」を含む国の中枢部を直轄地(「御領」「幕領」)として統治します。1つの国を有する大名はかなり自由な(あるいは逸脱した)統治を領分内で行いましたが、国の中枢部の大名はそれなりの自治を行いながらも他の領分との関係の配慮を迫られます。特にこの時代は既に商業が活発化しており、特に前期の大開発時代と爆発的な人口増加で平野部の原野がほとんど失われたため、農村といえど様々な物を外部から購入しなければなりませんでした(漁村や山村は、産物を売却して食糧を得ないといけないため尚更ですが)。村単位での武力行使が厳禁された反面治安も改善され、山賊や野盗や海賊に怯えずに人々が旅できるようにもなったのです。もちろん水運も改善され、全国が帆船で結ばれるようになりました(もっとも航海は危険な物であり、外洋航路に客を乗せる事は禁止されていました)。キリシタンは南蛮人と共に既存の社会秩序を破壊しようとした(実際一部の南蛮人は、日本侵略を計画しています)ために追放されましたが、紅毛人を通じて外国の文物には常に目を見張り続けました。もちろん関係を修復した朝鮮や、「明」を打倒した満洲人の皇帝による支配を嫌う亡命者が大勢来訪した後も商人が往来を続けた「清」との関係も忘れてはいけません。中継貿易が衰退した琉球もこの当時に薩摩との戦争に完敗して奄美を奪われ、間接的な影響下に置かれながらも独自の道を歩むべく模索を続けます。
 そして1世紀が過ぎ去り戦争の記憶が失われた頃、社会は安定期に入ります。書物や亡命者から学んだ大陸の新しい儒学が日本に導入されたのもこの時代であり、木版印刷技術が大量の書物――学術書から実用書、娯楽書まで――を流布し続け、あらゆる生活で文字の使用を要請された人々は僧侶や医師といった知識人に文字を学び、全国各地に私営の初等教育塾である「寺子屋」を生み出します。高等教育を求める人々にも学者達が私塾を開き、学問に熱心な大名は家中の武士のために(開放的な所ではそれ以外にも)学校を開設し出します。現代の日本に存在する文化の多くは、茶道、華道、歌舞伎、落語、浄瑠璃、剣道、……のようにこの時代に確立した物なのです。人々の往来も盛んになり、特に村落では冬の農閑期に寺社参詣を兼ねた観光旅行に出る事がしばしば見られます(もっとも遠隔地なら村の代表としての代参でもありますし、前期にはまだ修行としての巡礼も一般的ではあるのですが)。しかし減少したとはいえ飢饉や疫病は思い出したように人々を襲い、多くの生命を奪った事も忘れてはなりません。過剰開発を原因として発生したり悪化したりした災害も数多くあります。
 更なる1世紀は、安定から変革へと移行する時代です。外国の学問や産物をより積極的に取り入れると共に、日本の根底を見据えようとする「国学」や日本で成立した儒学の新たな学派、目立たないまでも日本全土に普及して骨肉の一部となった仏教、様々な思想が時にはぶつかりながらも(一部の偏狭な人物を除けば)融和していきました。しかし政治面では様々な方針が打ち出され、その半ばは揺り戻しにより放棄されますが時代に応じて歩みを慎重に進めて行きます。この時期は寒冷期でもあり、東日本が打撃を受けて人口を減少させますが、西日本の人口はじわじわと増加を続けました。
 最後の数十年は、海外の動乱が国内にも及び始めた時代です。ヨーロッパの諸国が交易拠点を求めて海上を往来し、ロシアが清に領土的野心を向け、それに対して幕府の高官や在野の学者達は外国の知識や技術を必死で求め続けます――脅威が祖国に及ぶまでに間に合うように。そして外国との交渉に粘り強く臨んだ結果、何とか妥協を成立させて幾分不利なものの本格的な付き合いを開始させます。しかし経済的混乱に不満を覚える百姓や町人、幕府の態度を弱腰と非難する学者や武士、江戸時代を通じて隠然とした影響力を持ち続けた朝廷の活動が活発化して、活動家は「攘夷」(野蛮人排斥)を叫び幕府の要人やヨーロッパ人にテロ行為や戦争を行います。しかし多くの血を流した末にいたずらな排斥ではなく国の強化を行う方向に転換した者達が朝廷を軸に糾合を行い、旧幕府の残党とそれを絶対的に支持する奥羽の諸大名を内戦の末に打倒します。しかし戦後の処置は比較的穏便に済まされ、新たな政府の首班の大半を革命主導者であるいくつかの大名の家臣が占めたものの他の勢力の排斥は行わず、抗戦した大名のほとんども領地を削減されたのみでした。まだ若い天皇を頂く新政府は国の防衛と繁栄のために更に紆余曲折を繰り広げますが……それはこのゲームがサポートする範囲ではありません(笑)。
 「/Magical」では、呪法座の魔法に対する独占が緩んで様々な魔法が民間に開放されます(座その物は、魔法資源や危険な呪文を管理する機関として存続しますが)。あらゆる生活に密着した魔法により生活は現実世界よりも豊かになり、魔法による産業革命が日本で起こるかもしれません。国外では北アジアを制する「大秦」が「カザン・オロス汗国」(タタール人とロシア人による、「ノヴゴロド公国」「キエフ王国」と並ぶロシア三国の1つです)、東南アジアの各地に植民地を持つ「大越」がヨーロッパ諸国を相手取るだけの力を持ちますが、それでも障害を乗り越えて「イングランド共和国」「フランス及びナバラ王国」「カナダ連邦王国」「メキシコ合衆国」の船は続々と通商を求める事でしょう。もちろん最初から「鎖国」などしていないかもしれませんし、豊臣家が「名古屋幕府」を開いて日本を支配しているかもしれませんが。

※冒険より日常生活が似合う時代です。特に「/Historical」ではほぼ全土が開発され尽くしているため山賊退治すらできません(「/Magical」では神や妖怪との関わりがあるため、「冒険」の余地もあるかもしれませんが……)。しかしそういう問題を除けば、様々な時代劇を参考にできるためやりやすい時代でもあります。もっとも「/Historical」では、時代劇が史実に反する面を慎重に取り除かないといけませんけど。

 
〈地位レベル〉
 日本の政治・社会組織は複雑多岐に分かれており、異国の民には理解し難い物となっています。そのため以下に記す通り、「権門体制論」を一部参照して中世〜近世の地位レベルを「公家」「武家」「寺家・社家」「百姓・町人」に分割します。
 また、地位レベル1以上の人々は「法の番人」の資格を持ちます。地位に応じて行使できる権限は異なりますし、実際に取り締まる職に就いているかにも左右されますが、中世においてはかなり強力な権限を行使できました。一介の名主でも、些細な物を盗んだ盗賊をそのまま処刑できたのです(中世では盗賊は非常な重罪であり、この場合の処置を非難される事はありません)。

「地位レベル/古代」(5CP/L)
 歴史開闢以前から律令制が崩れる前の平安中期までの地位レベルです。中世〜近世の「公家」「百姓・町人」を参考にして下さい。

「地位レベル/公家」(5CP/L、最低でも0レベル)
 公家の統治機構に属する、天皇、皇族、公卿、官人、雑仕、官位を授与された出入りの商人、国衙の在庁、荘園の下司・公文といった人々が属する地位体系です。鎌倉時代までは全国各地に存在しますが、戦国時代以降は基本的に畿内にしか存在しません。
 公家が服する法律は、基本的に古代以来の「律令」です。「律令」に基く刑罰では、死刑判決が出ても「穢れ」を撒き散らす事を嫌い「死一等を減じて」流刑で済む事が一般的です。しかし「名誉」を重視する公家にとっては、死刑とほとんど変わらない重罪と捉えられる事でしょう。
 公家の地位レベルは、他の「地位レベル」に属する人々にも同様に通用します。

地位レベル
 7 天皇、上皇、法皇
 6 皇太子、太政大臣、摂政、関白…一位相当
 5 大臣、親王…二位・三位相当
 4 大納言、中納言、八省の卿、神祇伯、大きな国の国守…四位相当
 3 少納言、左・右大弁、蔵人、小さな国の国守…五位相当(これ以上が昇殿可能。そのため昇殿資格を持つ六位の蔵人も地位レベル3として扱う)
 2 上級官人、在庁、下司・公文…六位相当
 1 官人、小さな荘園の下司・公文…七位〜初位相当
 0 雑仕…無位無官

「地位レベル/武家」(5CP/L、最低でも0レベル)
 武家の統治・治安維持機構に属する、将軍、執権、管領、老中、守護、大名、代官、郷士、足軽、奉公人といった人々が属する地位体系です。著名な医師や学者、芸能者はこの地位体系に属して、統治者である大名や将軍から援助を受ける事があります。
 武家が服する法律は、幕府や各地の領邦固有の法律です。一般に公家の物より厳しく、特に反逆や破廉恥罪には処刑が普通に適用されます。戦国時代以降には、通常は「自分で自分を裁く」事を要請されて「切腹」という手段を取りますが、余りにも悪質な犯罪や失態に対しては斬首という手段が取られます。また中世には、百姓・町人も含めて釜炒りや鋸挽きという残虐な刑も稀に執行されました。
 武家の地位レベルは、0.8倍して小数点以下を四捨五入した数値が「地位レベル/公家、寺家・社家」に属する人から見た数値になります。武家の上位者は公家の官位を名誉的に授与されますが、武家の地位レベルには影響しません。
例:江戸幕府の将軍(「地位レベル/武家7」)は、天皇や左大臣、蔵人、皇居出入りの菓子屋の主人(「地位レベル/公家」に属する人々)からは地位レベルが7×0.8=5.6≒6と見なされます。将軍は同時に大臣(「地位レベル/公家5」相当)でもありますが、武家の地位レベルを計算する際には考慮されません。

地位レベル
 7 将軍(室町・江戸)、大御所
 6 将軍(鎌倉)、管領、関東公方、大老、御三家(尾張・紀伊)当主
 5 執権、政所執事(室町)、侍所所司(室町)、非常に有力な守護・大名、関東管領、老中、寺社奉行、勘定奉行(公事方・勝手方)
 4 政所・侍所執事(鎌倉)、大国の守護・大名、六波羅探題、若年寄、(江戸)町奉行、京都所司代、大阪城代、遠国奉行
 3 小国の守護・大名、郡代、有力な代官・町奉行
 2 小領地(郡単位以下)の地頭・大名・旗本(高家は地位レベル4〜5)、一般的な代官・町奉行
 1 村単位の所領か蔵米取りの武士、上級郷士
 0 従者、武家奉公人、足軽、下級郷士

「地位レベル/寺家・社家」(5CP/L、最低でも0レベル)
 仏教及び神道の宗教組織に属する、大宮司、法主、神官から典座、住職、神主といった人々が属する地位体系です。医師や茶人のみならず、時代によってはキリスト教の神父や修道士も含まれます。「/Magical」の呪法座の地位レベルはこれに含まれます。
 寺家・社家が服する法律は、宗教的な面では教団内部の規範、俗界では元の所属に応じた一般社会の法です。
 寺家・社家の地位レベルは、0.8倍して小数点以下を四捨五入した数値が「地位レベル/公家」に属する人から見た数値になります。

地位レベル
 6 法親王、法主・大宮司などの教団代表者
   (中略)
 1 小さな寺・道場の住職、小さな神社の神主(通常は俗人が兼任)、一般の修験者
 0 修行僧、見習い神職

「地位レベル/百姓・町人」(5CP/L、限界は3レベル)
 統治機構に属さない平民の地位レベルです。限界は3レベルで、4レベル以上になる際には公家や武家、寺家・社家の地位を授与されます。
 百姓・町人が服する法律は、統治者の定めた法律と町・村内部を律する掟です。
 百姓・町人の地位レベルは、0.8倍して小数点以下を四捨五入した数値が「地位レベル/公家、武家、寺家・社家」に属する人から見た数値になります。

地位レベル
 3 伝説的大商人、大都市の町名主、大庄屋、非常に有名な文化人・学者・医師・職人
 2 大商人、連合組合村の代表、高名な文化人・学者・医師・職人
 1 名主・庄屋、名家の人間、大地主、本町人、文化人・学者・医師・職人
 0 本百姓、一般の町方在住者
−1 下人、専業の水呑百姓、裏長屋住まい
−2 奴婢(戦国時代まで)

「地位レベル/琉球」(5CP/L、限界は6レベル)
 琉球王国の身分体系は、本土(大和)のそれとは異なる交易重視と身分逓減制度(功績を上げないと子孫の身分が低下する)による物です。国の規模が小さいため、最高でも地位レベルは世の主=国王の「6」です。士(侍)は最低でも地位レベルは「1」になります。

地位レベル
 6 世の主(よのぬし)/国王
 5 世子、聞得大君(きこえおおきみ、王族の女性が就任する巫女の総領)、世あすたべ/三司官
 4 王族、有力な按司(あじ、間切(まぎり、数ヶ村をまとめた範囲)の統治者だが統一後は次第に名目化)
 3 按司、船頭/勢頭(せどう、「ひき」(国営交易船の運航と港湾防衛を担当)の指揮官)
 2 有力な士(さむれー)、筑殿/筑登之(ちくどの/ちくどぅん、「ひき」の次官)
 1 士、村長、有力な町人
 0 百姓、町人
−1 下人、貧しい百姓や町人

「地位レベル/蝦夷地」(5CP/L、限界は3レベル)
 蝦夷地のアイヌは、地域毎に緩やかなまとまりを作っているに過ぎません。地域毎の「大将」も絶対的な力を持っているわけではなく、基本的に「まとめ役」といった所です。そのため最高でも地位レベルは有力な「大将」の「3」になります。和人の場合は本土の地位体系に従いますが、中世は津軽安藤(安東)家代官の「3」、近世も松前藩主の「3」が最高です。

地位レベル
 3 有力な大将
 2 大将
 1 コタン(集落)の長
 0 一般人
−1 無法者

「地位レベル/近代・現代」(5CP/L)
 「ベーシック」の通りの地位レベルです。日本の場合は天皇が地位レベル7、皇后・皇太子・総理大臣・国会議長が地位レベル6となります。


◇地理◇

 旧国の区分などです。

〈本土区分一覧〉※明治時代初期基準。微小な調整は含まない。
―畿内―
 大和…奈良県
 山城(奈良時代まで山背)…京都府/京都周辺
 摂津…大阪府/大阪市及び淀川以北(高槻市と豊能郡の北端部を除く、堺市大小路以北・大和川以南は明治初期に和泉へ移管)、兵庫県/須磨以東
 河内…大阪府/大阪から見て東〜南東側
 和泉…大阪府/堺市大小路以南
     ※元は河内の一部
―東海道―
 伊賀…三重県/上野・名張周辺
 伊勢…三重県/主要部(熊野灘沿岸は中世前期まで志摩の管内)
 志摩…三重県/鳥羽周辺(神島は中世まで伊勢の管内)
 尾張…愛知県/名古屋周辺、知多半島(篠島と日間賀島は中世まで三河の管内)
     ※北端部を(道路の方の)東山道が通過しているため、初期は東山道に属したという説あり
 三河…愛知県/境川以東(豊田市旭地区の一部を除く)
 遠江…静岡県/大井川以西(接阻峡以北を除く、大井川以東の一部を含む(明治時代に駿河へ移管))
 駿河…静岡県/大井川以東・接阻峡以北、沼津・御殿場以西
 伊豆…静岡県/伊豆半島(三島・熱海以南)、東京都/伊豆諸島
 甲斐…山梨県
関東(平安末期までは坂東)
├相模…神奈川県/藤沢・鎌倉以西、三浦半島(湯河原は中世にはしばしば伊豆の管内)
├武蔵…東京都/23区・多摩(綾瀬川・隅田川以東は中世まで下総の管内)、神奈川県/横浜市(内陸西部を除く)・川崎市、
│   埼玉県/庄内古川以西(古利根川・中川以東は中世まで下総の管内)
│   ※元は東山道に所属
├(総)
│├安房…千葉県/鴨川・館山周辺
││    ※元は上総の一部
│├上総…千葉県/市原・横芝以南、富津・勝浦以北
│└下総…千葉県/千葉・八日市場以北、茨城県/小貝川以西、利根川北岸の一部、埼玉県/庄内古川以東(埼玉県に属する部分は明治時代に武蔵へ移管)
├常陸…茨城県/小貝川以東(利根川北岸の一部を除く)(久慈郡の一部は中世まで陸奥の管内)
└(上野・下野は東山道を参照)
―東山道―
 近江…滋賀県
 美濃…岐阜県/主要部(石徹白と旧山口村・神坂村を除く)(境川以南・羽島周辺は中世前期まで尾張の管内)、愛知県/豊田市旭地区の一部
 飛騨…岐阜県/高山周辺
 信濃…長野県(根羽村は中世まで三河の管内、木曽は中世以前はしばしば美濃の管内)、岐阜県/旧山口村・神坂村
関東
├(相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸は東海道を参照)
└(毛野)
 ├上野…群馬県(桐生市の一部を除く)、栃木県/足利市の一部
 └下野…栃木県(足利市の一部を除く)、群馬県/桐生市の一部
奥羽(現在の東北、( )内は明治初期の分割後の国の名称)
├陸奥(岩代、磐城、陸前、陸中、陸奥)…福島県、宮城県、岩手県、秋田県/鹿角、青森県
└出羽(羽前、羽後)…山形県、秋田県/主要部
―北陸道―
 若狭…福井県/小浜周辺

├越前…福井県/福井周辺、敦賀、岐阜県/石徹白
├加賀…石川県/金沢周辺
│   ※元は越前の一部
├能登…石川県/能登半島
│   ※元は越中の一部
├越中…富山県
└越後…新潟県/主要部
 佐渡…新潟県/佐渡
―山陰道―
 丹波…京都府/亀岡・福知山周辺、兵庫県/篠山周辺、大阪府/高槻市と豊能郡の北端部
 丹後…京都府/舞鶴・宮津周辺
     ※元は丹波の一部
 但馬…兵庫県/豊岡周辺
 因幡…鳥取県/鳥取・倉吉周辺
 伯耆…鳥取県/米子周辺
 出雲…島根県/松江周辺
 石見…島根県/浜田・益田周辺
 隠岐…島根県/隠岐
―山陽道―
 播磨…兵庫県/明石以西(赤穂市西端部を除く)
吉備
├備前…岡山県/岡山以東、児島半島、兵庫県/赤穂市西端部
├美作…岡山県/津山周辺(佐用町の一部は明治時代に播磨へ移管)
├備中…岡山県/倉敷以西・以北
└備後…広島県/福山〜三原・三次周辺
 安芸…広島県/広島周辺
 周防…山口県/岩国〜山口周辺
 長門…山口県/萩・宇部〜下関周辺
―南海道―
 紀伊…和歌山県、三重県/尾鷲・熊野市周辺
 淡路…兵庫県/淡路
四国
├阿波…徳島県
├讃岐…香川県
├伊予…愛媛県、高知県/沖ノ島・鵜来島
└土佐…高知県(沖ノ島・鵜来島を除く)
―西海道―
九州(広義の筑紫)
├(筑紫)
│├筑前…福岡県/福岡周辺(黒崎以西)
│└筑後…福岡県/久留米〜大牟田周辺
├(豊)
│├豊前…福岡県/小倉周辺(八幡以東)、大分県/中津・宇佐周辺
│└豊後…大分県/主要部
├(火)
│├肥前…佐賀県、長崎県/主要部・五島など
│└肥後…熊本県
└(日向)
 ├日向…宮崎県
 ├大隅…鹿児島県/東部・種子島・屋久島
 │    ※元は日向の一部、種子島は一時期は「多*国」(*=「勢」−「力」+衣偏)
 └薩摩…鹿児島県/西部・トカラ(トカラは明治時代に大隅へ移管)
      ※元は日向の一部
 壱岐…長崎県/壱岐
 対馬…長崎県/対馬

〈北海道区分一覧〉(( )内は樺太を除き、明治初期制定の国の名称)
 松前地(渡島)…北海道/渡島半島
 西蝦夷地(後志、石狩、天塩、北見)…北海道/日本海・オホーツク海沿岸
 東蝦夷地(胆振、日高、十勝、釧路、根室)…北海道/太平洋沿岸
 (千島)
 (唐太(樺太))

〈琉球区分一覧〉
 奄美…鹿児島県/奄美(明治時代に大隅へ編入)
 ├(旧北山領)…沖永良部島以南
 └(その他)…徳之島以北
 沖縄…沖縄県/沖縄本島周辺
 ├(旧北山領)…国頭郡
 ├(旧中山領)…中頭郡
 └(旧南山領)…島尻郡
先島
├宮古…沖縄県/宮古島周辺
└八重山…沖縄県/石垣島周辺

※以上の区分には、江戸時代時点で無人状態だった小笠原諸島、火山列島、大東諸島などは含んでいません。

〈地方区画・古代〉
国(律令以前の「国」をある程度一定の規模に統合・分割)
 ―京(皇居のある都は郡の管轄から除外される)
 ―郡(1つの国に2つ以上(平均的な数値は5〜10の範囲、美濃・武蔵は約20、陸奥は最終的に50以上))
  ―郷(数個の里をまとめた規模)
   ―里(50戸前後、自然集落と一致する場合もしばしば)
 ―村(陸奥・出羽にのみ存在。土着の住民が中心で、代表者を通じて間接的に国衙に帰属するだけ。大きさは郡レベルで、近世の「村」とは全く違う)

〈地方区画・中世〉
国(古代と同じだが、境界河川の流路の変化に応じて境界も移動)
 (公領(国衙領)・私領(荘園)共通)
 ―京(古代と同じ)
 ―郡(古代と同様だが、大半の国では名称変更、分割、統合、境界移動を伴う。「郡」以外の名称を取る事も)
  ―郷(郡と同様。郡としてのまとまりの弱い地域では国に直結)
   ―村(郷の内部の地区。自然集落を1個〜数個含む。郷の外部に対しては法人格を持たない)
  ―町(特に人口が集積した所。交通の要衝に多く、商工業の中心)
 (私領)
 ―荘(他にも薗、院など名称は様々。規模は村の一角〜複数の郡全域とバラバラ。京都に近いほど規模は小さく数は多く、遠いほど規模は大きく数は少ない傾向がある。割合としては全体の半分くらい)
  ―*内部は公領と同じ

〈地方区画・近世〉
国(中世と同じだが、稀に境界が移動。英訳名province)
 ―江戸・京都・大坂(大都市として、例外的に郡の内部とは扱われない。ただし周縁部はその限りでない)
 ―郡(中世と同様だが、やはり内容は変化している(名称を古代名に戻した所も多い。その時に比定を間違えた所も)。相模の津久井のみ「県」を称する。英訳名county)
  ―村(中世の村と同じだが、中間にあった「郷」は行政的には廃止。農業を中心とした農村が多いが、林業、漁業、水運、商工業が中心の村も存在する)
  ―新田(近世中期〜後期に新たに開拓された村。古い村の内部で開発した「新田」と混同しないように注意)
  ―町(町としての特別扱いを認められた場所。商工業が中心だが、街外れに「農人町」と称する農民居住地域が存在する事もある)
 ―領(関東の中心部でのみ用いられる単位。郡の傘下ではなく、郡の境界線を越えて設定される場合も多い)
※藩の行政区画は制度も名称も様々だが、地名表記には用いない。

〈支配形態・近世〉
御領(幕領)
 ―町奉行所(重要な「町」を統治。通常は地名を冠されるが、江戸は単に「町奉行所」と呼び三奉行の1つ「町奉行」(2名、時期により3名)が統治する。武士(浪人を除く)、僧侶、神官などは支配下に含まれない)
  ―町(ちょう)(都市である「町」の内部の各区域を指す。区域毎の住民団体が存在する)
 ―代官所・奉行所(代官、郡代、遠国奉行が駐在。江戸近辺では管轄区域にあるとは限らない。代官は勘定奉行勝手方(財務管轄)の傘下の役職)
  ―村(説明は地方区画の説明を参照。他の領主と支配関係が入り組んでいる事も多いが、村内の自治組織は統一されているのが普通)
   ―村内部の区画(様々な呼び方があるが、通常は集落単位。大きな村の内部にある事が多い)
私領(大名領(領分)・旗本領(知行地))
 ―町奉行所(御領と同様だが、細かい役割や地位は場所によって様々)
 ―代官所(御領と同様。管轄区域は「組」「手永」「宰判」「通」など様々な名称で呼ばれる)
 ―家臣の知行地(大名の家臣には、大名の領内に領地を持っている者がいる。大きな藩の場合、小さな大名並の領地を持つ家臣もいる)
 ―その他(藩によっては特殊な物が存在する。鹿児島藩が地方の平民を郷士に支配させた「麓」はその一例)
その他(皇室領・公家領・寺領・社領)
 ―(私領に準じるが、最大の皇室領でもそこそこの規模の大名程度。……まあ、武士の領主が負担する軍役(参勤交代や幕府の城の築城など)はないので少しは楽だろうが)

〈地方区画・琉球〉
町(王宮がある首里と、交易港がある那覇は間切には含まれない)
間切(複数の村落をまとめた区域。本土の「郡」よりかなり小さく「郷」に近いサイズ)
 ―村(本土と同様のもの。士族の所領である事もあるが、琉球では所領が代々受け継がれる事は少ない。また農業生産が本土より幾分不安定なため、役人からの庇護というか干渉もやや強い)


◇文明レベル及び単位系◇

 日本本土の文明レベルは、以下の表の通りとなります。様々な点で逸脱しているでしょうが、その辺はあまり気にしないで下さい。なお、この項目の記述は本土以外には必ずしも適用されません。

文明レベル
 0 縄文時代(〜前200、大陸は1〜2)
 1 弥生時代(前200〜200、大陸は2)
 2 古墳時代〜飛鳥時代(200〜700)
 3 奈良時代〜室町時代(700〜1470)
 4 戦国時代〜江戸時代前期(1470〜1700)
 5 江戸時代中期〜明治時代(1700〜1900)
 6 大正時代〜第二次大戦(1900〜1950)
 7 復興期〜現代(1950〜)

 所持金は「ベーシック」の記述に従いますが、「富裕」かそれ以下の場合は全額を装備に費やして構いません。「赤貧」でもない限り、装備に費やせない同額の家財が別に存在すると見なします。

 
―単位系―

 日本における単位系ですが、時代や地域によって多少の差異が生じます。実際のゲーム上、特にデータ管理の面で煩わしい場合は無視しても構いません。
 ※メートル法換算値は、特に注記がなければ近世のものです。

度(長さ)

1丈=10尺=約3.0m
1尺=10寸=約30.3cm(*近世。時代を遡ると少し短くなる。なお中国では同時代の日本よりやや長い)
1寸=約3.0cm

大尺1尺=小尺1.2尺(*古代。令小尺1尺=和銅大尺1尺。大尺は測地に使用)
曲尺1尺=和銅大尺1尺(*平安〜)
呉服尺1尺=曲尺1.2尺=令大尺1尺(*平安〜)
鯨尺1尺=曲尺1.25尺(*平安〜)

1里=6町=360間(*和銅の制では300歩)=約545m(*古代〜中世)
1里=6・36・40・48・50・60・72町(*中世(一部)。6町1里を小里、36町1里を大里とも呼ぶ)
1里=36町=約3.93km、1町=60間=約109m(*近世)
1間=曲尺6尺=約1.82m(1間=6尺5寸=約1.97mの場合もあり)

1町=10反=約9910m2(*近世)=約0.99ha
1反(段)=10畝(*近世)=300歩(*近世。桃山時代より前は360歩)=約991m2=約0.99a
1歩=6尺平方(*桃山時代のみは6尺3寸平方)=約3.3m2(*現在の1坪に相当)

量(容量)

1石(斛)=10斗=約180l
1斗=10升=約18l
1升=10合=約1.8l(*近世以降の新京枡)
1合=10勺=約0.18l
1勺=約18ml

大1升=小3升(*古代。小升は薬物に使用)
宣旨枡1升=新京枡約0.6升(*平安〜戦国。他にも中世は各種の枡が混在)

衡(重さ)

1斤=16両=約600g
1両=4分=約37.5g
1分=6銖=約9.74g
1銖(朱)=約1.56g

大1斤=小3斤(*古代。小斤は薬物に使用)

1貫=1000匁=約3.75kg
1匁=約3.75g
(*1匁=開元通宝1枚の重さ。端数は「○分」として表記する)

1斤=160匁、1両=10匁

 
―暦―

 日本における伝統的な暦で、基本は太陰太陽暦です。基本的に古代はその時々に輸入した大陸の暦、中世は古代後期に輸入した暦をそのまま、近世は江戸幕府の機関が行った天文観測に基く暦を使いますが、中世までは一般的に、近世にも稀に地方作成により日付が多少ずれた地方暦が存在しました。当然ながら同じ太陰太陽暦を使っている大陸側の諸国とも、微妙に日数が異なる事が多々あります。一般には不定時法が用いられ、季節によって時間の長さが変化するため注意して下さい。
 1年の始まりは現在の1月〜2月に相当する元旦(1月1日)、1日の始まりは深夜にあたる子刻(0時前後)です。主な行事などについては省きますので、GMやプレイヤーの知識を使って判断して下さい。

1年=12ヶ月、閏月のある年は13ヶ月
1ヶ月=29または30日(月の動きに応じて変化。30日ある月を「大の月」、29日までの月を「小の月」と呼ぶ)
 ※1ヶ月は大まかに10日ずつに分けられ、「上旬」「中旬」「下旬」と呼ばれます。「週」の概念はありませんが、曜日の知識はごく一部に知られており吉凶占いなどに用います。

1日=12辰刻(子刻(23時〜1時)〜亥刻(21時〜23時))、1辰刻=4刻(1刻〜4刻)、1刻=10分(0分〜9分、1分=現代時間の3分)
 (古代〜中世、主要官庁は水時計による定時法、民間は不定時法。辰刻毎に撞く寺の鐘(官庁では太鼓)の回数から、子刻〜巳刻・午刻〜亥刻を九つ〜四つと呼ぶようになる)
1日=12辰刻(子刻・九つ(23時〜1時)〜亥刻・四つ(21時〜23時))、1辰刻=10分(1分=現代時間の12分)
 (近世、不定時法、天文学(主に暦作成用の観測データ)のみ定時法)

〈「年」の名称〉
 大宝元年(西暦701年)より前は天皇の在位年を取り「○○天皇○年」と記し、以降は朝廷が制定する元号を用いて「(元号)○年」とします(元号は年の途中で改める事が一般的。第1年は「元年」)。十干・十二支を組み合わせた60年周期の表記も一般的です。琉球では交易先である大陸の大帝国である明・清(「/Magical」なら「大越」)の元号を用い、年の途中で改める事は行いません。
 ※遥か過去の事を指す場合、当時在位していた天皇を基準に「人皇第○○代○○天皇(平安中期〜江戸中期は「○○院」)の治世」と頭に付けます(ただし初期の天皇は多分に伝説的な存在で(「/Magical」ならそうとも限りませんが)、仁徳天皇から雄略天皇辺りが実在を確証できる上限です)。現代の数え方とは違い、大友皇子(弘文天皇)と南朝の天皇(後村上・長慶・後亀山)は代数に入れず、神功皇后と北朝の天皇(光厳・光明・崇光・後光厳・後円融)を代数に入れますし、諡号を持たない廃帝(淳仁天皇(淡路廃帝)・仲恭天皇(四条廃帝))も存在しました。
〈「月」の名称〉
 以下の通りで、最も多く使うのは数字を用いた「1月〜12月」です。数字を用いない雅称は、行政や商取引には使われません。
 1月/睦月/孟春
 2月/如月/仲春
 3月/弥生/季春
 4月/卯月/孟夏
 5月/皐月/仲夏
 6月/水無月/季夏
 7月/文月/孟秋
 8月/葉月/仲秋
 9月/長月/季秋
 10月/神無月/孟冬 ※出雲では、「国中の神々が出雲大社(杵築大社)に集まる」との伝承に従って「神在月」とも呼ばれます。
 11月/霜月/仲冬
 12月/師走/季冬
 閏月(19年に7回存在する。割り込んだ直前の月の名を取り、「閏○月」と呼ぶ)
 ※季節の割り振りは大陸基準であり、日本より1ヶ月早くなっています。
〈「日」の名称〉
 数字を月の初めから順に割り振って、「1日〜30日」に分けます。

 
―貨幣の価値&使用年代―

 ゲームで使用するための、現実に基いた貨幣一覧です。価値は大雑把な物ですので、あまり杓子定規に考えないで下さい。もちろん現代より、生活必需品は安く、高度な技術の産物や贅沢品は高くなっています。
 また、これは「/Historical」における物です。「/Magical」の場合、金や銀が現実より大量に流通していても構いません。

〈古代・中世〉
 米・布・鉄など…物価による/縄文〜桃山
 無文銀銭…1枚=10ドル/飛鳥〜奈良
 銀塊…重量による、中世には丁銀(切銀)(極印を打った銀塊)が出現/飛鳥〜桃山
 金塊・砂金…重量による、中世には竹流金(極印を打った金塊)・譲葉金(打ち延ばした金塊)・蛭藻金(譲葉金より小型)が出現/平安〜桃山
 皇朝銭…様々/奈良〜平安前期
 輸入銅銭(北宋銭)…1枚(1文)=0.4ドル、1000枚(1貫文)=400ドル/平安後期〜桃山
 輸入銅銭(その他)…1枚(1文)=0.1ドル〜0.4ドル/平安後期〜桃山
 鐚銭(損傷・模造銅銭)…1枚(1文)=0.1ドル/室町〜桃山

〈近世〉
 金貨…1両=400ドル(初期)〜600ドル(末期)、1両=4分、1分=4朱、1分=100疋(*贈答用額面)、大判1枚=10両(*贈答用。市場価格はこれより高い)/江戸
 銀貨…重量による、基本は丁銀・豆板銀、あるいは重さを揃え包装して封をした物だが、後期には金貨単位を用いた銀貨も存在、贈答・褒賞用のみ銀1枚=約53匁(*実際の板ではなく、重さを揃えて膠でまとめた物)/江戸
 銅貨…1文=0.1ドル、1000文=1貫文/江戸
 ※交換レートは時期により変動(金1両=銀約60匁=銭約4000〜6000文)


GURPS Nippon・目次に戻る