☆ 此方と其方・9 ☆


此方と其方・8から

 
「…………」
「……ね?」
 みなみの部屋では――みなみとかがみが、同じベッドの上で添い寝、いや、絡み合っていた。掛け布団が二人分出ているので、さすがに一晩中同衾していたわけではないようだが、みんな見慣れたかがみとつかさの同衾とは違い、みなみの容姿が大人っぽい分、微笑ましさより背徳感を強く感じざるを得ない。
「うぅ……」
「つっ、つかっ……んうぅっ」
 同性にとっても悩ましい声を立てながら、めりはりのある身体を、みなみの引き締まった身体に押し当てているかがみ。みなみをつかさと勘違いしているらしく、密着の度合いには全然遠慮がない。確かに背丈はそれほど差はなく(つかさがイメージほど小さくはなく、みなみがイメージほど大きくないから)、髪の長さも、すらりとした体形も、似ているといえば似ているのかも。
「うわ……柊ちゃん大胆」
「みなみちゃん……やっぱり、胸のある女の人の方が……」
 顔を赤くして息を飲むあやの。うなだれて(視界の端に自身の淡い膨らみを入れながら)涙目になってしまうゆたか。
 しかし、そなたは――顔はあやのより赤く、目尻ににじむ涙はゆたかより熱い。
(美人だよネ、みなみちゃん……。姉さんは「男の子みたい」ってからかうケド、かがみさんとは、つーちゃんと逆の立場で恋人同士みたいで……そう、みなみちゃんが彼氏でかがみさんが彼女。年下のみなみちゃんをかがみさんが優しく導いて……)
「かがみとみゆきのお泊まり」妄想の時の切なさが、再びそなたを襲う。

 
 デートコースはお台場とか六本木とかありふれた場所ではなくて、真面目な二人だから落ち着いた場所で、かがみとみゆきのお出掛け先のように……東京の地理に姉より疎いそなたには具体的な場所を思い付けないけど、きっと素敵な所。かがみが積極的に腕を組んでみると、みなみの腕がかがみの柔らかい部分に触れて、みなみの白い肌がぽっ! と薔薇色に染まる。
 楽しい時間を共有した二人は、岩崎家でみなみの手料理を食べて、一緒に読書して、お風呂に入り、そして寝室で、夢にまで見た敬愛する先輩を抱き締めた少女は、そのままベッドに倒れ込む。
 昼間の凛々しさが嘘のような、上目遣いの可愛らしいかがみのおとがいに、静かに微笑むみなみは指を差し伸べて――、

 
(かがみとみなみのいけない情事――って、それ何のエロゲーなのさっ!)
 かがみとみなみのいけない情事――いや違う、えーとともかく、二人を涙目で観察するゆたかと、首筋まで真っ赤に染めたあやのに挟まれて、そなたの心は狂おしい。
(でも……放置できないよネ。こんな所を姉さんやみさおに見られると面倒な事になるし)
 どちらも他人を話の種にして喜ぶ、色々とタチの悪い性格。かがみに弱いくせに散々いじり倒し、ぷっつん切れたかがみに責められて「も、もう勘弁して下さいかがみ様」と喘ぎ泣くこなたはまだしも、他人に配慮する事をあやのに丸投げしているみさおと、黙ったまま長時間根に持ってしまうみなみは、相性としては考えたくない。
(つーちゃんだと早合点して大騒ぎ)
 まあ、大騒ぎにはなるが、かがみを傷付けるような事はしないし、「お姉ちゃんとみなみちゃんは仲良し」と思われても完全な間違いではないし、後のフォローを忘れなければいいだけ楽。
(みーさんは先走って、かがみさんを――って、それ何の以下略)
 またもや成人指定の妄想がよぎる所を、何とか振り払うそなた。
(ひよちゃんとパティさんは言うまでもなく)
 ひよりは日頃からみなみとゆたかで妄想を繰り返しているから、改めて構える必要はない。パティも、同居している自分や姉や従妹で妄想をされるのに比べればましだし、飽きっぽいから引きずる事がない。
 かがみとみなみは、どちらも真面目で素直で、こんな言い訳のしようのない状態でも、変に取られずに収拾させる事ができる。はず。多分。きっと。
 自信がくじけそうになるのをこらえて、決意を固めたそなたは、傍目には恋人同士にしか見えない二人を思い切り揺さぶる。
「ともかく起こすっ! かがみさんっ!! みなみちゃんっ!!」
「…………ん。こなた……いや、そなた……先輩。お姉ちゃ――みゆきさんも……」
 そなたに長身を懸命に揺さぶられて、ようやく夢の国から帰ってくるみなみだったが、上に乗っている胸の柔らかい女性をみゆき「お姉ちゃん」と思ったらしく、夢見心地のまま抱き締めるから、ゆたかの頬が余計に膨らみ、あやのはゆたかの頬を撫でてなだめている。
「むうっ。起きて下さいかがみ先輩!」
「……んー」
 怒り半分呆れ半分のゆたかに刺激を受けて、ぽんやりとした目を薄く開いたかがみが、目の焦点の合わないままに見せるのは、つかさにいつも、こなたやそなたやゆたかにも時々向けている、慈しむような表情。こなたに言わせると「ロリコンお姉ちゃん」(この後こなたは、かがみに深夜の拝殿に連れ込まれて「お清め」させられた)。
 そしてなお、駄々っ子直前のゆたかに可愛い攻撃を受けながら、全然動じずマイペースに視線を正面に向けると、そこには生真面目で教え甲斐もあって頼もしく、男の子っぽい自分にいじらしい想いを抱いているのもちょっと可愛らしい、かがみにとって理想の後輩が……。
「んっ……。おはよ、みなみちゃん――」
「かがみ先輩……」
 ようやく頭の中のもやもやが晴れて、みゆきとはまた違う温もりと柔らかさを感じるみなみ。世の幸せを一身に受けているような素敵な笑顔に、かがみが微笑みを返すのはもちろん、ゆたかもやきもちが頭を引っ込めて、そなたもあやのも思わず見入る。
 ――と、不意にかがみが声を上げた。みなみの逞しい身体に自分自身の柔らかい部分を押し付けながら、喜びに満ちた歓声を。
「ん〜〜〜〜っ☆」
「柔らかい……なのに芯も通っている感じで、それにいい匂いも……」
 恋人に甘えるような――いや、そのもののかがみと、酒に酔ったように(いくらこなたでも、ゆたかを襲うのを期待して酒を飲ませたりするわけないが――せめてその程度だけでも、そなたは姉を信じたい)かがみの柔らかさを躊躇なく受け入れるみなみ。
「…………みなみちゃんの馬鹿。意地悪。えっち」
「…………かがみさん、つーちゃんと完璧に双子だヨ」
「…………泉ちゃん、小早川ちゃん、今日も暑くなりそうね」
「あ、そなちゃ……………………」
 怒り、呆れ、現実逃避し、もう何も言えない三人……の後ろに、朝食へと呼びに来たつかさが、一瞬硬直してから、微妙にゆらゆらと揺れながら立ち尽くしていた。姉と後輩の、仲良く睦み合う姿を見ながら。
「こ、こなちゃあああん!? ゆきちゃあああんっ!? お、お姉ちゃんとみなみちゃんがああ〜〜っ!!」

 
「…………」
「…………」
 岩崎家の、朝の食卓。……には十一人を収容しきれないので、ありあわせの椅子を持ち出したうえで、何人かは居間のソファーを占拠している。
 かがみとみなみは、隣り合わせに座らされた状態で、一同の生暖かい視線を浴びながら、顔を上げられずうつむいていた。
「はー、みんなを呼びに行ったつかさが声を上げるから行ってみたら、かがみとみなみちゃんの乳繰り合う姿を見られるなんて」
「私にそーいう事言うのは今更何とも思わないけど、みなみちゃんまで辱めるような事を言うなっ」
「…………」
 こなたにからかわれて、怒りと恥ずかしさのあまり、かがみが歯を食いしばりながら肩を震わせる。「乳」という言葉に敏感に反応したみなみは、そのまま地底に沈んでしまいそうな(もしくは、ドリルの逆回転で宇宙空間へ飛んで行ってしまいそうな)勢いでうなだれた。
(しかもかがみさん、あの身体でみなみちゃんに近親相姦のイメージプレイ……じゃなくてその、ええと)
 などと、そなたに妄想されている事には誰も気付かない。顔がほんのり赤くなっているのも、いつも通りにかがみで興奮しているからだと、かがみもみなみも、そしてこなたも思っているから。
 そこで、かがみの更なる反応を待ちわびるように、こなたは黙って上目遣いでかがみを見る。かがみが冷淡な光を眼に浮かべながら何も言わないのに対して、一瞬だけ寂しげな表情を浮かべるが、すぐに打ち消して――次に巻き込まれたのはゆたか。
「私とゆーちゃんは幼児体型だけど、みなみちゃんは男の子体型だから、かがみとのスキンシップを『萌えー♪』とか言いながら視姦できるよネー」
「みなみちゃんはしっかりとしたくびれがあるもんっ」
 可愛らしく頬を膨らませたゆたかは、実の姉より背丈も年齢も近い「姉」の片割れを、そのまま射抜かんばかりに睨みつけた。
 ゆたかからこなたへの、邪視と見紛うばかりの、険しい視線。
 しかし、その視線は、自分と同じ「妹」により、無邪気にも簡単に断ち切られ――、
「まあまあ。こなちゃんをそんなに怒らないでね、ゆたかちゃん?」
 ゆたかの様子には全然構わない、ぽやぽやーでまったりなつかさがいた。ゆたかはつかさの本能的な笑顔に怒りもくじけるところを、何とか声を張り上げ――叫ぶ。
「怒らずにいられませんっ」
「何でー?」
 話が通じない&分かっていない、生返事のつかさ。ゆたかは我慢の限界を飛び出そうになるところを必死で抑え――きれていない。
「お姉ちゃんは自分がえっちなのに……そりゃまあ、そなたお姉ちゃんも私も、思春期の女の子として、かがみ先輩のめりはりも、みなみちゃんのスレンダーな長身も憧れですけど、こなたお姉ちゃんは限度を越していますからっ。漫画でもゲームでも、先輩方やみなみちゃんみたいな子が出るようなのばかり――」
「こなちゃんはお姉ちゃんをみなみちゃんに取られたように感じて、わざとお姉ちゃんをいじって、みなみちゃんよりこなちゃんの方を気にしてほしいだけなんだよね」
「な――――!?」
 つかさの言葉に、一気に沸騰して蒸気を噴き上げんばかりの、泉家の双子の姉。ほとんど圧力鍋――いや、つかさやゆたかはそんな想像をするだろうが、料理が苦手なかがみとかそなたとかはそんな想像はできない。
 一方、みなみはというと、くびれにしか触れなかったゆたかの優しい気持ちが、かえって心に痛い。「憂」いも隣に「人」が来る事で「優」しくなれるのに、背が高いのに膨らみが乏しい悩みは、共有できる相手が誰もいないから。
「ゆたかも……泉先輩達と一緒で、胸のある女の人の方が……」
「かがみさんもみなみさんも、真面目で聡明な所が似ていますから、小早川さんが懐いて下さるのもよく分かりますよ。みなみさんだって、田村さんと一緒に、小早川さんをいつも支えて、そうそう、この前の保健室でも――」
(相変わらずだなみなみちゃん。みーさんも、「妹」の成長が嬉しいのか、可愛くていじってるだけなのか、いまいちよく分からない所があるし)
 熱に浮かされた思考で、みゆきとみなみの話を流しながら、そなたは食卓の上の朝御飯を眺める。あえてその先の、健気なゆたかが可愛くて抱き締めて、背丈と胸に(大きくかけ離れていない分リアルな)劣等感を感じさせてしまうつかさは気に留めない。
「でもさー、柊やクールちゃんの気持ちも分かるってヴぁ。ちびっ子はともかく、ちびちゃんもおちびちゃんも、お人形みてーで見た目は可愛いもんな」
(黙れフールちゃん)
 とは思うけど、多分きっと恐らく友達なので、そこまでは言わないそなた。お人形扱いやお客さん扱いをとても嫌がるゆたかが、相手は不本意ながら先輩なので何も言えないのを見て、ひよりに失敗談を話してやろうかとも考えていた。
 一方、一卵性の双子の姉は、作り置きの焙じ茶をがばがば飲み、だらしない所がつかさより似た者同士のみさおに、軽い気分で疑問を投げる。
「でさ、みさきち。何でそなたが『ちびちゃん』で、ゆーちゃんが『おちびちゃん』なの?」
「可愛げのない方がちびちゃんで可愛い方がおちびちゃ――あぎゃあああ!!」
 血を分けたどころではなく同じ遺伝子を宿した、お互いが自分の一部であるかがみとつかさを超えた、お互いが自分そのものである双子の妹への心ない言葉に対して内面で怒りを凍てつかせたこなたに、こめかみを圧迫されて叫ぶみさお(しかも手加減できていないので余計に痛い)。あまりにもいつも通りの自爆に、そなたは、呆れるとかを通り越して、心地良い疲労に浸っていた身体に心地悪い疲労を不法投棄されたように思う。
「『非日常』のゆーこはみほに笑顔の天才って言われたケド、みさおは笑顔の素人以下だヨ。いやむしろ詐称とか無免許とか反存在とか」
「ひでーよあがはぁっっ!!」
「ああっ、みさちゃん、また泉ちゃんにっ!?」
 そなたにドラゴンスクリュー……ではなくみぞおちを突かれて悶え苦しみ、あやのが心配する間もなくテーブルの下に倒れ伏すみさお。その間も、パティはぐたーと無気力に寝そべるチェリーを足でいじりながら、全く反応されずに不機嫌になっている。
「チェリー、Albacore(ビンナガマグロ)。Bigeye tuna(メバチマグロ)。Pacific bluefin tuna(クロマグロ)。Bonito(ハガツオ)。Dogtooth tuna(イソマグロ)。Frigate tuna(ソウダガツオの一種、ヒラソウダ)。Skipjack(カツオ)。Yellowfin tuna(キハダマグロ)」
 携帯電話でネット上の事典を見ながら、スズキ目サバ科マグロ族の魚の名前をひたすら呟くパティは、ぱさぱさした金髪とピンクに日焼けした肌と碧い瞳と舌っ足らずな声が、背丈とプロポーションに関わらず可愛らしい印象を与える。
 しかし、体温と呼吸による動き以外には何の反応もなく、パティはやや苛立ちながら、チェリーの腹部から足をどける。チェリーのあまりにも悪過ぎる反応に、「タイガイなButter dogでス!」と口走りそうになるのを抑えながら。
 と、そこで、何かがパティの脚にすがり付く。
「チェリー、ダメイヌにはムチをくれてやルとアレホド――」
「チェリーはダメな犬じゃない。もう高齢なんだからいてくれるだけで十分和むし――」
「私はあんまり和まないんだけど、ウチの犬と相性悪いんだよきっとー」
「じゃねーよ!」
 パティとみなみとひよりを遮り、足元で怒鳴るのは、テーブルの下の床を這いずってきたみさお。怪我は無くても気分はずたぼろのみさおは、パティの脚にしがみ付いて愚痴をこぼすが、起きてすぐに運動をしていた身体の体温は朝から暑苦しい。
「うう〜。柊以上の凶暴姉妹に何とか言ってくれよ金髪ちゃん〜」
「ミサオがワルいでス。ソレよりbreakfastにシましょう」
 こなたやつかさとはまた別の意味で、先輩としての威厳の欠片もないみさおだった。

 
 さて改めて、岩崎家の朝の食卓。だらだらとかがみ&みなみをいじっていた間にも、気温は高くなっている。
 既に額に玉のような汗を浮かべていたパティは、目前にあるお椀の中身を、興味九割腰引け一割という感じで眺めていた。
「デ、コレはナンですカ、ツカサ?」
「『冷汁』だよ。埼玉県の家庭料理なんだー」
 つかさも手にしているお椀には、よくすり潰した胡麻が入った味噌味の汁に、輪切りの胡瓜、微塵切りの葱と紫蘇と茗荷、紫蘇の実、そして氷が浮かんで――夏らしいさわやかな朝御飯にふさわしい味噌や紫蘇の香りが、和食に不慣れなパティにはなかなか受け入れる決心が付けられず、右手に持つ箸の先が微妙に震えている。
(イキヅクリでもタイのウシオジルでもハかないヨウに、サカナのシガイのシャシンをミて、グランマにカンキョウモンダイにカンシンあるとオモわれたワタシでスが……)
 見えない恐怖こそが本当の恐怖である――昨夜の会談でパティ自身が実践して一同を散々怖がらせた法則を、今まさに我が身に感じながら、おずおずと箸を付けた。
「Um〜、カテイリョウリとイうと、Stewのヨウな?」
「シチューというよりは、アメリカのお料理だと、チャウダーが当てはまると思うわ」
 料理に詳しいあやのが、茶碗に浅くよそった御飯をお盆に並べて持ってくる。みんなにコップを渡して、冷えたお茶各種のポットを回しながら、つかさもにぱーと無邪気な笑顔。
「えへへー、こなちゃんと一緒に作ったんだー。あとあやちゃんもお手伝いー」
「冷汁が宮崎県の名物なのは知っていましたけど、埼玉県でも食べるのは知りませんでしたね。……田村さん、頂けますか?」
 みゆきは、昨日よりいくらか回復しているひよりに顔を近付ける。みゆきの大人びた魅力に、いつもは紅潮してしまう頬も、今はかえって顔色が良くなるので、ひよりは気恥ずかしさもなくそのまま受け入れる事ができた。
「ええ、今朝は大丈夫っス。昨夜はみなみちゃんにもお世話を掛けてすみませんでした」
「かがみもそなたもみさきちもあーやも、ゆーちゃんに遠慮してみなみちゃんを警戒して、ひよりんにあれだけボール打ってたからネー」
「……その一環を担っていたこなた先輩に言われたくないっスよ」
 相変わらずくったりしているが、昨夜よりは体調が良くなってきたひより。ひよりの長くて量も多い髪に漉きを入れてくれるのが、熱のこもった頭をすっきりさせてくれて、半分寝返りを打ちながら自然と寄り添うと、また汗をかいていた分を、みゆきはタオルで拭き取ってくれた。
「熱もだいぶ下がられたようですから、明日は大事を取ってゆっくり休まれて、明後日くらいには本調子ですね」
(みーさんは医科大学に行ってるから、ひよちゃん相手に実習気分なのかもネ)
 そなたは感慨深げに、関係の深まる二人を見詰める。それは傍から見ると母娘……いやそれはないないない。
 さて、パティはまだ冷汁を口にする勇気がないのか、その割にはイカの塩辛と味付け海苔に手を出している。チェリーから放した足を所在無げにぷーらぷーらしながら。
「Mu〜。チェリーだけじゃナくて、ヒヨリもマグロでス。セーセキはいいのデ、カツオでハありまセン」
「金髪ちゃんだって、動きが大き過ぎるから目標にしにくくて、ちっちゃい眼鏡ちゃんばかりボール当てちまったんだぜー」
 などと言い出すみさおを見とがめて、速いペースで冷汁を食べていた口元の動きを止めるかがみ。
「当てるな日下部。ビーチバレーをドッジボールにするんじゃねーよ。みゆきやこなたも相手にせずに、つかさにばかりボール打ってたし」
「い、いやその、あれはちびっ子と眼鏡ちゃんが頑張るのを期待して」
「ゲームは私やかがみさんに負けても腹立てないくせに、得意分野だといきなり大人気ないヨみさお。卜部兼好が『病気の一つもしない頑丈な人は友達にするな』と言った通り、少しは同情というものを学べっての」
「難しい事言われても分かんねーよ。どーせ私は馬鹿だってヴぁ」
 かがみに、そなたに責められる、子供のように純真で無思慮で自分勝手なみさおは、前にそなたが看破した通り、反省する能力が根本的に欠如している。雲行きの怪しいみさおを友達として助けるため、こなたは親友と妹にお構いなしに口を挟み――、
「いやー、それにしても昨日」
「私とつかさとみゆきと峰岸とみなみちゃんへのセクハラをしたら、ぶつからね」
 ピンポイントなかがみの突っ込みに、ちょっと嬉しくなったこなたは、猫っぽい口元を少しだけ緩める――そなたにだけ分かる程度に。
「みさきちがお店で食べようと言いだして、私も同意したトコで、そなたがお弁当持って来てる人がいないか聞くように言ってくれて、つかさとあーやのお手製弁当を無駄にしなくてよかったヨ」
「かがみさんも荷物から漂う匂いで感付いてたけど、あの時は離れたトコにいたゆーちゃん達を見ててくれたからネ。つーちゃんもあやのさんも、自分から言い出せるような性格じゃないし」
 みさおへの矛先を収め、肩を落として呆れるそなた。
 しかし――姉絡みでは詰めが甘いせいか、矛先を収めるのはまだ早い!
「あーあ、海の家とか屋台とかで、高二の時に柊やちびっ子が食べたみてーなチープな奴が食べたかったのに、あやのとつかさの手料理じゃ、いつものあやのんちや柊んちじゃねーかよ」
 ほら。旧鷲宮町内どころか久喜市全域の男性全員にお仕置きされそうな贅沢を言い出す、あやのの将来の義理の妹。二人揃って運動が苦手だがその分肌触りが柔らかい、料理教室をしている家の娘と、調理専門学校生が、欠片も形相を変えずに詰め寄るではないか。
「まあまあみさちゃん。お店で食べるのも海水浴の醍醐味だものねー」
「だよねー。醍醐味だよねー」
「あ、あやの、つかさ、顔が柊とちびちゃんよりこえーよっ!?」
 あやのは「たまにはお野菜もしっかり食べないとダメよ」と言いながら、野菜サラダとこんにゃくをみさおに差し出して、つかさが笑顔でバルサミコ酢を掛けていく。あやのが「食べるラー油」を取り出す時点で、みさおはこれからの運命を甘受……するわけもなく、「力出ねーから肉をくれよー」「ダーメ♪」「こんな野菜ばっかだと柊は太らねーけど」「つかさの分のピーマン、日下部に食べさせていいわよ♪」「はーいお姉ちゃん♪」と、無駄なあがきを繰り返していた。

 
 胡瓜、葱、茗荷の新鮮な歯応え。
 身体に沁み入る、紫蘇と胡麻の馥郁とした香気。
 濃過ぎず薄過ぎない、合わせ味噌の旨味と塩気の絶妙な仕上げ。
 口に含むと、素材の良さがそのまま美味となり、胚芽米との相性も抜群だった。
 食が進み、仲間内では一番細身の部類に入るのに、いや、かえって細身だから体型の変化に敏感なのか、体重を気にしながらもおかわりをするかがみは、御飯を多めに盛りながら、心のオアシス一号ことみゆきと話していた。なお、二号はそなた、三号はあやの、つかさと後輩達は自分がオアシスになってやるべきだとかがみは考えていて、こなたとみさおは心の砂漠。
「つかさ、料理上手で羨ましいわ。あ、もちろんこなたもね――だからせめて、今の無防備な服も含めて、普段の素行は何とかしろよ」
「ロシア料理の生野菜入り冷製スープ、オクローシカが、味わいとしては近いかもしれませんね。味噌とクワスという違いがありますが、どちらも発酵した食品や飲料を用いるという共通点がありますし」
(つーちゃん大好きで姉さんに厳しい(けど、内心では優しい)かがみさんも、会話なのか講義なのか怪しいみーさんも、いつも通りだネ)
 仲睦まじいのを通り越して、娘とその恋人を見守る中年夫婦さながらのかがみとみゆき。
「むー。また難しい話をしてるヨみゆきさん。かがみんもつかさばかり可愛くて私を抜かしてるし」
「クワスをライ麦パンで作るって記事がインターネットであったから、今度試してみようかなぁ、オクローシカ」
(……かがみさんに素っ気なさそうにしながらべったりな姉さんも、料理が絡むと別人みたいに博識なつーちゃんも、いつも通り)
 親に見守られる、初々しい若夫婦みたいなこなたとつかさ。
 そなたは双子の姉と親友達を見ながら、自分も冷汁を口に入れて、野菜の歯触りと味噌の味わいを全身に沁み込ませている。冷え具合は冷た過ぎずぬるくもなく、そなたとか、身体が弱い――換言すれば敏感なゆたかとか、舌が洗練されている(と思う)みゆきやみなみとか、味を重視するかがみやあやのとかとしては十分だが、キンキンに冷えていないと満足できない田舎のお婆さんのような人が、大抵の所にいるものだ。ゆいとかまつりとかゆかりとか、そこの単純な馬鹿とかみたいに。
 そう思いながら瞳に映すのは、みさおの姿。常々からこなたはみさおをバカキャラ扱いしているが、そこで怒っても根に持たないみさおを、それだけでもそなたは偉いと思う。とはいえせめて、夏休みには馬鹿も休みにしてはくれないだろうか。
「おっ、冷汁なのに意外とうめーな、あやのー。でもあやのはもっと上手だから、兄貴との子供達は幸せもんだよなー」
「み、みさちゃん、ひーちゃんといーちゃんに悪いわよ」
「峰岸みたいなできたお母さんの子供達だと、日下部も叔母さんとしては大変よねー?」
「そ、そりゃねーよ柊っ!」
(姉さんより子供なみさおに、すっかり日下部家のお嫁さん確定のあやのさん。……で、かがみさんはみさおには心の底から厳しいと)
「こ、こらチェリー、葱のエキスが入っているから、食べると血が壊れる……」
「マグロもヒヨリにカカれバ、アンコウかウツボでスよ」
「チェリーっ、ギブ、ギブーっ! いやだからって本当にギブするんじゃなくてギブアップの方のーっ!?」
(で、微笑ましい後輩達――ひよちゃん相変わらずだなぁ)
 綺麗な黒髪がみっともなくぼさぼさにされている少女と、その上に跨る大型犬(雌)。一人と一匹を引き離そうとするスレンダーな少女と、呑気に観賞しているグラマーな少女の長身二人組。かなり本気で絶叫するひよりと、はむはむ甘噛みし続けているチェリーに、少し吹き出しそうな笑みが洩れる。
「……ぷふっ」
「そなたお姉ちゃん?」
「いやいや、何でもないヨ」
 そなたは、自分に似ているけどもっと純粋な瞳と見詰め合い、ゆたかの頭をくしゃくしゃと撫でた。――一応、ひよりを甘噛みしたままだったチェリーも、つかさに「えのころ飯ー」「補身湯ー」「ポリネシア料理のー」だの言われて(脅されて?)、弱々しい鳴き声を上げながら噛むのをやめているようなので、そちらはもう問題ない。

 
 騒ぎも収まったところで、もう冷汁を食べ終わったかがみが(さすがにおかわりは我慢の模様)、瓜の浅漬けに手を出しながら話をする。
「そういえば、昨日のビーチバレー、みなみちゃんも大活躍だったじゃないの」
「大活躍だったネー。大学には教養課程にしか体育がないから、衰えが激しくて激しくて」
「アンタが衰え過ぎだ。少しはそなたに鍛えてもらえ」
 昨日、みんなで海でやったビーチバレーで、そなた達のC組チームは、B組チームや二年生チームと対戦して、まずまずの成績を収めた。二年生チームは、身体が弱いゆたかと運動が苦手なひよりがいるから、みさおは「手加減しねーとなー」とか笑っていたが――、
『私が5としたら、そなたはお父さん並みの6、みさきちとみなみちゃんが4.5、みゆきさんがまつりさんと同じ4、かがみとパティはゆい姉さんやみきさんと同じ3.5、つかさとひよりんはゆかりさんとほのかさん並みで2.5、あーやはいのりさんとお揃いで2、ゆーちゃんは1くらいだネ。ちなみにお母さんは0.5』
『みさおが低過ぎない? あれでも陸上部の試合だとレギュラーで――』
『みさきちは自分をコントロールできないからネ。個人プレイならともかく球技とかやらせると、かがみとあんま変わらないレベルだヨ』
『……確かに』
『まあ、それを言うならみゆきさんだって、集中していないとウチのお母さんレベルだからネー。何もない所で自分の足に引っ掛かって転んだり、路地で壁にこすれて手の甲をすりむいたり――』
 とか言われた通りの結果だったのだが、そんなやり取りを知る由もないゆたかは、純真な笑みを浮かべている。みなみへの称賛の意を込めて。
「うぇひひひ、みなみちゃんは万能だもんねー」
「そ、そんな事ない……。みゆきさんには(知識とか胸とか)色々とかなわないし」
「んー、確かにこなたお姉ちゃんだって(漫画とかアニメとか)凄いもんね」
 よほど嬉しいのか変な笑い声を上げるゆたかと、気恥ずかしくて白い頬を染めるみなみ。二人の微笑ましい空間のはずなのに、うっかり「夜も万能」とか考えてしまい、こなたとそなたはこっそり悶えていた。
「……二人もそこまで進展したかー。でも私達が二年の時には既にかがみと」
「……黙らないとつーちゃんをけしかけるヨ」
 そなたにそっけない扱いを受けて、小さな身体を擦り寄せて「あーん鎮めてかがみーん」とか言い出すこなたに、かがみは「その前に、誕生日からどれだけ成長したのか教えてもらおうかしら」と返し、こなたは必死でガードするがかがみには通用せず、そのまま弄ばれてしまう。ゆたかは赤くなり、ひよりはオーバーヒートする一方、双子の妹達にとっては「何をいまさら」といった感じで特に反応はない。
「人数が互角でそなたも頑張ってくれたから私達が勝てたけど、私はみなみちゃんにかなわないし、峰岸は運動苦手だし、日下部はレシーブとトスが苦手だから、そなたがいなかったら絶対に勝てなかったわ」
 膝の上の猫をいじる手付きでこなたを鳴かせながら、かがみが笑う。もはや愛玩だかお仕置きだか分からない状態だが、身体をぴくぴくと震わせてパティに「イきがイイでスよコナタ」と言われるこなたも微妙に嬉しそうなので、いつものようになすがままにしておく。
「集中力があると母やおばさまには褒められますけど、とっさの判断力が、かがみさんやこなたさんやそなたさんには及びませんので、昨日はこなたさんについて行くので精一杯でしたよ」
 実の妹のようなみなみを視線と心の底で誉めながら、みゆきは身内の自慢にはならないような如才ない会話をする。これが計算ずくなら親友相手にふさわしい会話ではないが、本質的な腰の低さを知っているかがみは、「そんな、みゆきだってあんなにジャンプ力もコントロールも」とか「みなみちゃんは色々と頼もしいのよ」とか返して、ついでにみなみを真っ赤にして、ひよりに「頼もしいのは誰に対してかな――ああチェリー、らめ、らめぇっ!」とか一人芝居をさせていた。
「ひでーよ柊ー。つかさとちびっ子には夏休みの課題を協力したくせに、私にはちびちゃん共々『自分でやれ』って厳しくてさー」
「いいのよみさちゃん。みさちゃんの保護者は私だから――だからみさちゃん、帰ったら課題の続きを進めましょうね」
「あやのの鬼ー……イヤ何デモアリマセンカラ、ゴメンナサイモウシマセンユルシテクダサイ」
 小さな頃に読んだ絵本の台詞そのままで怯えるみさおに、「しょうがないんだから」とあやのは苦笑いして、「明日からでいいからね」と結局は甘やかしてしまう、そんな夏のひととき。

 
此方と其方・10へ続く


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