◇希望の朝◇
目に痛いほどの曙光の白が藍色の夜を上書きして空を瑠璃色に染めている、ある爽快な朝。
今現在、この状況を打開する術は存在しなかった。
私はルシードセンパイに押し倒されて、私室のベッドの上で異性の温もりを感じている。部屋の鍵は掛かっていないのに、センパイはそんな重要な事すら気にしていないらしい。
理性はこんな早急な展開は望んでいなかったのに、深夜に翻弄されて精根尽き果てた私には、先程述べた通り、この状況を打開する術を持っていない。……呪文ならあるが、休日の朝から精神力を切らせて丸一日ベッドを人肌に温めるような展開は寂しすぎる。
――でも、このまま身を委ねてしまうよりは……。
「……フローネ」
いつにも増して静かな、それでいて怒りをこらえるセンパイの声。それを聞く度に私は、背筋が恐怖でなく歓喜に震えるのを感じる。
「セ、センパイ」
「往生際が悪いぞお前。そろそろ観念したらどーだ?」
センパイが身体を荒々しく私の所にねじ込んだ瞬間、太腿の内側に鋭い痛みが走る。
「んあっ!」
なすすべもなく身体が揺らぎ、受身も取れずに倒れた私。体力不足を悔やむ間も無く、センパイは私を強く抱擁する。
腰砕けになって逃げられないまま、私の所に侵入してきたセンパイの身体を前に、私は熱く火照る身体を庇う余裕もなく、ただただ身を委ねているだけだった。
「だから深夜にあれだけ翻弄されるなって言ったじゃねぇか。おまけにあんな事までしやがって」
「わ、私、そんなつもりじゃ……っ!」
「だったらどーいうつもりだこの我儘娘。――お前も言ってやれ、ティセ」
「はいですぅ♪」
全身を汗に濡らした私は、甘い喘ぎを洩らしながら、センパイをお父さんのように慕っているヘザーの女の子に詰め寄られ、悲しくも厳しい視線の前に、次第に衣服を剥がれて裸にされていくような感じを受けていた。
「ゆ……許してティセちゃん……」
「ダメですよぉ。ご主人さまにひどい事をしたですから、お仕置きはきちんと受けるべきですぅ」
……ティセちゃん、意外と胸おっきいんだ。
などと余計な事を考えていた隙を狙うように、ティセちゃんの柔らかい舌が、私の痛んだ部分を優しくくすぐった。私ははしたない想いをこらえながら、覆い被さってもぞもぞ動くティセちゃんの、エルフより厚い尖った耳を涙目で見据え、上ずった声で拒絶しようとするけど、残酷なまでに優しいティセちゃんは、責めを解こうとは全くしてくれない。
「あんまり悪い子にしていると、ご主人さまはティセが取っちゃいますよ?」
「いや……私っ」
「聞いたですよ。フローネさん、ルーティさんに愛のコクハクをして迫ったんですよね?」
なじるようなティセちゃんの口調に、私は背徳の想いを追感して背筋をぞくりと震わせた。
「だ、だってあの時は寝ぼけてたから、ルーティちゃんが可愛くて可愛くてつい……」
「こーいう場合ゼファーなら、『ルシード一筋と思いきや、意外と酷薄だったな』とか言うんじゃねぇのか?」
「それはコクハク違い……っ!」
内股に食い込むセンパイの感触に、私は羞恥心交じりの快楽を抑えきれず、甘い吐息を微かに洩らす。
「あっ…………あん……♪」
「――いきなり怪しげな声を上げるんじゃねぇっ!!」
「ぐへっっ!!」
俺から遠慮なしの物理的ツッコミを受けたフローネは、清楚な外見に全く似合わない、圧死したヒドラの断末魔さながらの悲鳴を上げて、ベッドに頭から突っ込んだ。まるっきり受身の基本もできてないあたり、身体トレーニングを追加するべきだと感じるのは、きっと俺だけじゃないだろう。
「…………フローネ」
「センパイ……?」
悲しげな色を瞳に浮かべ(具体的に何色かは聞くな。あくまでも単なるイメージだ)、「むー」とふくれるのを我慢していると思しきフローネ。明らかにこいつ、未成年のくせに状況に陶酔してやがる。
もちろん俺はフローネの抗議を受け流す決意を固めて、誤解の余地のない距離から説教してやる事にした。
「もう少しだったのに……じらすなんてヒドいです……」
ああもう。こいつの妄想癖を免れる距離はねぇらしい。
……という訳で、話題を最初に引き戻してやる。
「そもそもお前、何でバーベル上げの最中に俺を無視してテレビにへばり付いていたんだ? おかげで体力育成のコツを虚空に向かって教え込んでいたところを、ビセットとルーティに見られて散々ネタにされたんだぞ?」
「だってSCCBで、この前バーシアさんがスプリンクラーを誤作動させてテレビを壊したから見られなかった『ピースクラフト傑作シリーズ〜新釈・恐怖の蹴鞠歌〜』を再放送していたんですよ」
相変わらず何を見ているんだお前。テレビ化したのが再放送されるほど人気あるのかあのおっさん。それと「新釈」って元はいつ頃できた話なんだ。あとツッコミ所は1つに絞ってくれ頼むから。
「ビデオにでも録画しろ! そもそもお前、いくらうちの部局が住み込み式でも、サボりは保安局員として問題あるだろ!」
「時間外勤務手当も年次休暇も出ない保安部局なんて、連邦全土でも多分ココくらいです! そもそも人気取りに減税ばかりして市民サービスを極限まで削るよーな前々世紀的夜警国家を支持する評議会は、何で連邦政府に放置されているんですか!」
「20歳以上の成人住民に聞け! 俺が知るか!」
「君主と軍人以外の公務員の選挙権は、連邦基本法の第何条かで保障されています! それに連邦議会の投票権は、20歳以上じゃなくて18歳以上ですよ?」
「……俺の戸籍登録は実家に置いたままなんだよ。それに保証された選挙権は連邦に対するものだけで、構成国の制度はその限りじゃねぇだろ」
「あうぅ〜〜。ティセに分からない話で盛り上がらないで下さいぃ〜……」
何故コイツの部屋で法律論議をやらなきゃいけないのか俺にも分からなかったが、いい加減空しいものを感じてくるのは、この場では俺しかいないらしい。フローネは熱中すると周りが見えなくなるし、ティセは思考形態が違いすぎて最初から対話になりゃしねえ。
それにしてもやるなフローネ。ゼファーとメルフィ以外でこんな話をできるのは、ブルーフェザーだとお前くらいだ――って、可否が3対4じゃ希少性はねぇだろ自分。
「と・に・か・く! いくら苦手でも訓練の間は集中しておけ! それとビデオの時間録画は忘れるな!」
「でも、ゼファーさんやビセットくんも……」
「ゼファーは暇人だし、ビセットはお前(の見た目)に弱いから気にするな」
と言った途端、なぜかフローネは目を潤ませて、ぎゅっと俺に抱き付いて貧弱な胸を押し付けてきた。世間にはこーいうのが好きな奴も結構いるとローワンから聞いた事があるが、俺は断じてそっちには入らない。かといって大きければいいわけでもないし、どっちかというとバランスの問題だろう。特にフローネは胸以外も貧弱だから、もうちょっと食べて肉付きを良くするべきだと思うが、妹ほどじゃなくても身体が弱いなら――って、くっ付いたままじゃねぇかフローネは。
「センパイ……」
「ご主人さま〜……」
相変わらずフローネの言いたい事はよく分からんが、さらに分かっていない事確実のティセが寂しそうに擦り寄ってきた。フローネは背中にティセの胸が当たった瞬間、ちらりと自分の胸元を見ていたが、何を感じていたかは誤解の余地もないだろう。
……ちなみにこーいう事が分かるのは、怪我したり疲れて倒れたりしている2人を、しょっちゅうおぶったり何なりしているからだ。フローネ級の変な誤解はするなよ。
「でもご主人さまも、フローネさんのお部屋の扉を無理矢理開けて、その勢いで引きずり倒しちゃったのはすごく乱暴ですよぉ」
「その程度で筋肉痛になるなんて、普段鍛えてねぇ証拠だ。それにティセ、お前こそ他人の痛がっている所を舐めるのはいーかげんよしとけ」
痛い所を突かれた俺は、ぺしぺしとティセの、髪だけじゃなくて脳までピンクじゃないかと疑いたくなる頭をはたいてやる。……メルフィには乱暴だとか言われるけど、照れ隠しでおやじを連撃するおふくろに比べればマトモだと思うんだが。
「センパイの不潔」
で、そこで何故やましい裏読みをするのかこいつをじっくり問い詰めたいが、タロットカードで言うなら「節制」の逆位置――「非常識」を意味する――としか言いようがないだけはある。ちなみにこれはルーティの受け売りだが、次の日ルーティが一日中部屋から出てこなかったのは何故かは永遠に知りたくない。
まあともあれ、何もせずに放っておくと妄想を膨らませるだけだし、ちょっとくらい言い返しておいてやろう。
「ティセに舐められたくらいで悶えるお前の方が、よっぽど淫乱っぽいだろーが」
「い、い……っ!? ――って、そもそもあの舌使い、無意識にできるような代物とは思えません!」
そこまで断定できるお前はどーなんだ、とも突っ込めず、俺はそのまま視線を泳がせた。当のティセは気にもせずにぼーっとしてやがるし、他の奴がこの場に来たとしても、状況の悪化を助長するだけだろう。
……いい加減悲しくなってきた俺だったが、そのうちまともな後輩が入ってくるのを夢見ておきたい。特に戦闘もこなせて、こいつみたいに結界役専門になったりしない奴を。
「だいたいセンパイは、拾ってから2年近くは経っているのに、いつまでティセちゃんに『ご主人さま』なんて呼ばせて悦に入っているんですか!」
「悦に入ってたまるか! そもそもあいつはまだ16歳だぞ!」
「ティセは17歳ですぅ!」
背後で抗議する某ヘザーを無視して、俺はフローネに掴みかか……るとまた変な誤解をしやがるからやめておいた。だからといって妄想が止まるわけもなく、頭に血が上ったフローネは、顔を真っ赤にして叫び続ける。
「『まだ』という事は、もう2〜3年すれば手を付けるんですね? ムラサキソウの姫君の話でお馴染みですよ?」
「現実と小説を混同するな! 後ろで何だか怪しげなポーズを取って喜んでいるティセじゃあるまいし!」
具体的なポーズの仔細は省略するが、とりあえずこの時、ティセの体がすごく柔らかいと判明した事だけは言っておこう。
「……う。でもセンパイだって、凶悪事件が起きる度に小説のせいにするじゃないですか!」
俺の実家で祀っている神々に懸けて誓うが、そんな事をした覚えは一度もない。ただ、興味津々のフローネをちょっぴり揶揄した覚えがあるだけだ。
とはいえ思い込みの強いフローネは、俺に口を挟ませる暇も与えず言い放題しやがった。
「そんな事を言うセンパイも、さっき私の内股に……」
「内股とか言うな! あの位置はせいぜい太腿だろ!」
「…………」
そこでティセは何が分かった(いや、勘違いした)のか手をぽん、と打ち――、
「つまりご主人さまは、フローネさんに赤ちゃんを産ませたいんですね?」
「いくら私達が共働きでも、ティセちゃんに引き続いて二人目の子供までの生活費は出すの辛くないですか?」
「違あああうっっ!!」
そういう表現をすると、特にバーシアとかビセットとかルーティとかシェールとかは喜ぶに決まっているが、当事者としてそこまで人権を否定されてたまるかおい。
「ったく……。変な妄想する余地がないくらい、今からでも身体トレーニングをやっとくか?」
「身体トレーニング……」
「だからお前、どーしてそこで顔を赤くする!?」
恥も外聞もなく泣きたくなっていた俺は、感情を堪えるようにうつむいて、大きく肩を震わせて嗚咽を洩らした。
「感情を堪えるようにうつむいて、大きく肩を震わせて嗚咽を洩らして、笑う素振りを見せるのはやめて下さいセンパイっ!」
確かに動作は同じだがな、少しは状況を読んでくれっつーに!
「悲しくて泣きたいんだよ俺は――――ッッ!!!!」
非常識極まる虚弱なホラーマニアに対して、俺は魂の底から絶叫を放った。俺はそのまま仰向けにベッドに倒れて、号泣するために(中略)する。
「センパイっ、大丈夫ですか!?」
さすがにここまで来れば、ニブ過ぎるフローネも考え直したのか、俺に膝枕をさせて、子供にするみたいになでなでした。今度は俺が恥ずかしいが、払いのける精神的余裕もないし、そこまでするのも気の毒なので、あえてなでなでされておく。しかしこいつ、さっきまで声を上ずらせていたのは一体どこへ行ったんだ。
「誰が大丈夫じゃなくしたんだよ……」
「えへへ、ご主人さまもフローネさんもラブラブですぅ♪」
さらにティセも、バーシアかゼファーに何を吹き込まれたのか、無茶苦茶な事を言いやがる。『色眼鏡で見る』という言い回しがあるが、こいつの色眼鏡の色は髪と同じ濃いピンクに違いないだろう。そもそも俺としては背が小さかったり胸が小さかったりする女には保護欲しか感じないわけであって、せめてメルフィやリーゼさんやシェールくらいの胸なら――いや忘れてくれ。
ともあれ俺は、せめてまともな休日を過ごすために、上着を羽織って立ち上がった。勤務体制がいーかげんな部署のくせにちゃんと休日があるのが不思議だが、魔物も日曜が休日なのか、休日に事件が起こる事はまずない。
「…………ああ、おふくろの所に帰りてぇ」
「その時は、私も一緒に紹介して下さいね?」
――類は友を呼ぶ。
なぜかマスターしている暗殺術を、おやじにべたべたに甘えまくるのにしか使わないおふくろを思い出しながら、その言葉だけが俺の脳裏をよぎっていた。
〈後書き〉
よくあるパターンの、「危険そうだが実はそーでもない」という話です。前半から後半まで内容を引きずっているので、展開にあまりめりはりがないどころか、終盤では前半の雰囲気に復帰しかけていますが。
……ちなみに私、ほとんど「PB」をプレイしていません(汗)。
2006/5/3、大橋賢一(「悠久書店」店主)