◇牙人族の奇習◇
フォーウッドは草食獣の獣人のせいか、不安には割と敏感である。生来臆病な者の多い種族なので、幽霊の正体見たり枯れ尾花といった事も多いのだが。
(……枯れ尾花って何だっけ? まあ枯れ尾花がどんな花でも今は関係ないけど)
その中でも不安に殊の外敏感な自分だが、今が夢だと分かっているのに得体の知れない不安を覚えるほど疲れる事は無い。かつて長い旅をした際に経験を積んでいるので、在りもしない不安ではないという事だけは確信できる。
(……もしそんなボクだったら、野宿でカレンさんやティナさんが感心するほどぐーすか寝てなんかいられなかったし……)
現実に不安の原因があれば分かる事で不安は消えるのだが、絶対に解明できない不安は消える予兆すら存在しない。
(ホント……一体何だろ? いや、ホントは何でもないんだろうけど……)
もがいて不安を忘れようとしても、ねっとりまとわり付く蜘蛛の糸のように離そうとしない。その上思考の堂々巡りに陥って、余計に眠りを浅くする。
(これは夢……夢だってば……)
迫り来る圧迫感と共に、獣の熱い吐息が膚を撫で……、
(お姉ちゃんってば! もう朝だよ!)
(……セロ?)
呼び声に引きずられ、ピンクの耳のフォーウッドは目を見開いた。呼んでいたのは自分とよく似た、水色耳のフォーウッド。
「お姉ちゃん! キャラットお姉ちゃん!」
「セロ……」
汗にまみれて、悪夢の世界から現実に戻る。自分が何の夢を見ていたのかは覚えてはいないが、どうせ覚えていても楽しくないので記憶のゴミ箱に放り込んでおく。
「んーっと、おはよう。今日もいい天気かな?」
「あ……うん。もうお日様も出てるよ」
「よーっし。今日も元気にジョギングするぞっと♪」
そうしてキャラットが、撥ね上がるようにベッドの上から身を起こすと――
――「こつん」というか「ごつん」というか、その中間くらいの衝撃で一気に眠気が覚めた。
「あたっ!」
「いきなり痛〜っ! ようさん寝る割に起き上がりざまにおでこぶつけるなんて不注意至極やでぇ。上も気にせんと起きよるなんて信じられんわ……」
妙に陽気な語り口に額の痛みを我慢して青い瞳を見開くと、赤い髪と尖った耳が視界に入った。
「よっ。おはよーさん♪」
「えーと……」
自分の上に牙人族の少女が跨っている事に気付いたその瞬間、キャラット・シールズは驚愕に絶叫した。
音の無い叫びが、空間を揺らしたその十数秒後。
「だぎゃああああああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっっっっ!!!!!!!!」
ベッドから放り出されて共同住宅の床を跳ねながら、蹴り飛ばされた相手は器用に体勢を立て直して元凶であるキャラットに向き直って睨む。小柄だが発育の良い四肢で俊敏に立ち上がり、だん! と木の床を踏み締めて指を突き付けた。
「な、何しよるねん! 不意に突き飛ばしよってからに!」
「やだああああ〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!! アルザさんが朝からボクを襲う〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!!」
「襲わへん!」
「ボクはこのままセロの前でアルザさんの食事にされて、フォーウッドと鴨のクランベリーソース和えなんかにされるんだぁ〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!!」
「えー加減にせい錯乱すなっ!」
大根の砕ける鈍い音と共にキャラットは後頭部を殴られ、ピンクのうさぎの耳が山と積まれた衣装の中に埋もれて沈黙した。
ぜえはあと肩で息をつく牙人族の少女に、沈黙しているキャラットより更に一回り小柄なセロが水を差し出す。
「……すいません、アルザお姉ちゃん」
「今のキャラットはちぃと暴走気味やで。近頃ストレス溜まっとるんと違うか?」
セロと話しながら水を飲み干し、砕けた大根を手元の側からかじり出すアルザ。牙人族は肉の方が好きなはずだが、菜食主義のフォーウッドが相手では贅沢は言えない。
「フォーウッドはうちらと違うて繊細やさかい、慣れん町暮らしで気が伏せっとたら遠慮せんで言うてみ。……な?」
牙人族特有の好奇心溢れる、その上に無邪気な青い瞳に凝視され、内気なはずのセロもおずおずと口を開いた。
「うん。……やっぱりお野菜が違うんだよね。それと水だって味が物足りないし」
「せやせや。んで?」
「んー、そもそも自分で種まいたりするとこから始められないのが大きな問題かなぁ?」
「はぁはぁ」
そして。
「この間も食欲が無いって夕御飯抜かしたし、お散歩してても最近はすぐに飽きちゃうし……」
「……………………」
「そうそう、この前なんかキャラットお姉ちゃんってばお花を仕入れに行った所であんな事も」
「…………あー、もうええもうええよう分かった」
見掛けに反したキャラットさながらのお喋りに、さしものアルザもうんざりして天井を見上げる。
(そういや、セロもキャラットの親戚や。お喋りは多分遺伝やなぁ)
「そーいう投げやりな言い方しないで。セロが可哀想じゃない」
復活して聞き耳を文字通りぴんと立てていたキャラットが、ちょっぴりアルザに釘を刺す。
「ああ、悪い悪い。そこでうちにええ話があるんけど?」
「どんなの?」
大根で殴り倒された事は既に忘れたのか、興味津々で耳を、やっぱり文字通り傾ける。その耳にそっとアルザは手を当てながら、囁くように耳打ちをした。
「うちの村に来ぉへん?」
「やだそんな……ボク、アルザさんにまだプロポーズもされていないのに……」
何気なくアルザの言った言葉に、キャラットはもじもじしながら上目遣い。
「……そないな意味と違ああああ〜うっ!!」
「あはっ。冗談に決まってるでしょアルザさん?」
キャラットは両手の指を一本ずつ立てて、これで引き分けとばかりに「一対一」のポーズを作ってみせた。
「……………………で」
星だけが瞬く暗闇の中、キャラットは夜風に吹かれながら世の中の無情を噛み締めていた。
「この状況は一体、どういう事なんだろ?」
「う〜〜〜〜ん……」
キャラットとセロは縄で櫓の上の丸太にがんじがらめに縛り付けられ、その下では自分達二人が優に入りそうな冗談のような大鍋の中で赤い液体が煮えたぎっている。耐えがたい熱さではないが、湿気が耳や手足の毛に絡まって気持ちは芳しくない。
確かに牙人族の村に着いてからアルザの祖父にお世話になり、ニンジンを山ほど食べてから眠くなったのだが……。
「まさか……眠り薬?」
「……でも、変な匂いは特になかったよ?」
あれだけ食べればお腹も一杯で眠くはなるだろう。ましてや二人は育ち盛りとくれば。
「まあそれはともかく…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「…………どうしたの、キャラットお姉ちゃん?」
あまりにも異様極まる状況の中で硬直するキャラットの様子に、更に小さくなるセロの声。
「鍋の中で煮えてる液体、何だか変じゃない?」
「確かに赤いよね」
「そうじゃなくて、匂いだってば匂い」
「……確かに。街で嗅ぎ慣れたのが……」
「……ボクも。でも何だろ?」
菜食主義、しかもほとんど味も付けずに食事をするフォーウッドの二人には、あいにくピンと来なかった。
そして夜空の下で見詰め合う、キャラットとセロ。
状況さえ異なればそれなりに感動的なのだが、全身を縛られた状況ではそれどころではない。
何が感動的なのかはさて置いて。
それからどれほど経ったのか。星空の下で飽きるほど沈黙した二人を取り囲むように、闇の中に炎が次々と上がる。
浮き上がる人影は、全員先の尖った耳を持っていた。細かい所までは分からないが、概ね屈強な体躯を夜風に晒しているのは何とか見える。
炎に照らされ赤い髪を更に赤くする群集の中から、やがて一人の小柄な女性が抜け出して大釜の側の台に登った。「小柄な」といってもキャラットよりは大きい。
「……アルザ……お姉ちゃん?」
「そうだね……でも何でボク達にこーいう事を?」
不可解な思いを味わうフォーウッド二人に構わず、アルザは台の上でくるりと向き直って片手を大きく振り上げる。反対側の手は大きなじょうごのような物を持ち、牙人族の群集へと向けていた。
『今年も皆さん、『ブラックホール』決定大食い大会によう来てくれたわ!』
「……ぶらっくほーる?」
歓声を上げる群集とは裏腹に、意味不明の単語を前にキャラットは戸惑う。
『『ブラックホール』とはな、うちが知り合うた異世界の兄ちゃんがよう言っとったモンや。物をようけ吸い込んで吐き出さへん代物っつーとったけど、詳しい意味は全然知らへん』
内容の無さにも関わらず、闇を包んで再び上がる歓声。牙人族は演説の内容よりも、ノリを重要視するらしい。
『そこでうちのじいちゃんに『ほなら食い過ぎたらホワイトホールか』と言うたらさすがやな。『その通りや。わしに似ん賢い孫よのう』と即座に返してきはって頭撫でてもろうたわ』
脱線している上に下品なギャグだが、それでも更に歓声が上がる。
「あのー、アルザさん?」
『でなー……』
聞いていない。
「だからアルザさんっ!!!!」
『何や?』
「……とりあえず、拡声器は口から離して」
とりあえず、言われた通り素直に拡声器を口から離すアルザ。
「確かにそうやな。んでどないした?」
「……ものすごっっく言いたい事は山積みだけど、それはとりあえず言わないでおくよ」
額に青筋を立てて険しい表情を浮かべるキャラットだが、アルザは平然と剣呑な視線を受け流して雲散霧消させる。
「お褒めに預かり感謝するわ」
「あー……」
「あはは。誉めても何も出ぇへんで」
「だーかーらー!」
「トイレか? もうちょい我慢せぇ」
「そーじゃなくて!」
ひたすらすれ違う会話に、思わずキャラットも神経を切らした。
「ボク達の下にあるこの大鍋! こんな所に置いてあるのはどーいう意味なのっ!?」
「『大食い大会』てゆーとるやん。ずっと前からしつこくしつこく」
あまりにも馬鹿げた、しかし牙人族的感覚ではあまりにも当然な言葉。しかしそれを聞かされ、キャラットの中で一つの答が湧き上がる。
「まさか……この匂い……」
「香辛料や。肉の匂いを消さないかんさかい。フォーウッドの味はよぉ分からんで兎を参考にしといたけど、結構ブイヨンとコンソメがえー味出しとるやろ?」
「……………………」
一瞬の空白。
そしてそこから二人のフォーウッドが復帰する瞬間、再び拡声器に口を当てたアルザが高らかに宣言する。
『ほないきなりで済まんが、大食い大会を始めよるでスタンバイしといてや〜!』
その言葉と共に、ざわめいていた牙人族達が静かになってアルザとキャラット達を凝視した。
『今年の優勝者の副賞は……フォーウッド一年分や!』
わあああああっ!!
闇に蠢く牙人族達の瞳が、一様にぎらりとこちらを向いて底光りする。
そこに込められた意思を一文字で表現するならば――、
『喰』。
純粋な生存本能の鼓動と共に、飢えた野獣達は欲望の駆り立てるまま見渡す限りに並ぶ様々な料理に飛び付いた。怒号と喧騒に包まれて、牙人族の村は悪鬼羅刹の跳梁する修羅界へと変貌する。
闇の中で荒れ狂う食物と半獣人の大渦の中心で、アルザにも取り残されて丸太に縛られたままのうさ耳二人は、何も出来ずにただひたすらに呆然としかする術を持たなかった。
既に乱闘騒ぎに発展している牙人族の群れを遠目に見ながら、フォーウッドの二人は激しい非現実感に囚われて唖然としながら小声を交わす。
「一年分とゆー事は……一人で六ヶ月?」
「うーん、セロが五ヶ月でお姉ちゃんが七ヶ月くらいじゃないかな……」
「……もし優勝したのが二人だったら、ボク達の取り合いで血を見そうだね」
「うん……」
「……それにしても、この状況で一体誰が判定するんだろ?」
「さあ……」
そんな事を考えている間に、とっとと逃げろあんた達。
結局勝負は付かず、「『ブラックホール』決定大食い大会」は幕を閉じた。副賞も逃げ出していたので、どうせ優勝者が決まっていても更なる血を見た事は間違いないのだが。
それから半月が経過して、怪我人達も本調子に戻り――牙人族は回復力も高い――近辺の村は全ていつもの生活に戻っていた。しかし壊された家はすぐには直らないため、牙人族以外の視点では不幸にも会場になったアルザ達の村は再建中の家がそこかしこに並んでいたが。
なお牙人族にとって、大食い大会に好きな物を出せるのは家を破壊されてもなお有り余る喜びである。やはり牙人族の考える事は、人間にもフォーウッドにも妖精にも魔族にもいまいち分からない。
そしてそんな村の中。例に漏れず建て直されて白木の香りも新鮮な家の中で。
「じいちゃん、これはうち宛か?」
「その通りや。キャラットさんからアルザにお手紙やと」
枯れてもなお筋骨隆々、牙人族らしい屈強の肉体に衰えを見せない白髪の老人が、可愛い孫娘に封筒を手渡す。
それからしばらく封筒を透かしたりひっくり返したり――早い話が何をしていたのかしばし忘れてから、アルザは鉤爪を立ててびりびりと封筒を破いた。
「……およ?」
封筒のついでに便箋まで破いてしまったが、アルザは気にせず取り出した便箋を両手でくっ付けて読んでみた。
「えっと……」
『アルザさん、この前はおじいさんに挨拶もせずに帰ってしまってごめんなさい。
(でも勝手に大食い大会の副賞にするのは今度からやめてね。お願いだよ?)
で、お詫びと言っては何ですが、今度ボク達の村でもお祭りがあります。
冒険の途中でボク達が寄った所だから(若葉みたいな方向音痴じゃなければ)すぐ分かると思うけど、一応場所はライパンとフーの間あたり。地図も同封しといたよ。
野菜も果物もおいしい物がいっぱい取れ頃だから、アルザさんも来てね〜。
キャラット・シールズ』
「喜んでくれたみたいやな。よかったよかった」
アルザは笑みを浮かべながら、破れたままの手紙をぞんざいに折り畳む。どこをどう取ればそう解釈できるのかはなはだ謎だが。
「でもええな……食いもん……」
手紙を抱えたままアルザは恍惚とした表情を浮かべ、しばらくして大きな溜め息をついた。
「はぁ……」
そしてアルザは、決意を胸に大声を上げる。
「悪いじいちゃん! また出掛けるで留守番しといてな!」
そして喜び勇んで手製の鞄にあれこれと詰め込み、どたばたと家の中を駆け回る。
その頃キャラットとセロが『村の収穫祭で畑に立てた棒に磔にされて叫び続け、意識を失うまでに時間が掛かるほど豊作になる』役目の牙人族のために準備をしていた事を、幸いにもアルザはまだ知らなかった。
―以下、「フォーウッドの奇習」に続く―
〈後書き〉
くたぽでぃさんから頂いたアーキス姉妹の画像のお礼にと執筆しました、この上もなくおバカな展開の短編です(汗)。
かつてのくたさんのエタメロページ「まぼろしのニンジン畑」ではトップページのイラスト原案の募集を行っており、私もいくつか案を採用して頂いた事がありました。その中にこれの元ネタとなった「牙人族の大食い大会の副賞になるキャラット&セロ」があったという訳です。ちなみに続編(?)としてキャラット&セロの逆襲編「フォーウッドの奇習」や、花祭り(仏生会)で楊雲と若葉に甘茶を浴びせられる「影の民の奇習」も存在しました。
そんな事を思い出しながら、久し振りに執筆したショートストーリー。気楽に読んでもらえれば作者としても幸いです。
なお当然ながら、「フォーウッドの奇習」は執筆したりしませんのでぬか喜びはしないで下さい(待て)。