エタメロ・時代劇アワー(前編)


制作・脚本:大橋賢一

<登場人物>

ティナ、若葉、レミット:マリエーナのお姫様。
アイリス:レミットの侍女。
主人公:食堂可憐亭の主人。
カレン:可憐亭の女将。
アルザ:可憐亭のタダ飯食らい。
リラ:可憐亭の看板娘。
カイル:世界征服を企む悪代官。
メイヤー:御用商人トロメア屋の主人。
チャンプ:トロメア屋の用心棒。
ロクサーヌ:謎の琵琶法師。


 マリエーナの城下町を通る一本の川に架かる、橋の半ば。
 そこから少し身なりのいい感じのする三人姉妹は、城下町を城の中にいた頃よりもずっと近くで眺めていた。
「まあ、何て賑やかなんでしょう!」
 若葉が、彼女らから見て橋の右手に店の並ぶ、商店街を見て歓声を上げる。上の姫のティナは、風にかき混ぜられる髪を押さえながら、眩しい春の日差しに目を細めた。
 ここは天下のマリエーナ。そしてこの城におわすは三人の姫。
 これが、また揃いも揃って色気云々はともかく別嬪。そのせいか、三人姫の父親であられるマリエーナの殿は、可愛さ余って憎さ百倍、という言葉もあるが、可愛さ有り余るほどで、姫を一歩たりとも城から外に出そうとはしない。
 姫といっても、好奇心も有り余る年頃の女の子。外も見てみたい。探検してみたい。城だけじゃ飽きる。
 ――という事で、今日も今日とて侍女のアイリスの目を盗み、三人揃って城下町探索に繰り出したり、しているのであって。
「ねえねえ、お姉様! あたし、あそこに行きたい!」
 末姫のレミットが、特に若い女の子の客で賑わう小物屋を指差し、ぐいぐいとティナの手を引っ張る。
 引っ張れない。
「そんなに急がないの、レミット」
「あそこがいいっ!」
 にこにこと控え目に微笑むティナの腕を、とうとうレミットは両手で掴んで、引きずろうとするが――びくともしない。
「そんなに引っ張らないで、レミット」
「あそこに行くうううっっ!」
 背負い投げの状態に入りながら、レミットは顔に血を上らせるほどに力を込めてティナを引っ張るが、ぴくりとも動かず姉姫は微笑んでいる。
「今日は天気がいいわねえ」
 レミットが息を切らしてなお背負い投げしそうに――当初の目的を忘れかけている――なっているのを止めようともせず、のんびりと微笑みながら、ティナは手をかざしながら空を見上げる。
「そうですわねえ、お姉様」
 若葉もティナと同じように空を見上げながら、ほにゃっと、ちょうど春に咲く野の花のように微笑む。
 優しい日差しのあふれる、うららかな春の朝である。
「まあ、こんなにお日様が照って」
「そういえばお姉様、日差し苦手だったんじゃ」
「あ、そういえば」
 とうとう背負い投げを諦めたレミットが、若葉の呟きに、はたと気付いたように目を丸くしてティナを見る。
 ティナの表情が、笑顔のまま固まった。
「……」
「お姉様?」
「…………ばたっ」
「ああっ、ティナお姉様!」
 若葉の叫び声が周囲に響く。優しい日差しのあふれる、うららかな春の朝であった。


「あ〜あ……」
 ぐー、と背筋を伸ばしながら、所在無げに溜め息。
「……あふ……」
 そして大あくび。
 さて。ここは城下町、場末の料理屋可憐亭。
 夕方になれば大勢の女将の胸目当ての――いや、女将の料理目当ての客で賑わうが、今は昼前。可憐亭の主人であるこの若者も、暇を持て余したかのように、店の中の空いている席でごろごろと寝そべっていた。
「いい天気だな……」
「なに寝てんのよっ!」
「ぐあっ!」
 活発そうな少女が、呑気に寝こける主人の頭に鋭いかかとを振り下ろした。
「いたた……。何すんだよ、リラっ!」
「ご挨拶ね、あんた」
 頬を膨らませ、リラが不機嫌そうにうなる。
「せっかくあんたに言われて足洗ったのに何よ、ここの収支は!」
 ばばばばば、と一枚ずつ凄まじい速さでめくりながらの帳簿を片手にリラは主人に詰め寄り、ばんっ! と席に置かれた座布団を一つ平手で叩く。
「先月赤字その前赤字その前の前も赤字その前の前の前の前の前の前の前の前も! 一億年前から赤字みたいなこの帳簿は一体なんなのよっ!!」
「この店の歴史、一年半だぞ」
「やっかましい!」
 座布団についていた平手を、今度は主人の頬に叩き付ける。その勢いで、主人は壁に頭をぶつけたが、リラの語調の勢いは止まらない。
「ただでさえこの店には、よく食べる奴が約一人いるんだからっ」
 そうぼやくリラの背後で、無心に山積みの食べ物を処理している赤毛の少女が一人。
「あぐあぐあぐあぐ」
「……ちょっと、アルザ」
「あぐあぐあぐあぐ」
「…………ちょっと……」
「あぐあぐあぐあぐ」
 ――臨界点突破。
「話を聞けえええっ!!」
「まあまあまあ」
 いつものように爆発するリラを見兼ねてか、女将のカレンがたしなめる。
「駄目よリラちゃん、お客様に怒鳴ったりしちゃ」
「毎日朝昼晩二十杯ずつ食べといて代金も払わないで、どこが誰がどの辺りがお客様なのか! きっちり説明してもらいましょうか!!」
 最後の一言は、アルザの方へ向けられていた。
「飯頼んで食うとる辺りが、客や」
 あっさりとアルザは答える。飯粒の付いている頬は、きっと分厚いに違いない。
「ま、心配いらへん。すぐにあんたらと仕事できるさかい、そん時払ったる」
 自信たっぷりにアルザは胸を張り……再び食事に取り掛かった。
「……仕事、ねえ」
 可憐亭の主人であるところの青年は、またリラにお客様じゃないと言い切らせる所以である食欲を見せるアルザを眺めながら、目を瞬かせた。
「知らないの、キミ? 近頃女のコの失踪事件が相次いでるってコト」
 カレンは組んだ両手の上に顎を乗せ、緑の双眸を細めて眉をひそめた。
「早く私達が助けてあげないと、どういう事になってるやら……」
「依頼がないのに俺達がしゃりしゃり出る訳にはいかないだろ?」
「あら。そーいうやる気のないコ、おねーさん嫌いだな」
「……カレンがただ働きを引き受けてばっかりってのもここの赤字の原因なのよ、ここの」
 リラが、左手を腰に当て、ぴらりと帳簿を右手に、カレンと主人に突き付ける。
「ここのここのここのっ」
 じりじりとにじり寄るリラ。
 依頼とは、そして彼らの正体とは。
 それは――
「すみません」
「はぁい、いらっしゃ〜い♪」
 くるっと半回転して声の方に向く間に、リラはすっかり「看板娘おリラちゃん」の顔を作っている。
 媚びまくりの声でリラが、お席は空いておりまぁす、というのを待っていたかのように琵琶を抱えた琵琶法師が暖簾をくぐって顔を出した。
「あ。ロクサーヌ」
 即座に「看板娘おリラちゃん」の笑顔と媚びまくったよそ行き声が消え、また半回転してロクサーヌに背を向けた。
「あ〜あ、媚び売って損した」
「あのー、私も一応客なんですけどねえ」
「はっ! そうそうっ、金さえ払えば誰でも客!」
 またもや半回転して、「看板娘おリラちゃん」の笑顔を浮かべると、軽く小首をかしげるようにして尋ねる。
「お一人様ですかぁ?」
「何か憑けてきた覚えはありませんが?」
「……お席にご案内しまぁす」
 握った拳の間で注文取り用の鉛筆を握り潰しながら、額に青筋を浮き上がらせながらも、「看板娘以下略」の笑顔とよそ行きの声はかたくなにまで崩れない。
「……我が店の店員ながら、見事」
 どこか脅えたような表情でぼそりと主人が呟き、カレンはぱちぱちと小さく拍手しながらうんうんとうなずく。
「何になさいますかあ?」
「きつねうどん一つ」
 席に付きながらの注文に、かしこまりましたあ♪ と、途中から不自然に折れた鉛筆で注文表にがりがりと紙を削るほどに力を入れながら、リラが書き込む。おそらくその後の五、六枚は使い物にならないだろう。
 と、そこで――
「あのぅ、すみません……」
 いきなり店の入口が開いて、控え目な女性の声が聞こえて来る。
 リラはまたもや先程と同じく半回転し、
「なによっ!……あっ、しまったっ」
 さっきの癖が残っていたか、半回転前が看板娘モードだったせいで、今度は普段通りに戻ってしまっている。
「すっ、すみませんっ!」
 リラの勢いに驚き、思わず女性が引き返しかける所へ、
「ああっ、ごめんなさいね」
 慌ててカレンが立ち上がり、彼女の腕を掴む。
 それに振り返ったのは、声の印象を裏切らない控え目な、だがけして悪い印象を与えない容姿の女性だった。
 見つめられた者が和むような、柔かな眼差しを向けてくるその瞳が、可憐亭の一同を引き付ける。
 一番引きつけられたのが主人である事は言うまでもない。
(こっ、この世の中にこんなしとやかな女性がいたなんてっ!)
 他の身近な女性と比較しているがゆえにそう誇大した印象を受けるのだが、彼はそれに気付いてはいない。
「お、どうやらうちの出番が来たみたいやな」
 二十七杯目を食べ終えたアルザが席から立ち上がる。その身軽な動作は、戦いの経験を積んだ者のそれだ。
 カレンとリラも、きりっと引き締まった顔つきになる。
 主人がわざとなのか、普段と全く変わらない呑気な声で、訪れた女性に話し掛ける。
「あのー。ご注文は?」
「実は……姫様方が行方不明なのです」
 その場が静まり返る。
 ロクサーヌが茶をすする音だけが、可憐亭の店内に響いていた。


「……で、ここが怪しいと思うのね、リラちゃんは?」
「そうよ」
 延々と続く白い塀と中から覗く黒い屋根瓦を指差しながら、
「魚屋のウェンディ、八百屋のご隠居と孫二人、町医者のばーさん、正体不明の三人娘、みんながみんな、このトロメア屋の近くで行方不明になってんのよ」
「でもリラちゃん……」
 カレンがリラに問い掛ける。今の二人の格好は、普段とは打って変わって活動的なものになっていた。カレンは長い金髪を緑の布でまとめ、腰に長い刀を差している。リラの方は長脇差を帯の内側に潜ませ、懐の中には登攀用の鉤爪や鍵開け用の針金が。
「お姫様達が行方不明になったのとどーゆー関係があるの、それ?」
 リラは豪快にスライディングして、地面をえぐった。
「だからっ! 正体不明の三人娘ってのがどう考えてもお姫様なんじゃないかって事! 真面目に聞いてっ!」
 起き上がり様にカレンの胸倉を掴み、怒りと泣きが半々の声で懇願する。
「やーねリラちゃん」
 スライディングした時に付いた土で汚れたリラの顔に、すぐ側で微笑みかけながら、カレンはぱたぱたと片手を振る。
「冗談よ冗談」
「ふははははははは!!」
 午後の静寂を破るかのように、いきなり高笑いが響き渡った。
 驚いたカレンとリラが見上げると、道端の大木の枝の上に、外套と覆面を身に付けた筋肉質の巨漢が立っていた。身に付けた服は、赤いふんどしだけ。
 得体の知れない雰囲気に、空気がぴんと張り詰める。
「変質者だ」
「変質者ね」
「さ、向こう行こ」
「そうね。関わり合いになると面倒だし」
「待てええええええっ!」
 木の上の巨漢が絶叫する。思わず二人の足が止まり、振り向いた。
 すると、一秒前の気弱さなど微塵も無い、絶対的な自信に満ち溢れた男の姿がそこにはあった。
「私の名はチャンプ! 最強の座を守るために日夜戦い続ける、最強の戦士!」
 発言の意図を理解できず、二人の目が点になる。
「私は今、武者修業のために旅に出ている! しかし! 旅を続けるには路銀が必要! そこで私は、行き倒れた所を助けてくれたトロメア屋で、高給約束・三食昼寝付きの絶好の条件で用心棒をしているのだ! ふあっはっは……」
「何なのよあれえええ……」
 リラがしゃがみ込んで頭を抱える。
「ふーん、まさかあいつもトロメア屋の用心棒だったなんてねえ」
 訳の分からない感心をするカレン。その後ろで、青ざめた顔でリラが立ちすくむ。
「カ、カレン、何とかして!」
「リラちゃんは?」
「あたし、ああいうマッチョは世界の終わりが来たって嫌なの!」
「んもう、しょうがないコねえ」
 言葉とは裏腹に面倒を見るのが楽しいらしく、嬉しそうな口調で、カレンは胸元に右手を差し込んだ。
 リラが、何をするのかとカレンを見上げる。
 刹那。
「やあっ!」
 カレンの右手が、気合いと共に素早く動いた。銀色に光る投げ矢が、チャンプの足元に命中する。
「う……うわわわわわわ――――っ!!」
 チャンプは枝から落ちて、道路の脇の溝に転がり落ちた。すかさずカレンが駆け寄り、溝の底に叩き込む。筋肉質の体が、ぎゅむ、と長細いその隙間にはまり込んだ。
「リラちゃん、今のうちに早く!」
 溝にはまり込んで身動きが取れないチャンプをげしげしと蹴りながら、カレンはリラに先に行くよう促す。
「……あ、うん」
 くるりときびすを返してリラは走り始めた。チャンプの叫び声を後にして。


 首尾良くトロメア屋に忍び込んだリラは、影伝い、屋根伝いにそっと奥まで入り込み、天井裏から屋敷の内部を窺っていた。かつての「義賊リラ」の経験を生かせば、豆腐をハンマーで叩き潰すより容易な事である。
 しかし――
(はあ……)
 天井板の隙間を開き、そして落胆する繰り返しが続く。陰謀とは何の関係も無い部屋の様子に落胆する事、既に十七回。そして十七回目の溜め息をつき、次の部屋の上へ天井を這う。
(これで十八部屋目――と)
 天井裏の下には豪勢でも貧相でもない、まあ普通の座敷があって、そこには一組の男女が座っていた。淡い緑に輝く波打った髪と大きな眼鏡が特徴的な、学生のような雰囲気の女性と、銀の髪と赤い瞳、それと着物の上からもはっきりと分かる発達した筋肉の男性。一応は美男美女の部類に入るが、色恋沙汰とは無縁なようである。
(……あれって、トロメア屋の主人のメイヤーとマリエーナの代官のカイル?)
 街でも五本の指に入る情報通であるリラは、街の住民のほぼ全員の名前・種族・性別・誕生日・血液型・年齢・身長・体重・スリーサイズ・趣味・宝物・好きなもの・嫌いなもの・好みのタイプを完全に網羅していた。
「……で、どうなっている?」
「順調ですよ。一昨昨日が魚屋の娘、一昨日が八百屋の隠居と孫娘二人、昨日が町医者の老婆、今日は娘が三人。約二名を除いては十分金になりますね」
(やっぱり……)
 天井裏で聞き耳を立てているリラをよそに、メイヤーとカイルは話を続ける。
「金持ちの娘からは身代金をせしめ、そうでない娘はよそで売り払う。マリエーナ女は美しいと異国では評判だからな」
「おやおや、褒めたって何も出ませんよ」
 くすくすと猫のように笑うメイヤー。
「誰がお前の事を言っている」
「…………」
 一瞬空気が冷える。カイルはわざとそれを無視して、不気味な含み笑いをした。
「ふっふっふ……トロメア屋、お主も悪よのぉ」
「いえいえ、お代官様には及びませぬ」
 あーははははははっはっはははっはははははははっはははっはは。
 ―――と二人ひとしきり笑った後で、まるで憑き物でも落ちたかのように、メイヤーが急に真顔になる。
「……って、何で私が悪徳商人なんですか?」
「似合うぞ」
「あなたもとても悪役がお似合いで」
「なかなか言うな、トロメア屋……ふっふっふ……」
「いえいえ、お代官様こそ……」
 あーははははははっはっはははっはははははははっはははっはは……。
「――止そう」
「これに関してはあなたと同じ意見です」
 額に汗の浮かんだメイヤーが、肩で息をしているカイルと合意した。
「まずは手始めに、このマリエーナを乗っ取る」
「はいはい」
「……そして行く末は、ウォールの将軍を倒して世界を征服するのだ!」
「はいはい」
「そのためにも、こうして儲けた金で魔法兵器を買い込まなくてはな。斡旋所のオヤジが今晩、割符と魔法兵器を持って裏口から入る手筈になっている」
「はいはい」
「辛いものが好きだ!」
「はいはい」
「趣味は自己鍛練!」
「はいはい」
「分け前は俺が七のお前が三!」
「却下」
 その瞬間。
 再び空気が冷える。
 ずずー、と茶をすするメイヤーの前で、カイルがどうしようもなく固まっていた。
(……あんな事大声で言っちゃっていいのかな、あいつら?)
 リラは天井裏から眺めながら、こっそり溜め息をついていた。
(ん。でも、そういう警戒の薄い所があたしには都合いいんだけどね)
 にやりと笑うと、再び下で行われている会話に耳を澄ます。
「そういえば、捕まえた娘達はどうしている?」
「……屋敷の地下牢に閉じ込めてあります。番人もいますし、ちょっとやそっとの事では逃げられませんよ」
(地下牢!?)
 リラが驚き、かすかに身じろぎする。
 ぎしっ……。
(やばっ!)
 身じろぎした際の僅かな振動で、天井板がきしむ。
(しくじったわ、まさかわざと天井板が音を立てるようになってたなんて!)
 実は修理費をけちったせいで音を立てるようになったのだが、そんな事はリラの知る所ではなかった。
 リラは反射的に横に転がって――
「チェストぉぉぉっ!!」
 そこに凄まじい勢いでカイルの刀が天井に突き立てられ、梁ごと天井を叩き割る。
「い、いきなり何するんですかっ!」
 メイヤーの叫びには構わず、カイルが、ぐしりと刀を引き抜いて穴を開けた。そこには黒いショートカットの若い女の顔。
「曲者!」
「ちいっ!」
 バッとリラがその場から飛びのき、すぐさま逃げようとする。そこへ、
「ヴァニシング・レイ!」
「――え」


「ただいま〜……」
 よれよれになったリラが可憐亭に帰還したのは、日の沈みかけた頃合いだった。
「大丈夫か、リラ!」
 主人が駆け寄ってリラの両肩を掴んで、引き寄せる。
 間近で――恐らく怪我がないか――見ている眼差しはやたらと熱心で、リラは自覚なしで顔を赤くした。
「だ、大丈夫よ。だ、だから触らないで、自分で治せるからっ」
 と言って、リラが自分で治そうとした矢先、主人の手元から暖かい魔法の波動が注ぎ込まれる。
 一瞬強い痛みを感じた後、嘘のように全身の怪我は消え去っていた。
 周りを囲むカレンとアルザも、主人の魔法の腕に、感心したように息を飲む。
「治ったと思うけど……まだ痛むか、リラ?」
 安堵した主人に、まだ少し心配そうに顔を覗き込まれ、リラは顔をうつむけ、静かに口を開いた。
「子供じゃないんだから、過剰な心配しないでよね」
 ありがとう、とか、ごめん、とかいうありきたりの言葉の前にリラの口をついて出たのは、こんな一言。
「で、リラちゃん。そんな怪我しちゃって、一体何があったの?」
 カレンに促され、トロメア屋で起こった事を説明する。
「…………って訳なんだけどね」
「すいません、私のせいでそんな目に……」
 依頼人のアイリスが顔を青ざめさせて、リラに頭を下げる。
「いーのいーの、アイリスさん。あいつらも至近距離で巻き込まれてるから」
 リラは右手をぱたぱたと振って、悪戯っぽく忍び笑いをした。
「まあ、それはそれとして……目標は地下牢よ。行方不明になってる人達が閉じ込められてるっていうから」
「お姫様達も?」
「あ、うん。ええと……そうじゃないかと思う」
「何や、頼りにならんなあ」
「……ともかく」
 アルザの一言にこめかみを引きつらせながらも、リラは言葉を続ける。
「さあ、今夜が勝負よ。地下牢に潜入してお姫様を助け出して、他の人も一緒に助ける。これでいいわね?」
「ああ!」
「うん!」
「よっしゃ!」
 ばらばらの返事が返る。だが、その中に宿る想いは一つ。
「お願いします。姫様達を必ずや取り戻して下さい」
 アイリスが主人の意外と逞しい手を握る。
 主人がアイリスの柔らかい手を握り返し、その上に三人が手を重ねた。
 カレンのしっとりした手、リラのほっそりした手、アルザのがっしりした手。
 互いの結束を、そして仕事人としての使命感を、おまけにアイリスの出してくれる礼金に対する執着心を確かめ合う。
 そうやって盛り上がる可憐亭の中に、琵琶法師のロクサーヌの声がか細く響く。
「あの……きつねうどん一つ……」


 その頃――


「……何考えてるんですか、屋根ごとヴァニシング・レイで吹き飛ばすなんて」
 屋根を吹き飛ばされた建物の中に、黒い人影が二人分たたずんでいる。なぜか、真紅の夕日がやけに眩しい。
「……なのにあなたは、「ちっ、逃がしたか」の一言だけで」
 背の低い方の人影がぼやく。恐らくトロメア屋の主人、メイヤーだろう。
「……分け前、私が七のあなたが三ですね」
「なにいっ」
「嫌なら修理代の請求書、迷惑料プラスでお送りいたしますが」
「ふん。好きにしろ」
「ええ、好きにさせて頂きます」
 平然としているカイルに、メイヤーは冷たく言い放った。端から見ると、まるで倦怠期の夫婦のような会話である。
 だがしかし、カイルは全く平然として、
「こうやって仕事人に嗅ぎ付かれた以上、奴等は総力でここを襲うはず。そこを用心棒が返り討ちにすれば、我々のマリエーナ征服作戦は九割方完成する。座敷牢に閉じ込めてある姫達を人質にすればなお完璧だな、はっはっは」
 黒焦げになりながらも高笑いする。そして同じく黒焦げのメイヤーに向かい、
「とゆーわけで頼むぞ、トロメア屋」
「……他人任せなんですね、あくまでも」
 呆れ顔のメイヤーは肩を落とし、精一杯の溜め息をついた。


後編に続く



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