柔らかな陽射しの差し込む部屋。
木の床に伸びる、窓枠の影。テーブルの一輪挿しの花は今朝朝露の消えないうちに摘んだものだ。
そして花の側の、切り分けられ皿に盛られたオレンジシフォンケーキには、生クリームとミントの葉とオレンジの果肉の薄切りが少し添えられている。
「あの……」
消え入りそうな女の子の声が、控えめに問う。
「お味のほう、どうですか?」
心配そうに見やるティナの視線の先では、弥次郎がケーキをひとくち口に入れて噛み下している。
もごもごとしばらく口が動いたのち、弥次郎はにっこりとティナに微笑んだ。
「うん、美味しい」
「よかった!」
ティナが、ほっと息をついて、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。その姿は元気そうだ。ソウルの辺りであったことなど、ふとすればなかったことのように思えるほどに、穏やかで。
だが二人の間の距離が縮まったように思える、ふとした瞬間が、「あのこと」を確かなものとして意識させる。
甘さちょっと控え目にしたんです、と、ティナは言った。
「お口にあってよかった。この前は少し焦げちゃった感じだったけど、今回は焼き加減も大丈夫だったし、ちゃんと膨らみましたし……」
「それもあるけど、ティナが俺のために作ってくれて、ティナと一緒に食べてるから美味しいんだろうなあ」
へらっといかにも幸せそうに笑う弥次郎に、ティナは顔をほのかに赤くしてはにかんだ笑みを見せる。
いかにも幸せな恋人同士だ。
――だがこの後。幸せとは、いつか必ず終わるものであることを、彼は身をもって思い知らされる。
さっきでいう「この後」とは、すでに、もう、今。
「弥次郎さん、紅茶もいかがですか?」
「ああ、いただこうかな」
「どうぞさめないうちに……」
『弥次郎!』
綺麗にハモった声が、怒鳴る勢いでドアを空けるやたらに大きな音と重なって部屋に響いた。
のほほんらぶらぶな空気が、一瞬にして見事なまでに壊れる。
部屋に飛び込んで来たカイルとレミットの二人に、のほほんらぶらぶな雰囲気に浸っていた弥次郎とティナは硬直した。
硬直している二人には構わず、二人は初めに互いに気付いた。
「かっ、カイル! なんでここにいんのよっ!」
「貴様こそ!……はっ!ええい、ガキんちょ! 貴様俺を出し抜こうという魂胆だな!」
「あ、あんたこそっ! まさか、あたしを出し抜こうって……だ、出し抜く!? 出し抜く出し抜けば出し抜こう……って、あたしを出し抜……あんた、まさかッ!」
「そうはさせんぞ! そうやすやすと魔宝は渡さん!」
「お、脅かさないでよ、ばかーっ!……ちょっと待ちなさいよ! まさか魔宝を盾にあいつをッ……駄目駄目駄目駄目ええーっ! 絶対駄目! それだったら、あたしがいっそッ!」
「やはりお前も魔宝を狙っているのか!」
二人とも相手の言うことなんぞ、一部分を除いてほとんど聞いてはいないが、それでも会話はそれなりに成り立つものである。成り立っていないか。
とにかくわけのわからない会話である。
「おい、お前ら。とにかく落ち着いて」
弥次郎がようやく我に返って、がなりあう二人を止めようと立ち上がると、途端にカイルの二の腕を掴まれた。
「へっ?」
呆気にとられた顔の弥次郎を気にも止めず、カイルはレミットに怒鳴りつける。
「おいガキんちょ!そっち持てっ!」
「ガキんちょって誰のことよ誰のおっ!」
負けじと大声で怒鳴り返しながらも、カイルの指示通りにレミットは弥次郎の体を持ち上げた。年齢のことを思えば、かなりすさまじい力である。
二人掛かりで体を宙に浮かされて、弥次郎は、ばたばたともがいた。
「は、離っ……うわあああっっ!」
「や……弥次郎さあああああんっっっ」
連れてこられたのは、近所の喫茶店だった。
押さえ付けられるようにして座らされたのは、喫茶店のテーブルの一つに備え付けられている三つの椅子のうちの一つ。あとの二つにはカイルとレミットがそれぞれ座っていて、弥次郎を気迫のこもった眼で見ている。
喫茶店のそのテーブルの周囲にだけ、緊迫感のような一種異様な雰囲気があった。ウェイトレスも水を置いたきり、注文を取りにさえ近付こうとしない。
また、側の客がひとり席を立った。
彼等の側の席はガラガラで空きまくっている。
「……で、何の用」
話を切り出したのは弥次郎だった。
声が、人当たりの悪くない彼にしてはかなり苛立ったようで――らぶらぶな時間を思い切りぶち壊されたのだから当たり前だ――ぶっきらぼうだ。
「大体、なんで俺がお前らとデート」
言った瞬間、ちょっと違うという考えが浮かんだが、勢いを止めることは出来ずにそのまま怒鳴る――正式に言えば、デートではなく拉致。
「しなきゃならないんだ!?」
「弥次郎!」
「はっ、はいっ」
ハモりつつ二人同時に名を呼ばれて、弥次郎は思わず身をすくめて反射的に返事をする。まだ怯むというほどではない。驚いてはいるが。
だが。
「好きな物は好きな物は好きな物はっ!?」
「貴様の嫌いなものを言えっ!」
テーブルに身を乗り出され一気にまくし立てられた時は、完璧に怯んで椅子ごと後退りかけた。
「な、何」
と驚いて怯みつつも弥次郎が問い返すと、
「いいから言ってよっ! 好きな食べ物は好きな飲み物は手作りは好きっ!?」
「嫌いなものを言えと言ってるのだ! 何が嫌いだ何がのけぞるほどに嫌いだっ!?」
息を吐く間もない勢いで、更にまくし立てられる。しかもこれが同時に、なので、聞き分けようと思ってもなかなか聞き分けられず、弥次郎は頭がクラクラしてきた。
いい加減弥次郎が疲れ果てたころ、ようやくカイルとレミットは喫茶店から出た。
それでもまだ二人は言い争いを続けている。弥次郎はその後をぽてぽてと力なくついてゆきながら――言い争っている間に逃げればよいと思うのだが――、うんざりと思った。
(ほんっと、元気な奴ら……)
「はあい弥次郎クン」
ぽん、と弥次郎の肩に後ろから手が置かれる。
振り返るとそこには両手いっぱいの荷物を抱えたカレンがにこにこと微笑んでいた。
二人のライバルにうんざりとしていた弥次郎は、見知った顔を見てほっと息をつく。
買い物が終わったところなのだろう、さすがにこれだけの荷物をすでに持っているのだから。……また値切ったのだろう、ということがまず最初にそれを見た弥次郎の頭に浮かぶあたり、カレンの普段の行動がうかがえるというものである。
カレンは、にこおっと微笑んだ。
「あらー、弥次郎クン。後ろの二人とでえと? 両手に花じゃない」
「……てゆーか、捕らわれた宇宙人」
ぼそっと言い返して、弥次郎は力ない様子で肩を落としている。脳裏に、自分が両腕をカイルとレミットに片方ずつ持たれている光景を思い浮かべながら。
「ふふんお安くないわねえ? ティナちゃんはどうしたのよ??」
「えっ。か、カレン、別に俺はそんなんじゃ……」
『ティナ?』
今までカレンを振り返りもせず言い争い続けていたカイルとレミットが、一斉にこちらを振り返った。
(どおしてこういう単語だけ聞き取るんだよーっ!!)
「そうか、あの女を捕らえれば弥次郎の弱点に……!」
「あの女さえいなけりゃ、あいつはッ、あたしのッ……!」
――この後、厄日というのは、一時ではなく今日一日続くのであるということを、弥次郎は身をもって思い知らされる。
さっきで言う「この後」とは、すでに、もう、今であって……。
ティナの用意した紅茶は結局、冷めた。
さめなかったのは、ふたりの……お医者様でも草津の湯でもなおせないという、アレだ。
「弥次郎さん……」
それから。
弥次郎をライバル視する、二人の連中の気持ちも。
「弥次郎、いつか俺の前にひざまずかせてやる!」
「ばかーっ!」
後書き
どうも、SAYA17です。
何の因果か大橋賢一氏の妹に生まれ、同じようにインターネットをはじめ、私の方が先とはいえ同じようにHPを立ち上げ、HPタイトルを兄にパクら……いえいえ、そこまで同じようなものになり、このように兄のHPに昔昔キャラットと同じ年くらいだったあるころに書きかけた未完成エタメロのギャグ話なんぞを「載せていい?」と頼まれ、兄のノートパソコンを死ぬほど使いにくい×2と愚痴りながら完成させたのがこのss公開の経緯です。
正直、自分でもこんな話をかいたのをあまり覚えておらず(笑)、お蔵入り確実でした。
とりあえず、この話は兄が覚えていてここに掲載してくれたことを感謝していることでしょう。
謝謝。
s-ohashi@lares.dti.ne.jp悠久和音