☆ 此方と其方・3 ☆


此方と其方・2から

 
 更に季節は巡り、三年生になって(ついでに、こなたとそなたの従妹のゆたかと、みゆきの幼馴染のみなみが陵桜に入学して)しばらくした春の夜。
 泉姉妹は自転車に乗って、幸手の市街地から茨城県も間近な権現堂堤の近くにある家へと向かっていた。こなたは秋葉原にあるコスプレ喫茶のアルバイト、そなたは武術の道場からの帰りで。家の近くまでバスは走っているのだが、あまり本数は多くないし、定期券代も浮かせたいので、雨の日でもない限り二人は自転車を使っている。
 埼玉・群馬・栃木・茨城・千葉各県が境界を接する関東平野の中央部は、皿のように沈降した地盤の上に土砂が堆積しているため、河川の堤防と僅かな微高地以外はどこまでも真平らな土地である(「みなみちゃんの胸のように」と表現したこなたは、かがみとみゆきに空き教室に連れ込まれてしばらく帰ってこなかったが……)。運動が苦手なつかさでも、三十五分で鷲宮から権現堂まで自転車で行けるほど。かがみは二十五分で行けるが、大抵はつかさと一緒なので、この時間通りで行ける事は滅多にない。そなたは二十分で行けるが、こなたは幸手駅に駐輪して電車で鷲宮に行くのを好んでいるから(あと、近頃連れて行くゆたかは体力が乏しいから)、やはりこの時間に意味はない。
「ゆーちゃん帰ってるかなー。今日はみゆきさんがみなみちゃんと一緒に帰るから、ゆーちゃんもまっすぐ家に戻ってるだろうし」
「姉さん、自転車で走りながら腕時計見ないで。あと夕方のライト点灯は、ゆい姉さんにも注意されたから忘れないように」
 共に自転車を走らせる妹からの注意に、姉は「はいはい」と生返事をしながらハンドルを握り直して、右足で前照灯の発電機のスイッチを踏んだ。
(近頃のそなた、かがみに似てきたネ。いや、前から似てたけどより一層)
 昔はもう少し、姉だという理由だけでも、ちょうど今のゆたかのようにこなたを信頼していたはずだったのに、もっと信頼できる姉のような人達――かがみとみゆきを知ってから、まるで自分が、同じ姉妹でも、しっかり者の妹のかがみに対する、いい加減な姉のまつりのようにあしらわれる事も増えていた。
 でも。
 こなたとしては、学校の成績は良くなく、趣味は男性オタクそのもので、口は悪く、女友達にセクハラ紛いの行為ばかりで、軽蔑される理由は山ほどあるのに、ずっと慕ってくれたそなたに申し訳なさもあり、姉離れが嬉しいような寂しいような気もする。
(やっぱり、かがみよりもそなたの方がツンデレだよ。二人とも、そんなテンプレに収まるよーなキャラじゃないけどさ)
 おまけに、かがみも、近頃はこなたに対する容赦が無くなってきたから、ますますそなたに似てきている。いや……容赦が無いだけではなくて、前のかがみはつかさにだけ見せていた、二人の母のみきや、一番上の姉のいのりのような、母性と力強さに満ちた笑顔も、近頃のそなたから感じる事があるから、そなたの方でもかがみに似てきたのだろう。
(でも、私がかがみを好きになったのも)
 こなたは振り返らない。自転車を走らせながら振り返ると危ないし、振り返ると赤くなった顔をそなたに見られるし、それに、振り返らなくても、最愛の双子の妹はそこにいるから。
(そなたのおかげ……だよ)
「どしたの、姉さん?」
 無口になったままの姉に、妹は不審に感じたのだろうか、背後からそんなオーラが漂ってくる。気恥ずかしい思考を繰り広げていた自分にむず痒さを感じてしまい、とっさに話題を切り替えようと必死になった。
「え、えっと、ゆーちゃんがいると思うと、急いで帰らないでも、お父さんは寂しい思いをしなくて済むよね」
「……お父さんには『ゆーちゃんに変な事したら、即座にゆい姉さんに通報するからネ』とか言ってるのに、そういう時は信用してるんだ」
「いやー、ははは」
「褒めてないっ!」
 などといつもの会話をしながら、夜道に自転車を走らせる二人。
 前輪に連動して、前照灯の発電機が回る低い音。
 水が張られたばかりの田圃の、賑やかな蛙の鳴き声。
 二人の自転車を、たまに追い抜き、すれ違う、大小様々な自動車。
 空に輝く星々。
 中天に浮かぶ、中途半端に丸くなりかけている、月齢九か十くらいの月。
 以下略。
 略すな。

 
 それから何分経っただろうか。権現堂の熊野神社前のバス停の辺りで、川を渡って茨城県の五霞へ向かう県道を外れて、姉妹は左手にある道へと入った。
 自転車に乗る時、こなたはいつも、そなたの前を走る。そなたと生き写しの小柄な体躯で、身体に比べて大きめの自転車を思い切り漕いで。
 姉の姿を見て、そなたは思う。
 駅のホームでも端の側に回り、歩道では車道側に回り、そんな細かい所まで姉らしいのに、何で普段はああなんだろう。つかさに対するかがみにも、みなみに対するみゆきにも全く似ていない。似ているのは多分、みゆきに対するゆかりか(母親だが)、かがみとつかさに対するまつりか(まつりは二人の姉である前に、更に上の姉のいのりの妹だが)。
 子供っぽさ満開で、かえって自分がフォローしないといけないような、どーしようもなくぐーたらな、全く同じ姿の双子の姉。
 ほら、今も。
「姉さん、そんな前傾姿勢だとスカートの中が見えるよ」
「見たいの? まあそなたなら、かがみんと一緒でサービスしてもいいけど」
(一卵性の双子の姉のスカートの中が、双子の妹に対してサービスになるかっ!)
 心の声で、かがみのように突っ込みを入れるそなた。いくら双子でも心の声では通じるわけもなく――いや、かがみとつかさなら通じそうだとこなたもそなたも常々思っているが――、場をわきまえない恥ずかしい姉は、更に恥ずかしい事を堂々と、自転車に乗りながら叫ぶ。
「小さな頃からお互いの裸を見てきた仲だから、その程度はサービスにならないかー。それならいっその事、かがみとつかさみたいにお互いの温もりと感触を味わいながら眠ってみる?」
「ちょっ!?」

 
 夜――寝巻姿で、「そ、その、今夜は一緒に寝たいんだけど」と言う、いつもとは全く異なるしおらしい姿を見せるこなた。
 姉が物心付いた時からずっと胸に抱いていた想いを知った自分は、同じ姿の姉を受け入れて唇を重ね、お互いの長い髪を、引き締まった身体を、重ね合わせる。成長と共に離れてしまった、二人の全てを溶け込ませるように。
 甘い声。
 溢れる滴。
 喘ぎで発散される熱。
 擦れ合う胸の薄い膨らみ。
 熱い吐息がお互いの頬を撫でて――その刹那。
 身体を震わせて、姉は妹へ、妹は姉へ、愛の叫びを。

 
(――って、今の妄想は何さ。姉さんがやってるエロゲーじゃあるまいしっ)
 そんな鮮明な妄想を繰り広げてしまい、そなたはさっきのこなたより顔を赤らめてしまった。動悸も高まり、身体の奥まで熱い。
(〜〜〜〜っ!!)
 悪いんだ。姉さんが。
 いつもいつも、お父さんに染められたせいで、同性をおじさんのような(時々小さな男の子のような)目でしか見られなくて、かがみさんにもみーさんにも、近頃はつーちゃんにまでいやらしい事を考えて。ゆーちゃんやみなみちゃんと同じクラスの田村さんは漫画を描くのに妄想をつぎ込めるけど、姉さんにはそんな創造性もないし。その荷物だって、アルバイト――しかも男の人が大勢来るようなお店で――のお給料をどれだけつぎ込んで、全部が全部そうだとは言わないけど、私達の年齢では(いや、十八歳になっても高校生では)買えないような、どんないやらしい物を買ってるのさ。
 ……なんて言っても、姉さんは聞くわけはない。だから、せめて――これだけは言っておく!
「あまりしつこいと、かがみさんに嫌われるよ? かがみさんは姉さんには勿体無いほどの、凛々しくて可愛い美人なんだから」
「そなたこそ、つかさを怖がらせないよーにネ。目元の険を取ると、リアルの男子にももっともてるのになー。例えばウチの副委員長とか、微オタで中性的なのはかがみと一緒だし」
「リアルとか言うなっ」
 前を走る姉が腹立たしいあまり、妄想の時とは別方向で興奮して叫んでしまうそなた。みさおが「柊もちびちゃんも結構ヒスチックだよなー」と暴言を吐いた時も、かがみは落ち込むだけだったが、そなたは関節を極めてしまい、泡を吹いたみさおを自分とかがみとあやのの三人がかりで介抱する羽目になったのは、嫌な意味で記憶に新しい。あくまでも相手を怒らせるこなたやみさおが悪いのであって、自分もかがみも悪くないと思うが、桜庭先生や黒井先生を始めとする先生達も……そう思っているからいいんだろう。時節柄、「新入りの教師に誤解されてもつまらんから、気持ちは分かり過ぎるがしばらく我慢しておけ」と桜庭先生は言っていたけど。
 と、そこで、そなたはもう一人の親友の寂しげな姿(イメージ画像)が頭に浮かぶ。
「……またみーさんを忘れてたネ。あやのさんとみさおを忘れるのは毎度の事だけどさ、あの二人は姉さんやみーさんどころか、同じ鷲宮の町内のつーちゃんともあんまり付き合いないし」
「優しいなぁそなたは。姉好みのツンデレに育ってくれてホントに嬉しいよ〜♪」
「みーさんやかがみさんやつーちゃんにはツンじゃないし、姉さんには絶対デレてないもんねっ!」
 そなたは頭に血が上って、恥ずかしさのあまり頭を背けながら、家の門前でこなたと揃って急ブレーキを掛けた。

 
 泉家は、こなたとそなた、そして二人の親がいる……だけでなく、今年の春からゆたかが同居している。父のただお、母のみき、上の姉達のいのりとまつりがいる柊家には負けるが、一人っ子で父親が滅多に家庭団欒に加わらない高良家に比べれば賑やかだった。そのおかげでこなたも、少しは姉としていい所を見せようと張り切り、どこまで気力が持つか見ものであるというのが、近頃ますます上の姉のいのりに似てきたかがみの意見。
「ただいまー」
「ただいまー」
 泉姉妹が声を揃えると、奥の部屋から姉妹にそっくりな女性が顔を出す。姉妹より色白で、目元もこなたの悪戯っぽさやそなたの生真面目さとは違って優しい感じの人。
「お帰りなさい、こなた、そなた」
 泉かなた。こなたとそなた姉妹の母親で、外見は柊家や高良家や岩崎家の母のように若々しい(というか幼い)。元から身体が弱かったが、双子を産んでから激しく衰弱して、今も寝たり起きたりの生活をしている。そのためにこなたは小さな頃から家事をして、お母さんの負担を少しでも減らそうとしていた。
 ……実は、何でも姉以上にそつなくこなすそなただが、家事の才能はやけに低い。そなたが微妙に双子の姉に頭が上がらないのも、それが大きな要因だった。
「今日はさ、世界史の授業中にそなたが珍しく居眠りをして、黒井先生が私と間違えて拳骨喰らわせようとしたら、とっさに回避されて机の角を殴って大騒ぎだったよー」
「まあ、そなたったら」
 黒井ななこ先生。こなた達のクラスの担任で、こなたと(そして、そなた達の担任である桜庭ひかる先生とも)正反対の、長身で胸も大きな人。普段は鷹揚な性格だが、こなたの居眠りには厳しく、同じ体罰でもつかさやみゆきにはデコピンで済ませるところを、こなたには容赦なく拳骨でどつく。
「てゆーのも、昨夜は私とぶっ続けで朝までネトゲしててね。私はログインまで寝てたのに先生はお風呂出てからずっとだったから、随分と寝ぼけてたって、桜庭先生が話してたよ」
「あらあら。黒井先生、神奈川県から通勤されてるのに?」
「先生は『似とるのが悪いんや!』とか叫んでたそーだけど、いやぁ、あのかがみまで笑いをこらえるとは素敵な光景だっただろーなー」
「でも、そなたは何で居眠りしちゃったの?」
「それがさ、お母さん、そなたはまた日下部さんと体育の時間に――」
 同じ背丈の母親と向かい合いながら楽しげな話をするこなたの姿に、そなたは一抹の寂しさを感じながらも、満ち足りたものを感じていた。
 小学の時も、中学の時も、高校に入ったばかりの頃まで、こなたは学校では無口で、周りに人を寄せ付けない性格だった。陰口を叩いたり嫌がらせをしようとする連中はことごとくそなたが始末していたから、こなたに近付こうとするのは、将来の夢は魔法使いだと断言するような物怖じしない子くらいだった。
 が。
 今のこなたは、聡明さと主導力を兼ね備えたかがみや、幅広く他者を受け入れ目配りも利くあやのほどとは行かないが、高嶺の花に見られやすいみゆきや、端的にとっつきにくそうに見られるみなみに比べれば、男女問わず広めの付き合いを持っている。特にクラスの副委員長の男の子とは話す機会も多いようで、そなたとしては仲の進展をちょっと期待しているのだが、その兆候は片鱗すら見られないのはどちらのせいだろうか。
(明るくなったよね、姉さん。かがみさんもみーさんもだけど、特につーちゃんのおかげだよ。姉さんの性格を変えたのは、つーちゃんがきっかけだったから)
 あの頃の姉にも物怖じしないつかさがいなければ、姉は、目上や同格の相手には人を見る目が厳しいかがみや、知識が豊富過ぎて同級生との接点が乏しかったみゆきとも、付き合えなかったか、付き合うにしても今ほど深い関係にはなれなかっただろう。
 それはもちろん自分にも言える事で――、

 
 こなたと仲睦まじく話しながら階段を登り――かなたが最後の段で足を上げる。
 その高さは、二階の床面より三センチメートルほど低く、爪先が段差部分に触れた。

 
(ちょ、ちょっとお母さん!? 階段はもう一段あるのに足が上がってないヨ!)
 一瞬パニックに陥りそうになるそなただったが、道場で鍛えた身体は考える前に動き出していた。
 しかし、今日の鍛錬の疲労が微妙に動きを鈍らせ――、
「あっ、お母さん?」
 かなたが倒れそうになるところを、こなたが脇を抱えて支える。体格はほぼ同じでも、付いている筋肉が明らかに逞しい長女は、か細さを感じる母を、お姫様に寄り添う王子様のように――あるいは、ゆたかに寄り添うみなみのように受け止めていた。
 やや遅れて、そなたもこなたの反対側に入り、二人で両側から母親に寄り添った。そなたはかなたのあまり強くない温もりを感じながら、その微かな温もりを逃すまいと強く抱き締める。こなたは妹のために身体を少し母から離して、「かがみがつかさを見る時はこんな気分なんだろうな」と考えていた。
「もー、お母さん。またお庭の野菜を面倒見てたわけ?」
「ええ。せっかく晴れたから植え替えを。せっかくゆきちゃんの子もいるんだし、今年はちょっと多めに作ろうと思ってたんだけど」
「ゆーちゃんはゆい姉さんより少食だよ。それに……お母さんが死んじゃやだもん」
 そなたの涙目に……かなたは無言で小さな娘達を、薄い胸元に抱き寄せていた。
 額を突き合わせて、かなたが安らぎ、そなたが頬を赤らめるのを見ながら、こなたは調子を取り戻してにまにまと笑う。
「意図的に泣かせるアニメやゲームはあざとくて好きじゃないけど、そなたが言うなら何だって萌えるからね」
「萌え尽きろ馬鹿姉」
 吐き捨てるように言い捨てるそなたのすげない態度に、こなたがするのは毎度の泣き真似。かがみやみゆきに背丈の違いの特権を行使する時のようにはいかないものの、立ったままでは間近で顔を眺められる相手がほとんどいないこなたにとって、そなたはある意味心のオアシスだった。
「あああああ。ツン状態のかがみの男口調が私の可愛いそなたにいいいい」
「ねーさんこそ、つーちゃんのお気楽さに染まってるヨ」
 果てしなくわざとらしくいじける姉を、呆れながら適当っぽく慰める妹。頭を撫でる動きはぐしゃぐしゃと投げやりっぽいが、心を込めて掌を密着させている。
 そして二人の背後には、姉妹を一つにまとめるように寄り添う母が。
(こなた……そなた……)
 かなたは少し涙ぐんでいた。あまりにも幸せで。
 背丈が自分に似てしまい、性格も微妙に夫に似てしまった娘達。
 でも体質は幸いにも自分に似る事はなく、今も青春を謳歌している。まるで夫や、その妹の若かりし頃のように。
 そして、軽口を叩き合っても二人で仲睦まじく……。
(ああっ、妹の顔を押さえ込んで口を近付けて何するのこなた!? そなたもお返しにお姉さんの敏感な所を触らないでーっ!?)

 
此方と其方・4へ続く


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