此方と其方・7から

 
「それでは――峰岸さんの『階段の怪談』に続いて、もう一つ、『かいだんの怪談』の話を致しましょう」
 真夏の深夜。
 東京の郊外にある、みなみの家――岩崎家。その広い居間に集まった大勢の前で、すぐ向かいの高良家に住むみゆきは、家から持ち込んだ間接照明器具(母のゆかりが「何となく買ったの〜」)を顔の下から当てて、よく通る声の調子を沈ませて、怪談らしい雰囲気を盛り上げている。
 その周りには。
 興味津々のこなた。フィクションだと割り切っているかがみとそなた。恐怖より好奇心が先に立って面白がっているようなパティ。
 普通に怖がっているあやの。錯乱しかけてあやのに手を握られているみさお。表情が硬く凍り付いているみなみ。みなみに膝枕されながら、疲れが出てくったりした様子のひより。ついでに、ひよりの隣でお揃いのポーズを取って寝そべる白い大型犬のチェリー。犬の毛皮と体温が、ひよりを余計に暑苦しくしているのは、妹分のみなみを横取りするひよりに対するやきもちか、それとも今夜は邪念を抱いていないひよりを歓迎しているのか。
「うううう。こ、怖くなんかないよ、ゆたかちゃんっ」
「はううう。わ、私もです先輩っ」
 そして、つかさとゆたかは、みんなが繰り出した数々の怖い話に怯えきって、お互いの手を硬く握り合っていた。一応二人も怪談を既に話しているのだが、つかさのあるあるネタはいまいち怖くなく、ゆたかも中学の友達から又聞きの恋愛修羅場ネタでは微笑ましさが先走り、怖さが零どころか負の数値だった。
「戒壇とは、僧侶が受戒するための施設で、日本では大和の東大寺、筑前の観世音寺、下野の薬師寺にあり、平安時代に近江の比叡山延暦寺に追加されました」
「いきなり歴史の勉強かよ眼鏡ちゃん。しかも『かいだん』がまた違うし」
「……高校レベルだとそんなの出ないっスよ日下部先輩」
「まあまあ。どうか最後までお聴き下さいね」
 照明効果に不似合いな柔らかい笑顔をみさおとひよりに見せたみゆきは、観世音寺が今は戒壇院と別の寺院になっているとか、下野薬師寺が今は存在しないとか、延暦寺の戒壇は当時の唐や宋では正式な戒壇と認められていなかったとか、受戒するのは『官僧』と呼ばれる、国家のための祈祷を行う代わりに保護を受ける僧侶だけで、古代に公式な受戒を経ずに修行していた『私度僧』や、中世に官僧の地位を捨てて布教や葬儀などを行った、もしくは最初から官僧にならずにいた『遁世僧』は、基本的に国家の戒壇には関係していないとか、蘊蓄の数々を呑み込みながら、「おほん」と咳払いして話を続ける。
「近江国――今の滋賀県にある三井寺、正式名称『園城寺』に、頼豪阿闍梨という僧侶がおられました。この方は修法に優れて――」
「しゅほう?」
「密教のお祈りやおまじないですね。『すほう』『ずほう』とも言います。『加持祈祷』と言えば、かがみさんでなくともお分かり頂けるでしょうか」
「まあそんな感じよ、つかさ。進めて、みゆき」
 聞き慣れない言葉に戸惑いながらも、双子の姉が納得するので分かったような気分になっているつかさ。そちらに向けてみゆきは微笑み、照明効果のせいでつかさは余計に怯えてしまう。手を強く握り締められて余計に不安になったゆたかが、もう片方の手でかがみの手まで握り締めるのを、かがみは優しく握り返して、つかさを慈しむのと同じ目で見詰めていた。ひよりを膝枕させたままのみなみが、感情の見えにくい瞳にその光景を映すのにも気付かずに。
「…………」
「――白河天皇の皇子誕生の祈願を行い、無事に皇子が生まれました。頼豪は恩賞に三井寺の戒壇創設を願いますが、三井寺と仲の悪い比叡山が反対したため、要求は握り潰されてしまいます」
「……歌舞伎の鳴神上人は、お寺を建ててもらえないから竜神を封印して、旱魃で人々を苦しめた揚句、美女の色仕掛けでたぶらかされるっスけど、こちらは確かもっと怖い展開っスよね?」
 実は話のネタを知っていたのか、あまり怖がらずに口を挟むひより。途中で口を挟まれても、本筋と関係があるなら怒りはしない(というかむしろ嬉しい)みゆきは、「ええ」と頷き、その顔に当たる光の加減がより恐ろしく、つかさとゆたかのお互いの密着度が増した。つかさのなさそうで意外とある胸の感触(とはいってもひよりと同じ程度)に、ゆたかは複雑な感情を抱いてしまうが、おかげで少しだけ恐怖心が和らいでくれる。つかさにとっても、ゆたかの小さな温もりが、「お姉ちゃん」として頑張ろうという気持ちを支えてくれた。
 ――が、それも長くは続かない。
「断食を続け、それでも白河天皇と比叡山に対する怨みと憎しみがつのる頼豪。比叡山の千日回峰行で九日間の断食を行うのは、十日間の断食で死に至った実例があったからだという説もあるのですが、八日目の夜を迎えた頼豪は――」
「……半端ねーぜ眼鏡ちゃん……あやのがラスボスで柊がラスボスならいわば隠しボス……」
「みさちゃん、しっかりして。それにラスボス多過ぎ」
 頼豪が餓死に至る過程を、医学の知識を活用して微に入り細に入り説明されて、すっかり青ざめたみさおは、もはや「ヴぁ」と言う元気もなく、生気を失いかけた目にはあやのも映らない。
 当然、そなたに「丸太のような感性してるんだから」と呆れられた事のあるみさおより感性に優れて、しかも怖がりの二人はというと。
「うぅ……お姉ちゃぁん……」
「かがみ先輩……っ」
「つかさ、ゆたかちゃん、そ、そんなトコ、ダメっ、はぁあっ」
 手を握り合い仲良く震えるつかさとゆたかを見かねて、かがみは本能的な庇護欲に促されるまま、母が娘を抱き締めるように優しく胸元に受け入れた。双子の妹と後輩は、安心しようとかがみの手を強く握り返して、身体を姉に、先輩に触れさせて、心地良い肌触りを感じたかがみは、甘い声を上ずらせながら喘ぎを洩らす。
「着衣の乱れを陰翳礼讃的に照らし出す、控え目な間接照明がムードを」
「静かに聞いてろ姉さん。……あーもう、つーちゃんもゆーちゃんも暑いんだから離れなって」
 そなたに触れられたのを何と勘違いしたのか、「はうっ!?」「ひゃっ!?」などという声と共に身を跳ね上げて、片方の手だけは汗にしっとり濡れた肌がなまめかしいかがみとも握り合わせたまま、もう片方の手をぎゅーっと握り締めて、強く抱き合うつかさとゆたか。それでもこなたはかがみの大人びた姿を観賞し続けようとしたものの、「ちゃんと話に集中しろ」とばかりに双子の妹に頬をつかまれて、仕方なくみゆきに向き直った。
 それと、親友に浮気(?)されても反応しないみなみをいぶかしく思う、もう二人の親友。
「みなみ……ちゃん?」
「ミナミー?」
「……………………」
 ひよりとパティがそっと覗き込むと、みなみは気丈に姿勢を崩さないまま――表情を凍り付かせて気絶していた。
 そんな、恐怖に負けた幼馴染の様子には構わず、みゆきの「戒壇の怪談」は進行していく。
「頼豪の死体を食い破り、ごそ、ごそ……と、胸元から、背中から、ホオズキのように赤い目を爛々と照り輝かせたネズミ達の頭が、一つ、二つ、三つ、そして四つと現れ前脚を――」
「いやああああああっっ!!」
 つかさとゆたかが、声を揃えて絶叫して――、


☆ 此方と其方・8 ☆


 
「……なちゃん、……なちゃん」
「うにゅう……」
 ――うっすらと開いた目に差し込むのは、夏の朝に特有の、とっておきの青色を光に溶かしたような、そのまま天上まで突き抜けんばかりの爽快な光。
 青みを帯びた腰の強い髪を長くたなびかせた、この家の住人の小さな頃の寝巻を借りた小柄な少女が、呼び掛けに応えて、可愛い声を上げて身じろぎをする。ぽんやりお目々を薄く開くと、菫色がかったさらさらの髪を垂らして、色素のやや薄い瞳をぱっちりと見開いた女の子が、そこにはいた。
(そーいえば、姉さんやかがみさん達との海水浴の帰りにみなみちゃんちにお邪魔して、昨夜はみんなで怪談をして……締めのみーさんトコまでは覚えてるんだケド、いつものよーにかがみさんに欲情した姉さんをほっぺ引っ張って、その辺から意識が無いんだよネ)
 目の焦点に数秒遅れて意識の焦点も合ってきて、目の前の相手が双子揃った親友の片割れ、柊姉妹の妹の方、柊つかさだと気付く、双子の姉のこなたと後輩のひよりとの合同誕生日会を開いて、ケーキには三人分でローソクたっぷり(五十五本はさすがにやり過ぎた)だった、泉そなた十九歳。陵桜学園高等部を卒業してから、つかさの姉のかがみの大学と近い所にある大学に通っている。大学に通学する時間は時間割と自習の予定次第なので、こなたが想像を通り越して妄想するほど、そうそう同じ電車に乗り合わせる事もないが。
「……つー……ちゃん?」
「あ、そなちゃん、おはよー」
 果物のような淡い甘さの声と笑顔をした、いつものつかさ。昨夜の恐怖は寝逃げでリセットされた模様で、屈託のない姿を見せてくれている。姉のかがみの、チョコレートのようなめりはりのある甘さとビターテイストの声と笑顔と同じくらい、そなたも、こなたも、みゆきも大好きな姿。
 もちろんそなたは、そんな親友に向けて、たっぷりの愛情を込めて朝の挨拶をする。
「おはよ、つーちゃん。今日は早いネ」
「いつもはお姉ちゃんとそなちゃんが私とこなちゃんを起こすのに、今朝は逆だね……ふぁ〜あ」
 いきなり大きな欠伸を上げる、「Too Heart」の誰かや「非日常」の誰かっぽい、何かの耳かアンテナみたいなリボンの付いたカチューシャをしているつかさ。昔のお気に入りだったのが久し振りに見付かったのが嬉しくて、お泊まり用に持って来たのだとか。料理の専門学校に通っているのに、こんなにお寝坊さんでは魚市場の競りもパンの仕込みもできそうになくて、将来が心配だとそなたは思うが、親友なのでそこまで口には出さなかった(いや、さすがに「独立して店開きする」とか言われた時には、親友だからこそ指摘するが)。
「――って、もう姉さんも起きてるわけなんか」
「あるんだよネー。奇跡も魔法も♪」
 いつもの嫌になるほど聞き慣れた、双子の姉が相手をいじる時の、だらけた時の平野綾のような声。そなたは向き直る気もなく、そっぽを向いて布団に埋もれたまま、こなた曰く「広橋涼みたいな声」で、澄み切った朝が濁っていくような気分で突っ込む。
「チャットもネトゲーも深夜アニメもなければ、同じ体質なんだから早起きできて当たり前だっての」
「いや実は、深夜アニメには二十八時台のやつもあってさ、そーいうのはむしろ早朝アニメと呼ぶべきではないかと」
「四時台だよね……こなちゃん……」
 いつも一緒にボケているつかさにも、どこか呆れられたような声を出されている、認めたくないが一卵性双生児の双子の姉。色々と突っ込んでやりたいが、「何をドコに?」と問題発言をされそう……と思う辺り、みさおの「あやのは突っ込まれる方だよな」でエロい想像をしてしまったこなたの事は言えない。
 ともかく、今朝はいまいち元気の出ないそなたは、布団の中の柔らかい温もりに埋もれながら、こなたを上目遣いで睨む。睨まれたこなたは何を勘違いしたのか、ゆたかと目が合った時とあまり変わらない、幸せそうで恥ずかしそうなてれてれした顔をしていた。
「いつもそなた相手には姉の威厳が無かったけど、今日こそはおねーちゃんと呼んで甘えてくれてもいいんだからネ」
(昨夜のつーちゃんみたいに、自滅するのが関の山だヨ?)
 まだ頭のはっきりしないそなたは、それでもつかさを露骨に傷付けたくはなく、ふと思った事を口に出すのをためらう。代わりに昨日の海での事を思い出して、長い長い溜息を洩らした。
「その体力をビーチバレーでも使ってくれれば……。私達はゆーちゃん達と接戦だったのに、姉さん達はつーちゃんが気の毒になるほどボロ負けだったし」
「で、でもこなちゃんは、私も頑張れるようにボールを回してくれたんだし、そなちゃんの打ったボールを引き受ける代わりにお姉ちゃんの打ったボールを私にっ」
「わ――ッ!?」
 つかさにツンデレ(?)を暴露されて、頭から蒸気を出して真っ赤になる姉だが、昨日の自動車の運転と海での泳ぎとビーチバレーと、岩崎家で夕食をご馳走になった後の怪談大会の疲れが、さすがのそなたにも残っていて、いじり返す元気はまだない。
(疲れを癒しに行って疲れた……わけじゃない、と思う。癒えない疲れを癒えやすい疲れに変えてきたんだから)
「そこであやちゃんは、『……私、泉ちゃん達好きだなぁ〜』って……ま、まさか、こなちゃんは、お姉ちゃんみたいに優しいあやちゃんを?」
「『のそういう所』が抜けてるヨっ! 確かに私はかがみ趣味やつかさ趣味があるけど、あーや趣味まで無節操には持てないって!」
(……そして癒えながら疲れるわけだけど)
 姉と自分とひよりの誕生日の時、かがみがゆたかにこなたの事を「ゆたかちゃんも、あんなのがお姉ちゃんで毎日疲れるでしょ」と言って、かがみとつかさの誕生日の時、姉がいのりにつかさの事を「いのりさんも、あーいうのが妹で毎日疲れますよね」と言った気持ちも分かってしまう。
 高校を出て、遠くなってしまったかのように感じる、かがみ、つかさ、あやの、みさお、それにみゆき。かがみやつかさとは大学の行き帰りや休日の遊びで週に二回くらい、みゆきでも月に二回は直接会っているし、あやのもみさおもこなたと頻繁に会っている。元から居候のゆたかと、ホームステイを始めたパティは毎日顔を合わせているし、みなみとひよりも泉家でほぼ毎週のように会えるのだが、大人の桜庭先生や黒井先生とは、前に黒井先生が鷹宮神社にマリーンズV10祈願(「まずはV1からでは」と言うかがみに同感だし、埼玉県民として「ライオンズ頑張れ」と絵馬に書いたつかさにも同感だが)に来て以来ご無沙汰で、何でも姉によると、海に行くのに前回のように運転手をしたがっていたという。
(みんながかがみさんを頼っていても「柊は色々知ってて重宝するなー。黒井先生と争ってウチにせしめた甲斐があるぞ」とか言ってた桜庭先生とは違って、自分が頼られないと「自分ら、高良、高良って」なんてすぐにいじける黒井先生だから、また会ったらどれだけ愚痴られる事やら)
 機会があれば黒井先生を演武会か野球の試合にでも誘おうと思うそなたは、身体の下の温もりを抱き締める。今は夏だけど、朝は少し涼しいので人肌がまだ心地良く――、

 
(あ)
 微妙な違和感を覚えながらも、無意識に、胸の谷間に顔をうずめる。
 いつもの慣れ親しんだ感触より、少し、柔らかい。
 視界に入る長い髪は、色合いも手触りも、憧れの相手と合致しない。
(かが……あれ?)
「あ、そなちゃん――」
 つかさが何か言いかけたところで――そなたがかがみだと思っていた相手は、丁寧なような、おっかなびっくりのような、いつもより手慣れない動きでそなたの頭を撫でて、にこやかな声で目覚めの挨拶をする。

 
「おーはーよー、いーずみちゃん♪」
「ひぁああっ!?」
 そなたが見上げた先にあるのは、柊家の三女より色あせた、ぱさりとした硬い質の長い髪を散らした、心持ち胸が大きめの、峰岸家の次女。前髪から垣間見える薄い色の瞳は、柊家の双子とは微妙に違って、神秘的ではないけど親しみやすさを感じるというか……。
 そして、柊かがみと勘違いされながら身体を抱き枕代わりにされていた峰岸あやのは、高校時代の同級生の泉そなたを見詰めた。いつも通りの笑顔で、それがかえって、こなたやみさおならただ単に「怖い」で済ませるのだろうが、そなたにとっては色々と申し訳なさを駆り立てる。
「いつもの泉ちゃんは柊ちゃんの胸が大好きだけど、昨日の海で、柊ちゃんが私の胸を『ちょっと見ない間に、こう……』とか言ってたのを、確認したくなったのかな?」
「ごごごごごごめん、あやのさんっ!! かがみさんだと思って、半分寝ぼけてきちんと確かめなくてっ!!」
 顔を真っ赤にしながら真っ青にして、いわば真紫状態に陥るそなた。あやのは緊張をほぐすように、小さな元同級生のほっぺをくにくにと揉みながら、笑い出したくなるのをこらえる気分で、「ぽっぽぽぽぽ」となっているつかさもロックオンしてみる。
「柊ちゃんと泉ちゃんが相変わらず母娘なのはともかく、ひーちゃんもこの前、お昼寝しながら私に抱き付いて、『お姉ちゃーん』とか寝言してたけど」
「あやちゃあああんっ!? 違うの、違うの、あれはこなちゃんに――」
「いいのよ、ひーちゃん。私はお姉さんがいるから、ひーちゃんが泉ちゃん達にするみたいに、お姉さんになってみたかったんだもの」
 つかさまで揃って赤くなるのを見て、可愛らしさに心が和む。そなたの頭を、小さな頃の自分が姉にされていたように撫でながら、「これをみさきちのお兄さんは」「許せん、もっとやれ」とか呟きながら自分の身体――特に胸を眺めているこなたを、小学生の男の子が好奇心を抱いているような感じだと思うあやのだった。
「それにしてもいーちゃん、柊ちゃんは大好きなのに、私には甘えたりしないわよね」
 卒業の少し前に、かがみから「つかさを妹、妹と呼ばないで」と要求されて、あやのとみさおはつかさに対する呼び方を変えた。かがみに対する呼び方はそのままだったので、「何か違くね?」と思われたりもしたが、さすがに定着された呼び方は変えられないらしい。ついでにあやのは、「お姉さん」としか呼んでいなかったこなたの呼び方を変えてみた。とはいっても、名前ではなく名字をあだ名にしているのは、つかさが「柊」から取って「ひーちゃん」なのと同様。そちらを初めて聞いたこなたが複雑な表情をしていたから内緒で聞いてみると――、
『昔、私が思い付いたあだ名と同じなんだヨ。その時はいつもひーひー言ってるみたいだと感想が返って来たケド、すぐに私を家庭科準備室に連れ込んでひーひーと――ってかがみ!? かなり爛れてて背徳感が素敵な姉妹愛をNTRされたからってみゆきさんまであぎゃあああ!!』
 ――と、いつもの如く処刑されていたのも、こなたには悪いがいい思い出。こなたの方はさすがにそこまでは思い出さずに、いつものニヨニヨした顔と声で、あやのの周りで色々とアングルを変えながら、ベストポジションを探る。かがみならこの時点で張り倒す所だが(張り倒さないとそのうち襲われる。近頃は襲い返すつもりで泳がせておく事も多い)、迫られる心配のないあやのには、相変わらずの微笑ましさを見られていた。
「いくら成長してても、彼氏持ちだから手を出すのはみさきちのお兄さんに悪いからネ。かがみを紹介されて浮気しない人だから、男として十分信頼できるって分かってても」
「もうっ、いーちゃん! 私とお兄さんはいーちゃん達のお母さんとお父さんと同じで幼馴染なんだから、あんまり変な事は言わないで!」
「いや、あーや。ウチのお父さんはアレだから、そう言われると余計に変な事を――じゃなくてその前に、そなた」
 こなたは、いつも趣味にべったりなくせに、他人がノっているといきなり我に返る癖がある。鷹宮神社が舞台のモデルになった漫画で、かがみとつかさっぽい双子の女の子のプロフィールがガイドブックで紹介された時、「個人情報の漏洩よね」と言ったかがみに、「イタいよ? 特別住民票あるからって」と返したくらいに。
「何さ、ねーさん?」
「昨日さ、ゆい姉さんからメールが来てて。あ、いや、ここに着いたのを姉さんにメールで連絡してからだから、余計な心配とかは掛けてないから」
 そこで携帯電話を取り出して、表示していたメールの一覧を見せると、一昨日辺りで並んでいる名前は、「かがみ」「つかさ」「みゆきさん」「日下部さん」「峰岸さん」――、
「いーちゃん、アドレス登録は『峰岸さん』のままなのね」
「いやー、お恥ずかしながら機械に弱くて」
「本気で恥ずかしいヨねーさん。それより早く見せてよ、ゆい姉さんのメール」
 ――時間を下ると、そこには、「みなみちゃん」「ひよりん」「パティ」「そなた」「お父さん」「お母さん」「ゆき叔母さん」「ゆーちゃん」、そして「ゆい姉さん」。
 ここでこなたは、携帯電話の画面を自分に向けて、メールを開く。
「ちょっと遠出して夏祭りに行ったそーだから、随分とご機嫌だったみたいだヨ」
「一昨年に鷹宮神社のお祭に来ていた時は、勤務中なのに射的まで始めて、一緒に来てた警官に連行されてたケド、まさか今回は勤務中じゃないよネ?」
 本人が目の前にいないのに、疑いの目で携帯電話を睨む、ゆいの下の従妹。結論を知っている上の従妹は、昔は似合っていたのに今では全然似合わないポーカーフェイスで、「結果をご覧」という気取った演技で画面を見せる。
「どんな感じなのかな、小早川ちゃんのお姉さん?」
「元気かな成実さん〜」
 あやのとつかさも寄ってきて、メールを見ると――、

 
 こなた、そなた、柊さんちに貸してもらった車はどーだった?みなみちゃんと田村さんがいるからあんまり心配でもないけど、ゆたかはどーしてるかな?
 姉さんは今、近くの夏祭りに行ったら、黒井先生に会ってね。一緒に海に行きたかったみたいで、運転手させてくれなかった事を愚痴ってたよ。
 またどこか行く事あったら、黒井先生も誘ってあげてねー。私も誘ってくれると嬉しいなー(暴走には気を付けるよ、いやホント!)。
 じゃ、かがみちゃんやみなみちゃん達にもよろしくー。

 
「……だってさ。相変わらずだネ」
「やっぱり制服姿だヨ……久喜署や幸手署の管内だと有名だから、みんな生温かく見守ってるんだろーけどさ……」
 と、泉姉妹は呆れ。
「ダメだよ成実さんっ。よその人に見られたら警察クビにされちゃうっ」
「……さすがにお仕事は交代してからだと思うけど、始末書は書かされちゃいそうね」
 と、つかさとあやのは心配する。
 こなたの携帯電話に映る、泉姉妹の「姉」は、お面を頭に引っ掛け、顔は赤みが差して息はほんのりどころか露骨にアルコールを帯び、肩から提げているのはエアガン、腕に水風船を五つとヨーヨー二つばかりぶら下げ、手元には焼きそばと蛸焼きと牛串焼きとアメリカンドッグだけでは飽き足らず、行田名物フライとゼリーフライを山のように抱えているせいで夫以外に胸が目立たないコーディネート――いやその、ともかく、「妹」達としても、突っ込まない方向でお願いしたいだろう。少なくとも、こんな様子を夫のきよたかが見たら――いや、高校以来のゆいの奇行や乱行を鷹揚に受け止めてきたきよたかは、それでも愛情が冷めたりはしないと思うが。
 そんなゆいを眺めながら微妙に距離を置き、缶ビールを手にしているのは、やはり長身に、長い後ろ髪をまとめた、元はこなた達の担任で、今はゆたか達の担任の黒井ななこ先生。こなたとそなたの(自分達で選んだ)普段着のような男っぽい服装の趣味が、せっかくの恵まれた背丈とプロポーションを、少なくとも異性の目からは台無しにしている。
「あー……黒井先生も居合わせたんだ。ゆい姉さんから私達の事聞いてるだろうし、悪い事しちゃったかなぁ」
「この後ななこさんからもメール貰ってさ、ななこさんはゆーちゃん達のクラスの委員長、ええっと、若瀬さん達と楽しくしてたそーだヨ。ゆーちゃんの事は、『泉の妹みたく素直で』とか言ってるんだろうケド」
「大丈夫よ、いーちゃん。黒井先生は手の掛かる子が好きだもん。ひーちゃんも高良ちゃんも、柊ちゃんとか泉ちゃんとかに比べれば手が掛かるでしょ?」
「だねー。つかさはドジっ子だし、みゆきさんも知識があるのにどこかズレてるし」
「『こなちゃんのくせに〜』とか言っちゃうよ?」
 四人の談話の中、うち三人は色々と盛り上がっていた。その一方、我に返りやすいのは姉と共通なのか、どことなく覚めた、かがみが突っ込む時と同じ目の色でいるそなた。
「で、姉さん」
「なにー?」
 ついさっきとは逆に、妹が姉に問い掛ける。話に熱中して生返事を返すこなたに、そなたは指を突き付け――、
「このメール自体への返事はしてる? 柊さんちの自動車についてと、ゆーちゃんの具体的な様子」
「…………それは話も長くなるから、帰ってから、直接話した方がいいネ」
(つまり忘れてたんだ)
(忘れてたのね)
 つかさもあやのも、心の中でこっそり突っ込みを入れながら、何も言わずに気まずい感じで見詰め合う泉姉妹をよそに布団を畳みはじめた。

 
 それから、こなたとつかさは台所に行き、料理が苦手なそなたと、海へ持って行ったお弁当の重箱を昨日の夜に洗って片付けていたあやのは、寝巻を脱いで着替えてから、岩崎家の中をぶらぶらと歩く。
「今朝はひーちゃんといーちゃんが、夏向きの食べ物を作ってくれるそうよ。岩崎ちゃんのお母さんは、朝から高良ちゃんのお母さんとお出掛けですって」
「ふーん。お素麺かな? かがみさんとつーちゃんちで色の付いた麺が取り合いになるってやつ」
「お吸い物用の色とりどりのお素麺もお店で見た事あるから、ひーちゃんに教えてあげたいな」
「だネー。姉さんは趣味以外だとあまり変わった物買ってこないし。で、さっきお庭に出てったみさおは?」
「プールがあるから、ひと泳ぎして来るんですって。みさちゃん、体力あるからいいなぁ」
「夏休みの課題は全然やってないんだろーケド。きっと期末のレポートみたいに、姉さんにまで泣き付いてるヨ」
「あはは……。いーちゃんも、私や柊ちゃんの仲間入りね」
 そう言葉を交わし合いながらも、さっきのあやのの感触が忘れられず、涼しいのに暑さに浮かされたような、かがみに甘え過ぎた後のような火照りを帯びた、体格は小学生のような少女。
(あやのさんの方がムネが大きいかもしれないけど、かがみさんは身体が細い分めりはりがあるし、筋肉質でしっかりしてるし、姿勢が力強い感じだし、声もすごく……その、素敵だし)
 色々なかがみの姿を思い出して、息遣いの怪しいそなた。あやのはそんな、出会って三年と少しになる親友を、ちょっとだけ自分がかがみになったような気分で見詰めて、「やっぱり可愛いな、泉ちゃん」と思う。
「いーちゃんが柊ちゃんとひーちゃんと待ち合わせた時に、いーちゃんが帽子を被ってて、頭の上で跳ねてる毛が見えないから気付いてもらえなかったっていうんだけど、やっぱりいーちゃんとか泉ちゃんとかも、目の高さに近い胸で私達を見分けてるのかな?」
「……一概には否定できないケド、全体的な雰囲気も服の趣味も違うから。姉さんは時々私のふりをするけど、すぐに――つーちゃんにすら数秒でばれるし」
 身体付きの微妙な違いとか、姉は映画館の入館料を柊姉妹の妹だという事にしてごまかそうとしたせいで、かがみとつかさどころかいのりとまつりとみきにまで(「ズルはいけません」と怒ったかなたの承認のうえで)柊家の五女として愛玩されたとか、色々恥ずかしい事実は言わない。つかさ辺りが口を滑らせて、五女の件くらいは満面の笑みと怪しい息遣いと共に伝わっているかもしれないが。
 そんな憮然としたそなたに、あやのは普段の距離より少し近付いて、さっきよりも慣れた手付きで、太くてしっかりしたそなたの長い髪を撫でた。
「ごめんね、泉ちゃん。陵桜だと昼休みは大抵、そうね、二年の頃まで、泉ちゃん達はいーちゃん達が目当てで、そっちのクラスに行ってたから」
「みさおはともかく、あやのさんにすげなくするつもりは、かがみさんにも私にもなかったんだけど、いくらみーさんが保護者してても、つーちゃんも姉さんも色々心配で、その」
「二人でこっそり覗いては、いーちゃんやひーちゃんや高良ちゃんにみさちゃんがやきもち妬いてたし、そのうちみさちゃんと私、忍者みたいに背景に潜めるんじゃないかって思ってたのよ」
 あやのの冗談めかした言葉でそなたが想像するのは――、
 地中から飛び出すみさお。
 何もないはずの所から、光学迷彩を解除して姿を現すあやの。
 ――あんまりな、そして無茶苦茶な想像に、「いやいやまさか」とかぶりを振った。
「でさ、かがみさんは? つーちゃんは昨夜、ゆーちゃんと手を握り合いながら震えてたから、かがみさんも二人と一緒に寝てそうだけど」
「ひーちゃんとも小早川ちゃんとも一緒じゃなかったわ。昨夜は母娘みたいに仲が良かったのに」
「あやのさん、娘は母親の身体をまさぐったりはしないからさ。あれは絶対に姉さんの悪い影響――と言いきれない自分が悲しいし」
「ふふっ。ひーちゃんと泉ちゃんだって――」
 などと言葉を交わしていた間に、みなみの部屋の扉の前。その前に立っているゆたかは、そなた達がここの向かいの高良家に遊びに来るより頻繁に、この岩崎家に遊びに来ている。……こなたは、かがみをつかさ経由で遊びに誘っても断られる度に、かがみがもっと頻繁にみゆきと密会しているのではないかと疑ってもいるが、断られるのはこなたが遊びに誘う先が悪いからではないか(秋葉原とか秋葉原とか有明とか、たまに池袋とか)。
 で、ゆたかは、昨日は自動車の中でも岩崎家でもぐっすり寝たおかげで、今日の体調はいい模様。身体が弱いといっても、みなみ達という生活の張りができて以来は、朝の早起きには支障がない。その分張り切り過ぎて、体育の授業があった翌日に学校を休んでしまう事もあるけれど。
「あ、おはよう、そなたお姉ちゃん。おはようございます、峰岸先輩」
「おはよ、ゆーちゃん」
「おはよう、小早川ちゃん。岩崎ちゃんを起こしに来たの?」
 あやのが引き続きお姉さん気分で声を掛ける――が、ゆたかは一瞬口ごもる。
 思い当たる事があり、そなたは開きかけた扉に目を向けて――、
「みなみちゃん、寝相が姉さんみたく――」
「だらしなくないよー。でも……」
 ゆたかは「姉」に照れ笑いしてから、一転してもじもじして、扉を指差す。
「そ、その……中を見てもらえば分かる、かな?」

 
此方と其方・9へ続く


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