#お茶の破壊・4杯目
◇現代世界用架空の町◇
現代世界を舞台にする場合に使えそうな架空の町です。実在する町とは一切関係はありません。
橘町/たちばなちょう(静岡県但馬郡/しずおかけんたじまぐん)
遠州東部の牧之原台地に埋もれたように存在する、人口4万人ほどのやや大きな町です。電車で行く場合、東京からは静岡で、名古屋からは掛川で新幹線から東海道本線に乗換え、島田か菊川で橘鉄道に乗換えます。高速道路では牧之原のインターチェンジが近いのですが、そこから橘に向かう道は分かり辛いので注意が必要です。主な産業は、遠州や三河の多くの町と同じく農業と工業で、特に柑橘類は古代にも既に名が上り、江戸時代には領主から将軍へ正月毎に橘が献上されたほど昔から有名で、今でも出荷額の多くを柑橘類が占めています。交通の便は良いのに微妙に地形的に隔絶しているため、周辺の市や町との交流はあまりありません。
この橘の地は、記紀にもその名が出ている田道間守(たじまもり)の終焉の地であると伝えられます。奈良時代には榛原郡から但馬郡が分立され、平安時代には田道間連を名乗る一族が国衙の官人として活動します(そのせいか、この地域には荘園は成立せず国衙領となっていました)。鎌倉時代には田道間氏は2つに分裂し、そのうちの下田道間家が優勢となりますが、なにぶん小さな地域なので勢力もたかが知れていました(汗)。室町時代には但馬神社神官兼幕府奉公衆の上田道間家(但馬家)は斯波家被官の下田道間家(田島家)により三河の飛び地に追い出され、戦国時代には田島家は今川家に鞍替えして生き延びます。しかしその後、武田家の勢力が遠州に伸びた際に真っ先に徳川家を見捨てたのが祟り、武田家滅亡の2年前に孤立無援の中徳川方の攻撃を受けて田島家は滅亡します。田島家滅亡後には徳川方の但馬家が三河から復帰して、徳川家の関東入りから関ヶ原の合戦までの中断期を挟み、江戸時代には但馬家は表高9千石の交替寄合(参勤交代する旗本)として明治まで続き、実高が1万石を超えていたために男爵となります(大正時代に功績により子爵に昇格)。近代には柑橘類を中心とした果樹栽培が盛んになり、戦後には工場も増えて現在に至ります。
町章は但馬家の家紋に由来する「丸に橘」、町の木は橘、町の花は橘です。
※名前のある施設は極力、直接・間接的に柑橘類と関連する名称で統一しています。
#鉄道#
東京
│
静岡
││
│島田…新島田┐
││ ├橘北口─工場前─橘本町─遠州橘─八朔山
│菊川…菊川町┘
││
掛川
│
名古屋
#道路#
東京IC(用賀)
静岡 │
│ │
金谷──│──┬橘町
│ 牧之原IC┘
浜松 │
小牧JCT
#中心部
鎌倉時代から地域の中心となっていた、陣屋町「橘」とその近辺です。地形的に高低差が意外と激しく、自家用車の利用にはあまり適していません。
橘本町駅/たちばなほんまちえき
橘鉄道の、中心部への最寄り駅です。島田と菊川から昼間は20分毎に電車が出ていますが、そのうち半分は次の駅が終点となり、先の八朔山方面に行くには別の方から来た電車に乗換えが必要です(同じホームでの乗換えになりますので、あまり手間は掛かりません)。駅前からは橘鉄道のバスが出ており、町内各地や横須賀、榛原に向かっています。
ショッピングセンター・ばんぺーゆ(晩白柚)/―
橘本町駅前にある、大きな3階建てのショッピングセンターです。平成に入ってからできた所で、昔は大きな工場の敷地だったため、裏手には広い駐車場もあります。
バレンシア/―
ばんぺーゆに入居している、本格派のスペイン料理店です。開店当初は「ヴァレンシア」でしたが、「スペイン語に「v」の発音はない」と指摘を受け、半月で改名したという笑えないエピソードもあります。でも料理は美味しいので勘弁してあげましょう。
花橘書店/はなたちばなしょてん
この規模の町の書店としては珍しい、広い床面積を持つ書店です。3階建てですが本屋は1階だけで、上の方は町唯一のビジネスホテル「花橘」になっています。
陣屋通り/じんやどおり
橘本町駅から東に伸びる、橘が陣屋町だった頃からの商店街です(といっても古い時代は六斎市で、5日に1回の市日以外は雑貨屋くらいしかなかったのですが)。日常で必要なものは大抵売っていますが、品揃えはあまり若者向きではありません。他にも郵便局、銀行(駿府銀行と三ツ柏帝都一ツ之指輪銀行)、信用金庫、警察署も軒を連ねています(消防署は最近、町民病院の隣に引っ越しました)。
ざぼん屋菓子店/―やかしてん
洋菓子屋シトロン/ようがしや―
伊予屋酒店/いよやさけてん
陣屋通りの店で、柑橘類の商品が目玉商品という分かりやすい所です(笑)。
ダイニングバー「ポメロ」/―
バーのつもりが、昼からという開店時間が災いしてほとんどレストラン扱いされている店です。一応バーなので深夜まで営業しているのですが、こんな田舎で11時や12時に起きている人などほとんどいません。
洋品店ライムライト/ようひんてん―
陣屋通りでは珍しい、若者向けの品を揃えた店です。にもかかわらずこの町の雰囲気が骨まで浸透しており、黄色や緑の服が微妙な色彩に至るまで揃っていて、柑橘系の芳香剤や入浴剤まで店頭に完備しています。
町役場・図書館本館/まちやくば・としょかんほんかん
但馬家の陣屋があった所で、門だけが図書館正門として残っています。町役場は昭和50年代建設の単なるコンクリートの箱ですが、元の町役場だった図書館本館は昭和初期の名建築として知る人ぞ知る存在で、内部は改装されて環境も良好、蔵書や管理システムの面においても充実しています。
陳皮薬局/ちんぴやっきょく
表通りから裏手に入った所にある薬屋ですが、大きな看板が角に立っているので見逃す事はないでしょう。処方箋がないと貰えない薬もありますが、そちらは町民病院前の支店で主に扱っています。
ホビーショップオランジュ/―
最近開店した玩具店です。模型やTRPG書籍のようなやや高い年齢向けの商品が多く、あまり子供は出入りしていません。
出石神社/いずしじんじゃ
町の中心部にある普通サイズの神社で、境内には陣屋町の町内会も同居しています。町には他にも、諏訪神社、熊野神社、神明社、秋葉神社などの地元でメジャーな神社や祠が林立していますが、田道間氏の先祖が但馬の出石から勧請したというこの神社が最も古いと考えられています。
仏手柑寺/ぶしゅかんじ
橘で最も大きな浄土宗の寺院で、創立は少なくとも南北朝時代に遡ります。元は非時香菓(ときじくのかくのみ)から名を取り「非時香寺(ひじこうじ)」と言ったのですが、江戸時代後期に時の殿様により改名されました。上田道間家(但馬家)の代々の菩提寺でもあり、その関係上指定文化財を多く所持しています。
常世寺/じょうせいじ
仏手柑寺の隣にある、戦国時代成立の浄土真宗の寺院です。戦国時代は正式な寺と認められない「道場」で、田島家に度々弾圧されましたが、但馬家が復帰してから正式な寺院として扱われるようになりました。敷地は小さいですが本堂は大きく、収容人数では仏手柑寺の本堂も上回りそうです。
柚子大池/ゆずおおいけ
柚子小池/ゆずこいけ
町の東側にある2つの池です。元は単に「大池」「小池」だったのが、江戸時代後期の殿様が大量に柚子を植えさせたために、明治になってからこの名になりました。
ティーラウンジベルガモット橘店/―たちばなてん
フレーバーティーが売り物の喫茶店……ですが、柑橘系フレッシュジュースも出しています。一番人気はブラッドオレンジジュースだとか。
田道間守公園/たじまもりこうえん
陣屋通りから東に抜けた先にある大きな公園で、橘を手に持つ田道間守の銅像が目印です。近辺にはなぜか「七時十一時屋」「安子屋」「家庭商店」「午前午後屋」「丸敬」「有難屋」「三衛府」「小休止」「日々山崎」といったコンビニが集中しており、柑橘類の花見の時期には一種の激戦区となっています。
和食処かぼす/わしょくどころ―
公園の近くにある創作和食のレストランです。数年前の「みかんの町橘」キャンペーンの際に誕生した柑橘類コースは、今でも人気メニューの1つです。
ネーブルホール/―
町唯一の公会堂です。かつて箱物行政で悪評を取った町長が建てさせたもので、過大な規模、利きの悪い冷暖房、観客の動線を無視した入口、人目に付く所に容量を取り過ぎて割を食らった楽屋、問題外の音響効果などが祟り、町長が落選してから長い年月が経った現在までほとんど使われる機会がありません。十年前の「叫点」の地方公演や昨年の「野老(ところ)さんの呻いてハジけて!」の「スリングの旅」で登場しましたが、どちらでも評判は芳しくなかったようです。
橘高校/たちばなこうこう
町外れの北西側にある、橘町唯一の公立高校(といっても県立)です。地理的に他の市や町と学生の行き来が乏しいため、高校としてのレベルは「やや高い」程度ですが、学生の学力は個人ごとに格差があります。橘鉄道の橘北口駅と橘鉄道バスの橘高校正門バス停・橘高校裏門バス停がすぐ側にあるため、通学には非常に便利です。
温州機械橘工場/うんしゅうきかいたちばなこうじょう
食品加工用の機械を主に製造している工場で、柑橘類搾り機では日本でも5本の指に入るほどのシェアを占めています。
温州食品橘第4工場/うんしゅうしょくひんたちばなだいよんこうじょう
温州機械のグループ会社の工場で、互いに隣り合っています。機械工場と反対側、すぐ隣にある橘鉄道の工場前駅でも、季節によっては濃厚な蜜柑の匂いが漂ってきます。
常世川/とこよがわ
町の南端を流れる小さな川です。昔は笹船流しや人形流しをこの川で行っていましたが、今では神明社の夏祭りの花火の会場となっています。
常世屋敷/とこよやしき
江戸時代に蜜柑の専売を一手に引き受け、巨万の富を築いた常世但馬家(上田道間家から鎌倉時代に分かれた家)の屋敷です。山林や軽工業を主体に財産を蓄積し、戦後には財団の形を取ったために、現在でも莫大な資産を目減りさせずに維持しています。日本では珍しいアールデコの旧館があるそうですが、内部は一般公開されていません。
からたち台(枳殻台)/からたちだい
町からやや離れた場所にある新しい住宅地です。道も家の敷地も広々としていますが、他の地方から来た住民が多いため、幾分排他的な古い集落の住民からはあまり歓迎されていません。
遠州橘駅/えんしゅうたちばなえき
町の南外れ、常世川を渡った先にある駅で、橘鉄道の本社と電車の車庫があります。昼間の半分の電車はここが終点ですが、市街地を微妙に外れた場所で、川と丘に挟まれているせいか、駅で乗り降りする人はあまり見られません。
JA橘/じぇいえーたちばな
橘の農協です(今でも最寄バス停は「橘農協」)。柑橘類に偏りがちな農業生産を他の産物にも向けようとしていますが、そのせいで街の観光課とは冷戦状態が続いています――というのは少々大袈裟ですが。
橘町立博物館/たちばなちょうりつはくぶつかん
橘町の博物館で、歴史関係と柑橘類関係に見所が集中しています。脇には教育委員会も同居しています。
#周辺
遠州の平野部で町を離れても、“のどかな”田園風景を見る事はまずできません。田野のそこかしこには工場が並んでおり、人家も散在しているからです。橘町でもその例に洩れませんが、それでも郡境近くの山や高台の周辺には、雑木林が大きく広がっています。金柑(きんかん)、甘夏(あまなつ)、文旦(ぶんたん)、橙(だいだい)、九年母(くねんぼ)、邪払(じゃばら)、県犬養(あがたいぬかい)、美千代(みちよ)、諸兄(もろえ)、楢丸(ならまる)、嘉智子(かちこ)、葡萄成(ぶどうなり)、大塔(おおとう)、吸食(すいくわせ)、川淵(かわぶち)といった集落が点在していますが、大半は(名前を除くと)ごく普通の集落です。鉄道の近くなら最寄り駅を使えますし、そうでなければ橘鉄道のバスが1時間に1〜2本ほど通っています。
喫茶店「檸檬亭」/きっさてん「れもんてい」
北の郡境近くについ最近開店した、紅茶専門の喫茶店です。マスターはいつも朗らかで温厚そうに見えますが、紅茶を語り出すと止まらなくなります。
マンダリン家電/―かでん
畑の真っ只中にある、広い駐車場を備えた家電製品の大型店舗です。バス停からはやや不便なので、日曜には町まで送迎バスを出しています。
ポンカンホーム/―
畑の(中略)大工道具や農具の大型店舗です。もちろん、苗木や種は柑橘類が充実しています。
町民病院/ちょうみんびょういん
新しい建物と設備がある、ごく普通の公立病院です。大した特色はありませんが、柑橘系のアロマテラピーを試みている部局もあるようです。隣には消防署もあり、救急車の出動に便利です(おい)。
八朔山/はっさくやま
町の南西方向にある山で、麓と山頂には神社があり、山腹には蜜柑畑や夏蜜柑畑や(中略)が広がっています。橘鉄道の終点である八朔山駅から麓までは、一本道ですが1kmほど離れています。戦国時代には山城があったそうですが、専門家が見ないと何が何だか分かりません。
但馬神社/たじまじんじゃ
八朔山にある、但馬郡全体の鎮守で、麓の本殿は祭の度に賑わいます。山頂の奥宮は普段は静かですが、元日の朝だけは初日の出を見ようと人が殺到します。中腹までは蜜柑畑の間を農道が縫っていますが、駐車場などは特にないので、自分の脚に頼って登山するしかありません。主な祭神は、田道間氏の祖神である天日槍(あめのひぼこ)です。
但馬屋敷/たじまやしき
但馬神社の神主であり、橘の領主でもあった、但馬子爵家の屋敷です。史料館を兼ねた古い屋敷は一般公開されており、ほとんど柑橘類ばかりの庭園が(町内では)有名です。今の家族は、裏手に新しい屋敷を建てて暮らしています。
檀林高校/だんりんこうこう
嘉智子にある橘町唯一の私立高校で、経営母体は常世但馬家の財団です。レベルは橘高校とあまり変わりませんが、幼稚園や小学校や中学校も併設されています。やや離れた所をバス路線が通っており、登下校の時間には校門前までバスが来ます。
奈良麻呂塚/ならまろづか
楢丸にある飛鳥時代の小さな古墳で、遠州では珍しい末期古墳でも最末期に築かれたものです。地元では(時代は明らかに相違しますが)橘奈良麻呂の首塚と伝承され、祟りを恐れて詳しい調査はされていません。
逸勢山/はやなりやま
東側の郡境にある、はっきりした山頂もないのっぺりした山です。伊豆に流される途中で橘逸勢がここを通ったと伝えられますが、あくまでも伝承でしかありません。
スーパーマーマレード/―
九年母の外れ、邪払との境界近くにあるスーパーです。つい数年前までは古色蒼然とした客の入りの少ない店舗でしたが、最近になって向きをバス停側に変えた新しい店舗と広い駐車場が完成しました。
酢橘/すだち
室町時代や江戸時代にはしばしば「巣立」「月出里(すだち)」と書かれた、南東部にある集落です。鎌倉初期に下田道間家が拠点を置き、戦国時代には橘を上回る賑わいを見せていたそうです。田島家(下田道間家)本家が滅びてからは衰えましたが、今でも但馬神社に参拝しない慣習を持つ町内唯一の集落です。
耽羅寺/たんらじ
酢橘にある曹洞宗の寺院です。元寇の際に出陣した下田道間家の当主により敵味方、特に捕らわれ斬首された高麗人の菩提を弔うために建立されたと伝えられます。近隣にある数軒の家は、先祖の所縁により申し出て助命された耽羅(済州島。田道間守が橘を取って来たという所)の人々が寺に仕えたのが始まりだと伝えられます。元は臨済宗でしたが、檀那であった田島家が滅亡したために教勢は振るわず、江戸時代の初期に改宗しています。後にも明治初期に一時は廃寺同然になったり、戦争中に静岡を空襲した帰りの爆撃機が余った爆弾を投下したり、かなり散々な目に遭わされています。そのせいで長い歴史にもかかわらず、明治以前の文化財は本尊と宗良親王着用と伝える当世具足(南北朝時代にそんな物はありません)、そして武田信玄による安堵の偽文書のみです。
「嗚呼忠臣楠子之墓」模刻碑/「ああちゅうしんなんしのはか」もこくひ
神戸の湊川にある同名の碑を、明治後期に縮小模刻したものです。酢橘村は昭和40年代に橘町に吸収されるまで対抗心が旺盛で(橘町はほとんど無視)、耽羅寺に伝わる正平6年(1351)年号の古文書を根拠として下田道間家に南朝の忠臣ありと豪語したのですが、実際には上下問わず南北朝時代は一貫して北朝の与党であり、単に正平の一統の期間内は北朝方も南朝の年号を使っていたというだけでした(笑)。恥ずかしいのか戦後にはいつの間にか引き倒されて、昭和60年(1985)頃に発見されるまで半ば忘れられたままでした。なお、当の古文書は昭和初期に盗難に遭い、行方不明のままです。
道の駅「常世の実の里・橘」/みちのえき「とこよのみのさとたちばな」
酢橘集落外れの牧之原インターへ抜ける県道沿いにある道の駅で、町の名産品を主に扱っています。町から来たバスのほとんどはここが終点で、越境するバスは2〜3時間に1本くらいしかありません。
柚餅子/ゆべし
南へ南へと進んだ突き当りの集落で、南側に大きな岩山があるため道路は行き止まりになっています。立ち寄り入浴施設と温泉宿もありますが、町があまり積極的な宣伝をしていないため、ほとんど町民の専用施設と化しています。もちろん、入浴施設の名物は柚子湯です。
デコポン山/―やま
柚餅子の南にそびえる岩山です。古墳時代の遺跡が出土した事があるのですが、郡境の向こうなので町には直接関係しません(笑)。焼き物に適した土が少量採れるため、陶芸家が何人か橘町の側に住み着いています。
柑子山/こうじやま
町の最北端にある山ですが、名前に反して茶畑ばかりです。
橘柑橘類・猛禽類パーク/たちばなかんきつるい・もうきんるい―
近年開業した、柑橘類の温室と猛禽類を中心にした動植物園です。ちなみに、温室にはもっと他の鳥も棲んでいます。
平身農園/ひらみのうえん
沖縄出身の経営者が、シークヮーサー、ウガニー、たんかん、カーブチー、オートー等の、沖縄産を中心とした柑橘類を育てている農園です。